皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

自分のことについて

自分自身メンタルがとても弱いのです。
メンタルが強くなるにはどうしたらいいのでしょうか?
マイナスな受け取り方もします……。
メンタルを強くしていきたいのですが……
いいアドバイスをください。
直ぐに胃にきてしまい……しんどいときがあります。

学校・会社・働く
有り難し 72
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

メンタルを強くするとかいう、その曖昧な図式を捨てる。

メンタルが強くなるとは、総じておのれの観念に騙されないようになることです。
自己の中で沸き起こる内なる想念に乱されている様がメンタルが弱くなっている姿ということですから。
物事、状況、人など、自己が出会い、接する外の出来事に動じない、物怖じしないこと。
また、それを眺める、観る人も内なる自己ですからこそ、その内なる思いこそビビらない、動じないことがメンタルを強くする最大のポイントです。
物事も、内なる思いも、起こるまま生ずるままにいることです。
ありのまま、あるがまま、その通りそのままに、それを観て、あれやこれやと二次的な想念を波🌊たたせない、出てきても自分がそこに関わりを持たない、という事がメンタルを強くするということです。
心の波風が起こるのは全自動。本来は無我。自分がやっていることではなく脳が勝手に想念を生み出す。主観的に自分の内なるネガティブな分析、評価をすることよって問題が起こります。
よかれ悪かれ自分の脳内ディスプレイに最終判断された評価がどんなに根拠のないものであっても、あなたの最終的な自己評価です。間違った評価、嘘の評価であっても、その脳内自己評価があなたの脳内では真実なのです。ですが、現実は脳内真実とは違う。あなたが思っているネガティブ評価と実際の事実とは別物なのです。
メンタルの強さとは評価に陥らない心。
つまり、実際の真実、事実を正しく見極めていればそれが同時にメンタルが強くなっているさまなのです。
他人の評価と自分の評価に一喜一憂しなくなることです。
私は評価以前の心に住しています。
それは思考、想念から外れた心、非思量です。
難しいことではなく、事実に住するまま、感受のままだけでいることです。
今も目の前の景色が映っている。
音も、香りも、感覚もある。
そこにはただその様子があるだけで、感受のままと言えます。
その感受状態がいつでも誰でもの本来のありようです。
それが人間の本来の様子(仏)のありようです。
判断や分析以前であるから私的な価値判断も恐怖も恐れもない。好き嫌いもない。
ここが人間の持ち合わせている万国万人共通の人間の救われです。
ただ脳内ディスプレイで生じた純粋な思いに対して、後追い的に生じさせた私的な評価や分析ペダルをこぐことをやめる。これあるのみです。

まずは呼吸に意識してみることから。

はじめまして、橋本昌大と申します。
私もお坊さんになる前は、自分に自信が持てなかったり、人前で上手くしゃべれなかったり、怠けるクセがついてしまったりした時期がありました。
自分自身の体なのに、本当に言うことを聞いてくれませんよね。
でもそれが人間だと思います。
だからこそ、その性質を逆手に取るというか、利用することが解決方法になる場合があります。
お坊さんの修行法に座禅や瞑想があるのはお耳にされたこともおありでしょうか。
そこでは呼吸がもっとも重要な要素になります。
普段、私たちの呼吸は感情にリード(支配)されています。
それを逆手にとって、呼吸を深くゆっくりにすることで、感情を最も正しい判断ができる状態にすることができます。
ここまでは、大切なことに気付ける心の状態を作る、準備運動です。
ここからが本題です。
頭ではしなければいけないことが分かっていても、心と体がついていかないとき、こんなことをイメージしてみてはいかがでしょうか。
例えば、今はもうこの世にいない、自分の先祖のこと。できればお顔を思い出したり記憶があるような、少しでも同じ時代を生きた方が分かりやすいかもしれません。
その方々は、現代を生きる私たちより、もっと辛い時代を生きてこられたと思いませんか?
仏教的には、仏の世界に行かれた方々には煩悩はありませんから、現世での性格や人間関係は心配ご無用です。
ご先祖様はただただ、子孫の幸せを願っておいででしょう。
そんな方に思いを馳せながら、自分のいのちの使い方をもう一度考えてみてはいかがでしょうか。
いのちは、自分の努力で獲得したものではなく、授かったものです。そして人間には寿命がありますから、いつかそのいのちはお返ししなければならないものです。そうです、期限付きの借り物なのです。
そうすると、「いのち=時間」とも言えます。今日1日を大切に使いましょう。
焦る必要も自分に出来ないことを悲観する必要もありません。
自分にできることこそが”使命”です。
そして”使命”は思ったより身近で小さなものです。
その”使命”に気付けたとき、強い精神力を発揮できると思います。
まずは、ご自身の周りに困っておられる方、辛いことがあった方がいらっしゃったら、優しい気持ちで接してあげてください。
人間は誰しも弱くて、一人では生きられない生き物ですから。

プラス思考の練習

和馬様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「メンタル」が弱いというのは、もしかすると「自分はメンタルが弱いという思い込み」によるところもあるのかもしれません。

本当は心、メンタルというものは、中性的なものであるはずなのですが、色々な因縁(原因と条件)により、良いものにもなれば、悪いものにもなるという程度なものとなります。

とにかく、少しでも良いもの、強いものへと変えていくためには、良い因縁を調えていくことが必要となります。

まず、モノ・コトを見る際に、どう見るか、ということにもよります。

hasunoha共同代表・井上広法師の著書「心理学を学んだお坊さんの幸せに満たされる練習」の中でも扱われていましたが、目の前に「半分水を入れたコップ」があると想像してみてください。

本来は、ただの「半分水を入れたコップ」にしか過ぎないはずなのですが、見る側における因縁によっては、その「半分水を入れたコップ」に対しての判断、価値が色々と付いてしまうことになります。

例えば、のどが渇いてもっと飲みたいという者にとっては、「なんだたった半分しかないのか」となり、十分飲んで渇きが満たされているものにとっては、「まだ半分もあるのか」となるなど、「半分水を入れたコップ」に対して、怒りや嫌悪など、とらわれの心が生じて苦しむことになってしまうのであります。

もちろん、ただの「半分水を入れたコップ」に対して、中性な見方ができれば、それに越したことはありませんが、まあ、それはまた仏教を修習していく中で可能になっていくこととして、今は、とにかく「プラス」に考えてみる訓練をしていってみるというのがお勧めになります。

つまり、「半分水を入れたコップ」を見て、「半分しかない」とマイナスに見るのではなく、「まだ半分ある」とプラスにみて、では、それをどう自分のプラスに繋がることに活かしていけるか、ということを考えて思考を鍛えてみることで、実際の実践の場に応用していくのであります。別に半分でなくても、いっぱいの場合、空の場合でも、それぞれをどうプラス思考へと変えていけるようにできるのか、是非、考えてみて下さい。そのようにして、何でもプラスに考えていけるような思考を訓練していくことで、メンタルを鍛えてみられてもどうであろうかと存じます。

川口英俊 合掌


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