hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

心臓移植

回答数回答 3
有り難し有り難し 59

12年ほど前から心臓病を患ってます。先日、お医者さんから心臓移植しか残された方法はないと言われました。子供はまだ小さいですし、まだまだやり残している事がたくさんあります。
心臓移植移植してでも生き延びたいと思うのはわがままでしょうか?仏様がくださったこの身体、臓器で自分の人生をまっとうすべきでしょうか?
心臓には魂が込められていると思っています。なので私以外の心臓で生きていくという不安もあります。今、不安で押しつぶされそうです。
先日、告知されたばかりなので、自分でも整理がつきません。

何かありがたいお言葉を頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私もきっと同じ道を選ぶ

ユメさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。

12年前から心臓を患っていらっしゃるとのこと。しかも心臓移植しか手段が無いとなると、かなり症状は重いのではないかと推察いたします。
そんな中、子を産み、育て、今まで本当に頑張っていらっしゃいましたね。ユメさんに敬意を表したいと思います。

話は変わりますが、臓器移植については仏教界でもまとまった結論が出ていません。おそらく僧侶によって十人十色の見解があるでしょう。一部の臓器の移植と違い、心臓移植は提供者が亡くなることが前提にありますので、非常に難しい問題です。

私としては、ユメさんを失望させる答えだと思いますが、「自分が提供するのは抵抗がある。しかし自分や家族が病気であれば、きっと生き延びたいと思い、探し求めるだろう」ということです。

江戸時代の仙涯和尚という高僧は、死の間際、弟子に辞世の句を求められた時「死にとうない、ほんまに、ほんまに」と仰ったそうです。私はこの人間味あふれるエピソードが大好きです。もし仙涯和尚が現代の方で心臓疾患があれば、一所懸命に心臓移植を求めたかもしれませんね。

「生き延びたい」というのは人間の根源的な欲求ですから、わがままと言えばわがままです。ですが誰にもそれを否定する資格などありません。私もユメさんと同じ立場なら、きっと移植を選びます。

魂については、正直に言うと分かりません。でも、移植された心臓と元の持ち主に感謝しながら生きていけば、それで良いのではないでしょうか。また、もし何か悪いことがあったとしても、その心臓や魂のせいにしないことが大切だと思います。

追伸
横浜出身なのですね。いつかご縁があってお会いできることを楽しみにしています!

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

我儘ではなくあるがままです。

 あなたはすごいと思います。恐らく、子供が幼いということは出産も心臓の病を抱えながらの出産だったと思います。恐れ入ります。
 わが子のためとは思わず、自分のために生きてください。これは我儘ではなくてあるがままです。その理由は、人のため、子のために生きることは我儘につながります。子供が素直なうちは良いですが、自分の意志に合わないときについこんなことを言ってしまいます。「あなたのために生きたのだからね。」そんなこと言われたら子供は心を閉ざしかねません。だから、自分のためと思えば、そんな言葉も発しなくなります。生きるということはいいことばかり、背負うのではなく、悪いことも、悲しみも、寂しさも、背負います。命の大切さをご存知なあなたなら、生の長所を理解できているのでしょう。
 命は仏様から頂いたものではありません。ここは勘違いなさらぬように。
女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む (一休宗純) この短歌にあるようにあくまで、あなたの命は母親と父親から授かったものです。
 これ以上は書きませんが、自分の命が助かるチャンスを放棄するような選択だけは避けて下さい。無事、移植手術が成功し命が伸びることを祈ってます。

{{count}}
有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
このお坊さんを応援する

「捨身飼虎」の慈悲行

ユメ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、長年、心臓病を患われておられまして、もはや心臓移植しか残された方法がなく、臓器提供を待たれておられる状態であること、不安な中にて色々と思い悩まれておられる胸の内をお聞かせ頂きました。

私たちの肉体もご縁なるものにて、生きていく、いや、生かされていくための因縁(要因・条件)が調っていて、やっとこさ何とか生きることができております。

もちろん、その生かされているご縁がまだまだ紡げる良き方法があるのであれば、それを求められるのは別に悪いことでもありませんし、当たり前のことでございます。

そして、臓器移植に関しましては、浦上様も既におっしゃられていますように、提供者を取り巻く問題がございます。

しかし、あくまでも拙考え方でございますが、提供者は、他の誰かを助けたい、救いたいという慈悲・利他の動機にて、己の身体を捧げるという善行為を行う意志を示されておられます。まさにこれは究極の布施行の実践でございます。

法隆寺の玉虫厨子にも描かれている、釈尊の前世物語の一つに「捨身飼虎」がございます。それは、飢えた虎とその子たちのために身を捧げて、母子の命を救ったという話でございますが、もちろん、この話に対して、色々と後世における批判や異説があるのもありますが、とにかく目の前で苦しんでいる者、助けを求めている者をとても見過ごすことができないという究極の慈悲の現れの一つであるのではないかと存じております。

ここからは、非常に難しいことを述べますが、まさに、このことと同様に、まだもしかすると心臓が止まっていない状態であるならば、脳死状態と、現在の医学的・法律的にはなっても、完全に肉体が活動を停止していない以上は、心相続的には「生きている」という状態であると考えることも仏教的に言える場合がございます。(例えば、「トゥクダム」という状態)

それでも、少しでも完全に死ぬ前に、肉体を苦しんでいる人、困っている人に捧げて役立ててもらいたいという意志・行為は、まさに釈尊の「捨身飼虎」に準ずる尊い善行であると拙生は考えております。

誠に臓器移植の成功を心から祈念申し上げますと共に、提供者の分まで、しっかりと生き切って、感謝報恩の善徳行も少しなりとも進めて頂けましたら有り難くに存じております。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

早速のお言葉、ありがとうございました。
子どもと一緒に走ったり、自転車に乗ったりという当たり前のことしてあげられなく、いつも子供に対して罪悪感がありました。自分ではダメな母親と思っていたので、優しいお言葉をかけて下さり涙が溢れてきました。
移植は前向きに考えたいと思います。
そして、大切な心臓をくださった方には、日々、感謝の気持ちを持って精一杯生きようと思います。

追伸 私は横浜出身なので帰国の際にはなごみ庵にお邪魔させて頂きたいと思います。
ありがとうございました。

大鐵様、ご回答ありがとうございました。
私は大きな勘違いをしていました。
全て子供や主人のため、親を悲しませないようにするためと思っていました。
「自分のために生きる」それが私自身や家族が幸せになるということですね。
両親から授かった大切な命、助かるすべがあるのならしがみついてでも、精一杯生きようと思います。
移植への道はまだ始まったばかりですが、私の周りの本当にたくさんの温かいお言葉や手助けで既に感謝の気持ちでいっぱいです。
この気持ちをずっと忘れることないよう前向きにいきようとおもいます。
本当にありがとうございました。

川口様

勇気づけられるご回答ありがとうございます。
はじめに質問させて頂いてから少し時間が経ち、移植に向けた検査、移植チームとのミーティング、移植した方の経験談など着実に移植の準備が進んでいます。

私の気持ちも前向きに考えられるようになりました。
臓器の提供をするという生前に素晴らしい決断をしてくださったドナーの方の意思、そしてそのドナーの家族の方に恥じることなく、その方のお陰で私がこれからも生きていけるという感謝の気持ちを毎日忘れることなく過ごしていきたいと思います。
そして、もし可能なら私もドナー登録をしたり、私の病気の心臓が何かの研究の役に立てばぜひ提供したいと思っています。

捨身飼虎
私にどこまでのことができるか分かりませんが小さなことでも、何か役にに立てることがあれば進んで行動にしたいと思います。
そして、子供たちにも教えていきたいと思います。

私のこれからの教訓になるような素晴らしいお話、ありがとうございました。
ぜひお会いしてお礼を言いたいのですが、それができない事をお赦しください。
ありがとうございました。

「病気と向き合う・看病」問答一覧

父が倒れました。私の心の持ち方について。

父が脳梗塞で倒れました。4日目の今、あまり良くない状況です。お医者さまからは最悪な場合のことも言われましたが、とにもかくにも急性期の今は「わからない」のだそうです。 もう医療の力と父を信じるしかありません。コロナ禍の余波を引きずって、面会は制限をかけられているのと、父は不安定な状態(急性期)なので病棟へは行くことができません。毎日不安です。お医者さまからは「何かあったら連絡する」と言われており、今のところ連絡は来ていません。 母は15年前に亡くなり、父は一人暮らしでした。私は結婚していましたが離婚して、同じ市内で父とは別に住んでいますが頻繁に連絡を取り、最近は一緒に出かけたりもしていました。近々旅行も一緒に行こうと計画もしていました。 そんな矢先の病気です。 私自身、自分の気持ちに没入していき不安の海に自分から飛び込んでしまうタイプで、毎日ひとりでいると突然不安が襲ってきます。友人や職場の同僚に吐き出したりしてなんとか保っています。 父が父ではなくなった姿や、その先にあるかもしれない父の死、その後のこと、父のやりきれない気持ち、いろんなことを考えて想像して苦しくなります。父がこれから楽しみにしていたことなどが一瞬で断ち切られ、いろんなことができなくなってしまう未来が待ち構えているのかもしれないと考えるだけで、父がかわいそうだし私もそんな父を受け止められるのか不安です。 わからないことは考えず、今を生きることを大切にしないといけないのはわかっていますが、どうすればその境地に行けるのかもわかりません。  来週hasunohaさんの個別相談を申し込んでもいますが、居ても立っても居られず書いてしまいました。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

精神科をまた受診したいけど怖いです

文字制限のため、読みにくいかもしれません 15年以上、精神に不調を抱えています バセドウ病のせいかと思い、内科で相談したら、精神科に相談した方がいいと言われました しかし、過去に2度精神科を受診しても、特に治療はして貰えませんでした 母を通して伝えただけで、自分の言葉で伝えられなかったのが原因かもしれません 最初の所では投薬は無く、カウンセリングも、悩みを話すというよりはただ人と話す練習をするだけでした なかなか改善せず、やる気が出ないと相談すると、『ならこれ以上続けても意味が無い』というような事を言われ、やめてしまいました 次の所では、どうしたのか聞かれて全く話す事ができずにいると『以前の病院に通院すればいいのでは』と言われ、そのまま帰されてしまいました そんな事が連続したため、精神科に行くのが怖くなり、10年以上放置してしまいました 最近心理検査を受ける流れになり、異常無しで終わりになりました ですが、苦しい状態が続いているので、改めて精神科を受診したいです しかし、また何の異常も無いですと言われたら、と考えると不安です それに、心理検査で異常無しと言われた後、同じ病院で受診の予約をしていいのかどうか分かりません 母に相談したら、最初の病院で薬を出す程じゃないと言われたし、と微妙な反応をされます 普段から信頼している母ですが、精神科の受診に関しては、そこまでの事では、と言いたげで意見が食い違います あと、雑談? をするような場所に通っており、それとは別で引きこもりの相談も乗ってもらっています だからそれで十分じゃない、と母は言うのですが、やはり精神的な苦しさは解消しきれていないと思っています それに、その二ヶ所はどちらも優しく話して下さるのですが、どうも上辺で取り繕ってしまう感じで、自分の胸のうちを曝け出せている気はしません また、精神の不調をずっと抑え込んできたのを『以前より困ってなさそう』と捉えられている気がします それは違うと思っていたのですが、二件の精神科の結果と合わせて、本当に私は精神病のフリをしたいだけなのかも、と思えてきてしまいました 平気なフリをするのに慣れてしまった気がして、上手く伝えられる自信が無いです このような事を相談しても、皆さんを困らせてしまうでしょうか でも、どうしたらいいのか、私にはもう分かりません

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

原因不明

お世話になっております。 3、4ヶ月前から不調があり、内容的にもあまり人に話せずストレスでメンタルも落ち込んできてしまっているため、 こちらで相談させていただきます。 不調の症状としては下腹部に痛みや痙攣があり、専門の病院にも行ったのですが異常はないと言われてしまいました…… ですが症状としてはとても不快で、何より仕事上一日座っていなければならないため、仕事に集中しづらくもあります。 この症状が出始めた頃にネットで色々調べ、ある病気を見て自分もそれなのではないかと酷く怯えていました。 もしかしたらそれが過度のストレスで症状を悪化させたのかもしれません…… ちなみに何かに集中していたり、友人と楽しく話したりしている時には症状は出ないのですが、 やはり気にしすぎなのでしょうか…… (頓服の精神薬を飲むと落ち着きます) 4か月前ほどに新しい職場に転職し、通勤時間が長いこともストレスの原因なのかもしれませんが、 症状がある部位が相談しづらい部位であり、病院でもあまり聞いた事のない症状との事だったのでとても不安です。 ここ最近は体のこと以外に様々なことが不安になってしまったり、 心配してくれる友人もいるのに孤独感を感じてしまっています。 このような不安な気持ち、パニックになってしまった時などに気持ちを落ち着かせたり、 前向きになれるような方法がありましたら 教えて頂きたいです。 (自分では深呼吸をしたりしています。) これが引金となり、他にも過去の事を思い出したりしてしまい毎日がとても不安で、気持ちが沈んでいることが多く辛いです…… 読みづらい文章で申し訳ございません。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

半年間も続く息苦しさ。助けてください。

私は30代の男です。 朝起きてから寝るまで、息の吸いづらい感じがずっと続きます。 ひどいときは横になることも、座っていることもできず、立ったまま過ごすこともあります。 血中酸素を測定しても低いわけではなく、呼吸苦という自覚症状だけがあるのです。 上記の症状がもう半年以上も続いています。 最初は身体の症状だけでしたが、病気が長引くに連れ、精神をも蝕んできました。 不安や鬱症状もでるようになりました。 病院はたくさん受診しました。 呼吸器科はもちろん、総合内科、循環器科、消化器科、耳鼻咽喉科、整形外科などをまわりましたが、 これといった原因はみつからず、 それでもあらゆる病気の可能性を疑い、薬を何十種類も試しましたが、どれも効いたものはありませんでした。 最終的には精神科に回され、抗不安薬を服用していますが、 大きな改善は見られません。 東洋医学の整体や鍼、漢方薬も試してもらいましたが、同じく改善はありませんでした。 これまでの人生で、不摂生もしておらず、こうなってしまった心当たりもありません。 幸い、妻や両親には恵まれ、 手厚く看病してもらっています。 励ましの言葉も毎日かけてくれます。 身の回りでやってほしいことは全てやってくれます。 しかし苦しいものは苦しいのです。 西洋医学、東洋医学もだめで、 最終的にここにたどりつきました。 身体を変えるのは無理かもしれませんが 、仏教においての心の持ち方を教えていただきたいのです。 仏教を学ばれたお坊様がもし私の立場になったら、どのように行動するのでしょうか。 どうか私に知恵をください。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

病気は私に何を伝えようとしているのか

53才女です                                                  46才を過ぎた頃から原因不明の病気が続きます                                      疾患履歴 糖尿病、脂肪肝、うつ病、 パニック障害(精神障害2級)                    46才ごろ自宅で動けなくなり入院 地元の大きな病院の脳神経外科でいろんな検査をするが原因が分からず歩けないまま自宅に帰らせられる 車椅子生活になり車の運転も出来ず仕事をやめざるを得なくなる                   その後→薬剤過敏症アナフィラキシーで二度入院 一度目は呼吸困難で意識不明になりICU入院(もう少し遅かったら死ぬところだったと先生に言われる) 二度目は自宅で突然顔が腫れ上がり呼吸が苦しくなり救急車を呼ぶ→掛かり付けの病院に入院→また先生に死ぬところだったと言われる                                   特発性大腿骨頭壊死症  難病指定、両足とも壊死 左足は2023年人工股関節置換術をうける  後遺症で大腿神経麻痺→両足とも立ったり歩いたりが困難になる→リハビリ中                  菌血症→2024年1月4日自宅で意識不明 救急搬送→40℃発熱インフルとコロナ陰性 特定個室入院(24時間観察)→翌日目を覚ます意識混濁、味覚障害、めまい、排尿困難、 左耳が聞こえなくなる 急性中耳炎で鼓膜切開 現在(2/5)も左は聞こえません             次々と病がやってきて、死にかけることが度々あるのはなぜでしょうか? なんとなく神様が私に何かを伝えようとしている気がしてなりません            悔い改めるところがあるのか、何かやらなければならないことがあるのか、他の何かなのか、私には分かりません どうか教えてください

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ