皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

なぜ人間は存在する?

なぜ人間は存在するんでしょうか。
過去に忘れたいほど嫌な記憶があったり、嫌な日があったらなんで地球はでき、人間がいるんだろうと考えます。

人間が存在しなければこんな辛い思いしなかったのでは?ってついつい考えてしまいます。

毎日なんだかんだ言って学校に通っていますが、学校でもよく考えています。
最近そのことばかり考えて授業にあまり集中できてないので、教えて欲しいです。

そして、とても仲の良い友達がコソコソ話してる時があるととても気になります。
何を話しているんかな~って思い、もし自分の悪口だったらどうしようと思うのです。
友達関係は良好で信頼をとてもしています。
そういうのはつきものなのでしょうか?

私には忘れたい過去があります。
できることならやり直したいと。
心に残った傷は全く治りません。
すこしづつでもいいから、傷が治ることはできないのでしょうか?

私はいま生きてることがわけんからず、なぜ存在しているのか全くわかりません。
どうか教えて欲しいです。

後悔・自己嫌悪
有り難し 44
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

0に帰る。

ひーさんはじめまして、ご相談拝見しました。

なぜ地球が、なぜ人間が存在するのか。なにか明確な理由や目的や意味があって存在しているのではないのかもしれません。あっても私たちにはわかりません。
わかるのは存在しているという事実。そして存在しているのはなぜかと問うと数限りないご縁(条件)が調っているがゆえに存在しているのです。

であるから私たちはその存在の事実の上に立ち、その存在理由は自らが見出す、あるいは築き上げるものなのかもしれません。

地球とは何か?人間とは何か?人生とは何か?と問うことはある意味で答えを問うているようなものです。

1+5-3=3

3とは何かと問うても3は3です。それ以外の何物でもありません。

しかしここでその3は1+-5-3という条件によって成り立っているのです。問うべきはこちらではないでしょうか。
私たちが存在しているのは奇跡的な数式が成り立っているからだという事実に自己の尊厳を見い出し、そしてその歩みとしてこれからどんな数式を続けていこうかと希望を持つ。

なぜ存在するかより、どう存在するか
なぜ生きるかより、どう生きるか

-1の日もあるでしょう、-5の年もあるかもしれません。その傷は癒えても傷跡は残ります。-5という歩みもまたかけがえのない人生の歩みなのです。それがあって答え(私、人生)が成り立っているのですから。

+1を目指すことに、誰よりも進みたいと+100を望んで思うようにいかないことに苦しむ時もあるでしょう。
そういう時は身も心も解放してあるがままにまかせてみましょう。これでいいのだと自分を認めて、だからこそ他人も認める。みんな元は同じ0なんだという世界に目覚めましょう。

これは+1、これは-1と決めるのは何でしょうか?それは私の分別です。私が私で決めた基準でやあ100の人生になった、やれ-100の人生になったと一喜一憂するのが私たち。
でもその私の分別を超えてあるがままの自分を見た時に見える世界が0なのかと。

仏教は0に帰る教えなのかもしれません。

何も「ない」ということが「ある」のが0
無限の可能性を秘めているのが0

一緒に考えていきましょうね。ご縁をいただけて嬉しかったです。

人間は泣きながら生まれてくる

ひーさん、ご質問ありがとうございます。

忘れたい過去をお持ちなのですね。
そして、今生きていることがわからないとお思いなのですね。

いやなこと、忘れたいことがない人って、
きっと一人もいないのだと思います。

胸に傷の一つや二つ持ちながら、人間は生きています。

そして、時には、どうにもならない思いを抱くこともあるでしょう。
もしかしたら、人によって解決ができないようなこともあるのかもしれません。

人間は泣きながら生まれてくる
といった方がいます。

でも泣きながらでも、人は生きていきますね。

悲しみや苦しみを抱えながらでも生きている。
人に背負えないものであれば、仏様にお任せすれば良いのではないでしょうか。

別なところでも書きましたが、阿弥陀様は「慈悲」=「同悲」の仏様です。
一緒に悲しんでくださいます。
そしてそこから立ち上がる気持ちを与えてくださいます。

手を合わせてみませんか?
おまかせしてみませんか?

あなたと出会うためです。

ひーさん、こんにちは。

人間ってなぜ存在するんだろー。真面目に人生を考える人は必ず通る哲学的疑問です。私も中学校の時に悩み自殺しようとも思いました。
でも今は見つけています。答えは人それぞれですので、ひーさんも自分で探さなければなりません。少なくとも40億年も前に、生命が誕生してから、生存の苦しさを乗り越えて今に命を伝えています。現在の科学で生命の歴史も徐々に分かってきました99%絶滅した時が何回もあったそうです。でも生命はその1%からまた少しずつ進化しながら、絶命のリスクを減らすために、いろいろな生物に進化して、現在につながっています。人間の命はしょせん100年に満たないものですが、そのひーさんや私の命をつくるために40億年のたくさんの命をかけてあなたに伝えているのです。びっくりしませんか。わたしはビックリでした。だから私も多くのご先祖様や私に命を託してくれた生き物のために、命を次に伝える努力をしなければと誓っています。そして命を伝えるために私は今回ひーさんとここで出会ったんだと思います。ひーさんを見ていると35年前の自分がいるようです。

学校生活の中では辛いこともあると思います。でも辛いことばかりではないはずです。趣味はないですか。かぎっ子、少しいじめられっ子の私は、アニメ・漫画で子供の頃に楽しみ、学び、そこから助けられ、夢を持って過ごしましたから、今でも好きです。アニメがなかったら、生きていけなかったかも。逆にいえば、生きてたからこそアニメ・漫画の楽しみを経験できました。辛いことと楽しいことは表裏一体五分五分です。そこから少しでも楽しいことが増えるように、勉強したり仕事をしたりして努力しています。

かならず、ひーさんにも楽しいことがあるはずです。そこから伸ばしてください。もし辛いことがあったらいつでも相談してくださいね。合掌

「全ては縁起し空である」

ひー様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この世における一切の全てのモノ・コトは、縁起し空である。

「縁起」(えんぎ)とは、他に依存して成り立っているということ。最も簡単なのは、因(原因)や縁(条件)に依存して成り立っているということ。

「空」(くう)とは、他に依存しているということは、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているような、「独立自存」なる何かによって実体的・自性的に成り立っているのかどうかと言えば、そういった「独立自存」なるものは、何らとして見当たらないということとなります。

「全ては縁起し空である」

このことを理解するのも、迷い苦しみを超えていくための一つとなって参ります。

もちろん、ひー様が過去の事で心に抱えておられる苦しみもきっと無くすことができるようになるでしょう。

是非、これから少しずつでも仏教に興味を持って頂きまして学びを進めていって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌


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