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『正法眼蔵』 現成公案を勉強したいのですが。

現成公案の本を購入し勉強しているのですが、なかなか歯が立ち
ません。どのように勉強を進めていけばよろしいのでしょうか?
また、どこか良い勉強先等あればご指導願います。よろしくお
願い申し上げます。

有り難し 49
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

正法眼蔵“を”学ぼうとすると、一生わからない。

ある英語教諭が次のように生徒に語られました。
「私は英語を教えるが、君たちは英語を学ぶのではない。英語で何を学ぶかだ。」
同様に、正法眼蔵を学ぶ際におよそ誰もが陥りやすい点。
正法眼蔵という、著書を学ぼうとしてしまう。
現成公案という、何か特別な教え、仏道らしいものがあると思ってしまう。
そうではないのです。
正法眼蔵、現成公案とは、この心身、自己の真実の姿、本来のありようの事です。
あらゆる経典は自己の真相の説明書です。そのように学ぶべきものなのです。
自己を知る本当の手がかりがそこに記されているのです。

月を指差し「月をご覧ください」という時、指を見るような人はいません。
ところが経典や祖録を学ぶとなると、誰もが皆、指を見るかのごとくに学び、肝心の指の先にある月(自己)に目が向けられていない。

禅の提唱とは、自分の真相、自分がどういうものなのかということをダイレクトに悟る教えです。
この点を踏まえて下記の老師の提唱にご参加頂ければ必ず正法眼が開かれます。

私の知る限りでは正法眼蔵を紐解かれる方の中には語句の解釈、意味を解かれるだけの学者肌の僧侶の方が多い。
知識をためても役に立たない。
自分とは何かという学問の知識をいくらため込んでも、それは学問、知識であって自分を本当に学ぼうとする姿勢とは言えない。
あたかも料理のレシピをいくら学んでも調理ができないようなものである。
音楽の理論が分かっても演奏ができない、ではお話にならない。
スポーツの本を読んでもプレイすることがなければ永遠にスポーツにならない。

よって人間の教科書であるお経・祖録の調理、演奏、プレイに相当する事とは何か。
生きることである。何を生きるかではなく、いかに生きるか。
そして苦しみのないことである。

ですから、この心身を観ずに正法眼蔵という外のことを学んでも、永遠に真意が手に入らない、ということはどうかお忘れのないように。
http://zazen.blog.jp/tag/%E6%AD%A3%E6%B3%95%E7%9C%BC%E8%94%B5
井上貫道老師著「げんにーび」¥1,400円
私の知る限り現代の最高の禅の指導者です。
東京中野坂上の成願寺で眼蔵会(げんぞうえ)を始め全国各地で生の正法眼蔵を開かられておられます。


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