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一人で悟ることはできる?

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一人で悟ることはできますか?

お寺も無いお坊さんもいない国にいます。
お坊さんや書物の力を借りなければ悟ることはできませんか?自分一人で悟ることはできますか?

一人でも悟れるなら、悟るために何をする必要がありますか?座禅ですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無師独悟

迷いや悟りがおこなわれるのは、どこまでいっても、この自身の上においてのみ。
そういう意味で人間は無師独悟、一人で悟れるようにできています。
禅門で悟りを求める為の王道は参師聞法、工夫坐禅です。
さらに言えば、考えや悟りを求める意識すら撃ち方止めにすることです。
師とは正師。正師の伝える心とは、正法。正法とは考え事ではない心の状態です。
坐禅や師によらずとも、人間は一日24時間の中で仏も要らず悟り要らずな悟りに等しい心があります。
我を忘れて、物事をワタクシしない心のありかたです。
逆に言えば24時間一秒でも問題の無い心が無いなんてことは無いはずです。
坐禅とは、坐る事ばかりではなく24時間ひっきりなしに出てくる思いを一切手をつけずに、ワタクシ化させないで過ごすことです。
今、私はPCに向かいながら題名のない音楽会が激しい演奏をしています。子供がキャッキャと飛び回って、今肩の上にのってきましたが、そういう外の事も、内なる思いも邪魔にならなくなります。
無私だからこそ、涼やかなのです。
宗派によっては「悟りは得られない」といいます。
ですが「悟り否定説」も「悟れる説」も、ゴール地点、帰結する所は同じ脚下。思考を離れた事実なのであって、そこが悟りと為すべき所であると説いた方便です。
経典、祖録という文字文言観念理屈ではなく実生活の中に悟りを見出したお釈迦さまをはじめ、祖師方たちは皆、脚下照顧(あしもとをみよ)とか、喫茶喫飯などと、悟りを特異な事とはせず平常の中にこそ見出すべしとお示しなのです。
 事実に親しみ、考え、思考、分別を離れましょう。あるのはただただ、たった今の事実のみです。
ゴールといっても、到達、行くのではなく帰結するといってもイイでしょう。たった今の事実に(へ)です。
ただ言葉が違うだけで、事実の内容は誰にとっても、万人にとっても一つ、「たったいま」「自分の考えを加える前の事実」です。
悟りは外に求めず、自己に、現前に見出すほかありません。

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一人で悟ることが出来たのは、お釈迦様だけです。

長い仏教の歴史の中で、それが出来たのはお釈迦様だけです。
お釈迦様のお弟子方はお釈迦様がおられたので、悟ることができました。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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悟りと言った時点で悟れません。

 もしかして・・・と思いましたが。曹洞宗の永平寺猊下で在られました宮崎奕保禅師様が「1分坐れば1分の仏、1日坐れば1日の仏。一生坐れば本物だ。」というお言葉があります。悟ろうとして悟るのではなく、良いことを良く考えて続けることで大悟が得られるものかもしれませんが、得られた思った時点で、それは大悟ではなくなります。ワシは何度も「百尺の竿頭から一歩を踏み出す。」(『正法眼蔵随聞記』)勇気を持ってほしいと思います。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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質問者からのお礼

釈心誓さん、回答ありがとうございました。

丹下 覚元さん、回答どうもありがとうございます。合点がいきました。

大鐵さん、回答ありがとうございます。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ