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死んだ姉の彼の幸せを想える自分になりたい

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13年前に当時28歳の誕生日を迎えてすぐの姉を病気で亡くし、13回忌をする予定だった昨年10月に父を同じ病気で亡くしました。

姉は発病して1年7ヶ月生きてくれました。当時遠距離恋愛だった彼が姉の元に来るため仕事を辞めて、こちらに住み込み、母とともに姉の介助を引き受けてくれました。最期は自宅で彼の腕の中で静かに息を引き取りました。
死ぬ前の日、彼は介護に疲れたんでしょうか、いつになくきつい言葉で「頑張れないなら、いっそ死んだら?」と言いました。それは彼曰く、生きる意力を奮い立たせる為の言葉だったと言います。
ですが弱っていた姉は「私、もう死んだ方が良いのかな…もういいや…」と弱気になって、母にそう話したそうです。
姉が亡くなり、彼が「死ぬなんて思わなかった。入籍したら生きたいという目標が無くなると思ってた…でもやっぱり入籍しておけば良かった…」と言って、しばらく仏壇の前を動かず、あぐらを組んでうなだれていたことを覚えています。

その彼が、姉が亡くなった三年後、突然やって来ました。妊娠中の彼女を連れて…。
姉と私達家族に結婚の挨拶をしに来たのでした。正直ショックでした。
言葉ではおめでとう、幸せになってと言いましたが…。
彼は仏壇のある部屋に飾ってあった彼と姉の過去のツーショット写真を見て「ここは変わってないんだね。まだ、飾ってあるんだ」と言いました。
母はその言葉に深く傷つきました。時が止まっているのは私達家族だけだったのだと…。
あれだけ姉の為にしてくれた彼には幸せになって貰わなきゃいけない、という想いと
姉以外の人と幸せになろうとしている彼が、報告しになぜ彼女も連れてこなければならなかったの?来るなら一人で来て欲しかった…彼女も勇気がいっただろう…嫌だっただろうなという様々な想いが交錯しました。
彼は仏壇の姉に報告することで、過去と決別し、自分の新しい人生を歩んでいます。
姉はきっと、彼のその人生を応援していることと思います。

でも、この出来事を思い出すたびにまだ辛くなってしまいます。
彼もきっと姉が亡くなってポッカリあいた心の穴を誰かに埋めてもらいたかったのだと思います。それだけきっと、辛かったのだと思います。
姉が選んだ彼の新しい人生を心から応援できる自分でありたいです。なのに…どうすればこの自己中心的な想いを変えられますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お姉さまは皆様をきっとお見守りなさってくれます

拝読させて頂きました。その方の言動について不審に思われていらっしゃるそのお気持ちは分かりますね。
やはり個人的な思いとしては、その方にはお姉さまの時をまだ過ごして頂きたかったと思いますね・・・。
唯やはりそう思うのはそれぞれの方の相手への押しつけになってしまうのでしょうね。その方にとっても彼女が亡くなられたことの悲しみや苦しみや寂しさはその方でなければわかりませんものね。
ですからその方がお姉さんとの縁を一つ区切りをつけて新たな方と人生を歩まれることは止めようがありませんよね。
その様にやはり割り切るべきかと思います。
決してその方もお姉さまの忘れた訳ではないでしょうし、これからもお姉さまのご供養は自分なりになさっていかれるのではないかと思います。
新たな彼女をお連れなさったのはやはり自信がなかったからではないかとも思いますし、お姉さまに彼女を認めて頂きたいという思いもあったからでしょうね。
いずれにせよあなたもその方も皆様それぞれの人生を自分なりに歩んでいらっしゃいます。時が止まっているように思えても実はじっくりと流れていっているのです。
皆様がこれからの人生それぞれにしっかりと生きていかれて、そしてこれからもそれぞれのご縁を大切になさって頂きたいと存じます。
あなたもその方もお姉さまとのご縁はこれからも続いて参ります、そしてお姉さまは皆様をきっとお見守りなさってくれますので。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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自己中心的な想いは即解決できます。

お姉さまが亡くなられて13年たちました。いつまでもお姉さまを思う気持ちは、しっかりと届いています。
さて、亡くならてれて3年後に、お姉さまの彼が、彼女を連れて自宅に来られたとのことですが、どうしても、それが許せない。そのことで悩んでおられるようですね。たしかに、あれだけ思っていたのに、なぜ?と思われるのも仕方ありません。

一度、お姉さまの立場で考えてみましょうか。
彼と出会い、遠距離恋愛でも楽しい時間であったと思います。やがて病気になり、彼は仕事まで辞めて、自分の元へ来てくれました。闘病中でも楽しく過ごせた時があったでしょう。
そして、最後は彼の腕の中で今生を終えました。

お姉さまにとって、彼は自分の為に、多くを犠牲にして尽くしてくれたことに恨んでいるでしょうか。むしろ感謝しているのではないでしょうか。2人でこれから共に、生きていくことができないのに、様々なことをしてくれたはずです。
実際に、亡くなるということで、結婚も2人で楽しく暮らすこともできなかったことに、後悔したはずです。でも、現実には互いに違う人生を歩まなくてはなりません。それも、すでに了解していると思います。
3年後、新たな彼女を連れて、自分のところへ、そして、しどろもどろさんやご家族に挨拶にこられた。ここで彼自身、今後の人生の表明にきたのでしょう。

振り返ってみれば、たしかにしどろもどろさんには、彼を許せない面はあるかもしれませんが、お姉さまも、きっと許し、彼も自分の人生を歩んでいると思います。
一番、許していないのでは、しどろもどろさんだけではないでしょうか。しかも、ご自身のことでなく、他人のことでです。いや、姉のこと、彼のことだといえども、所詮、他人です。
許せないという自己中心的な想いは、自分で即解決できますので、許してあげてください。

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質問者からのお礼

所詮他人事なのにいつまでも引きずっていて情けないです。
私は他人なのに…関係のない人間なのに…そもそも外野がどうのこうのいう話ではあさなかったのですね。
いつまでも想うこと自体間違っていたのですね。
私はまだまだです。
恥ずかしくて、情けなくて、消えてしまいたいです。

ご回答ありがとうございました、感謝します。

先日、亡くなった姉から電話がかかってきたのです。
三月と五月に合計二回もです。なにか伝えようとしたのか…。
出ても何も話してくれませんでした。
その電話から13年前の想いがまたよみがえってきたのです。
この件につきましては、また改めて質問させてください。
よろしくお願いします。

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