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仏様を表す色。

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初めまして。
少し変わった質問をさせて下さい。

現在写真家をさせていただいております。
今年に入ってからまだ1カ月ですが、仏様に随分たくさんのご加護・お導きを頂きました。

その感謝の気持ちを私らしく表現したいと思い、仏様を表す色って存在するのかしら?
と思ってご相談させて頂きました。

例えば薬師瑠璃光如来様だと漢字の中に「瑠璃」と言う漢字が入っていますから何となく分かるのですが、他の仏様は色を表す漢字が含まれていないのでどうなんだろうと。

こんな風に「この仏様は何色で」と言うのが知りたいのです。
そう言ったものがなければ仏様に関連するお花や自然の中にあるものを教えて頂ければと思います。
イメージでも構いません。

出来るだけ多くの色を知りたいので、どうぞお知恵をお貸し下さい。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様はそれぞれ象徴する色を持っておられます。

真言密教の立場から書かせて頂きますね。

曼荼羅を観て頂けましたら解ると思いますが、
仏様はそれぞれ違う色を持っておいでです。

色だけではなく、
それぞれを象徴する梵字(仏様を一文字で表したもの)もあります。

さらには、その仏様を象徴する物(仏様の誓願を表す物)もあります。

それぞれを表す「言葉(真言)」もあります。

例えば例に挙げていらっしゃる薬師如来さまは、
色は「瑠璃色」
梵字は「バイ(変換できないのでお調べください)」
物(三摩耶形)は「薬壷」
真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」

さらに例えば曼荼羅において阿弥陀如来さまは
色は「赤」
梵字は「キリク(変換できないのでお調べください)」
物(三摩耶形)は「八葉蓮華」
真言は「おんあみりたていせいからうん」

色がなぜ違うのかというと、それは人々がそれぞれ性格や環境が違うので
全ての生きとし生けるものを救うために
仏様にも個性があるのです。

例えば暴力に飲まれて暴走する人に対しては
まず取り押さえて、それからどうすれば自分を取り戻せるかを
説かねばなりません。
これは明王部の仏(お不動様など)の仕事です。

貧乏ゆえに犯罪を犯そうとしてしまう人には
まず、食べるものを与え衣服を与えてから、
心を落ち着かせてから導かねばなりません。
これは薬師如来の仕事です。
(薬師如来は病気を治すだけではないのです)

どんな状況であろうとどんな人であろうと
必ずやその状況や人にあった仏様がおられて救ってくださいます。

大日如来を象徴する色は「白」ですが

白い光をプリズムで分解すると、全ての色の光が現れます。

それと同じように、完全なる宇宙の根元の仏様が
全ての生きとし生けるものを救うために
あらゆる色に別れて具現してくださっている
と考えるとわかりやすいでしょうか。

世界は色に満ちています。
そして仏さまもそれと同じように満ちておられます。

追記:仏教関係でなぜ赤い色が多いかというと仏教(真言密教)では赤は「慈悲」を表す色だからです。貴女の血の色と同じです。これも説明すると長くなるので割愛させて頂きます。
何か作品を制作されたいとのこと素晴らしいですね。仏様の色は曼荼羅をご参考にされて下さると良いと思います。また、曼荼羅の解説書には細かく色の事が書かれていますよ。

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仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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仏の色で無いものはない

あなたの目の前の世界のすべて。
そこに真実の色で無いものなどがありましょうか?
真実の色、そのもので無い色などないはずです。
こう言ってしまっては失礼ですが、あなたが今、求めようとしている色は偽の仏の色、仏の相です。
なにが偽かと言えば、人間の想像、偶像の仏の色だからです。
夢を壊してもいけませんので不快だと思われればここで読むことをお控えください。
「仏の色とはきっとこうであろう」「これが仏にふさわしいだろう」いう人間の考えによって生まれたものであるからです、
およそ、仏画や仏像、マンダラもどんなに美しい美術品であっても、それは人間の総作品です。
現実、事実は違います。
今のあなたの目の前の一切は、映像の専門家ならばお分かりであろうと思いますが、そのまま、すべての色も姿形も人間知恵の手つかずであればそれがそのまま仏の色です。
仏像や仏画、人間が捜索した美術品に、真の仏の色形があるかないか。
その前に、それらは人間個々による❝創作❞の世界です。
青だってスカイブルー、マリンブルー、ブルーサファイア、青山、色々な青があります。
悪い意味の青もあれば、すがすがしい意味の青もあります。
赤だって血の色、ルビー、ワイン色、イチゴ、トマト…
どこにも不吉だとか、良し悪しはついていない。
血の色、赤い色一つにしたって、誕生の赤、めでたい赤、尊い生命の命の象徴。
それも人間の善し悪しをつければ、いわゆる悪しき意味での血の色となります。
良し悪しが無ければ、その色がその色のまま仏の色です。
優劣、是非、善悪の意味を添えなければそれがそのまま仏の色です。
それがお分かりいただければ、これ以上、説明は不要ですね。
それが仏の色、妙色、妙色心。
仏とは、真実、真相、真実相です。
仏の色を知りたければ仏を見出せば答えが出ます。
私から聞くより、あなたが仏をみる事です。
本当の仏、真実を。

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おきもち

「五色」というものがあります。

仏様を表す色「五色」というものがあります。
「仏教/五色」で検索して頂ければ詳しく調べることができるかと思います。

阿弥陀如来は色で表すならば「金」です。
仏壇も金ですし、御木像も金にされることが多いです。
それは阿弥陀如来が作られた極楽浄土は仏様や地面などがキンキラに輝く世界だからです。

あと日本では仏教=黒色と思っている人が多いかと思います。
お坊さんの普段の法衣が黒だからです。
しかし、仏教の色と言えば「黄色」「赤色」が世界的に認識されています。
外国の僧侶と言えば、黄色の袈裟を体に巻き付けた姿を想像できるかと思います。

だから日本のお坊さんが黒い法衣で外国へ行くと「キリストの宣教師が来た」と勘違いをうけることがありますね。
参考程度に。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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質問者からのお礼

釈心誓様、お忙しい中ご回答頂き誠に有難うございます。
お釈迦様や仏様の色を自然界で見つけて、それで作品を作ろうと思い質問させて頂きました。
早速「仏教/五色」で探してみます!

また何かあった時には質問させて頂きます。
その時はまたお導き願います。

悟東あすか様、お忙しい中ご回答頂き誠に有難うございます。
ゆっくり考えたら・・・そうですね。
私たちが住むこの世の中の在りとあらゆる所に仏様はいらっしゃいますよね^^

また何か迷い事が生じた時には
お導き願います。

丹下 覚元様、お忙しい中ご回答頂き誠にありがとうございます。
全てきちんと読ませて頂きました。
「良し悪しが無ければ、その色がその色のまま仏の色です。」とのお言葉にストンと落ち着きました。
ココロに元気がない時は何を見ても色を感じる事が出来ないので、恐らく無理してでも色を観ようとしてたのかなと。
また何かの時にはお導き願います。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

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涅槃と菩提心を求めず。仏様との向き合い方

悩みのループに入ったときに、今まで頂戴した回答を読み直しています。 ありがとうございます。 さて、今回大げさなタイトルになりましたが、仏様と向き合う心持ちがわからなくなりご指導を賜りたく投稿いたしました。 仏教の最終目的が成仏・涅槃に入ること、また望ましいありかたとして菩提心を起こして日々を送ることだとしたら、私はそれを望んでいない、なのに写経や読経をするのは方向が違うのか考えてしまいます。 普段、自宅のお仏壇にお経をあげたり、近隣のお寺の写経会に参加しております。 そのお寺での住職様でない方の法話で「仏教的な幸せは涅槃に入ること。表現が難しいけれどお星さまになることかな。寂しく思うかもしれないけれど、それが一番の幸せ」というようなお話でした。 私は仏様になったことがないので、そこまで高尚なことはピンときません。来世があるとしたら人間に生まれ変わって、今叶わなかったことが満たされていたいです。輪廻から出られないことがそれほど不幸なのか?と思います。 菩提心につきまして。こちらの僧侶の方々や写経に伺っているご住職様は菩提心があるなあと驚きます。相手の苦痛を減らそうというお心がひしひしと感じ取れます。ゆるがぬ信仰心と強固な信念に基づいているので、悩んでいる方に寄り添えるのだなあと思います。 翻って私は人並みの親切心はあると思いますが、共感しすぎて痛い目にあうことが多く、拠り所(僧侶の方にとっての信仰心)とするものがありません。最近はやりのバウンダリーをはっきりさせて、余計なことに首をつっこむのをやめよう、自分がしっかりしていないので、他人のことはもう放っておこうと決心したばかりです。 ただ、お寺通いやお経をあげることは止めたくありません。記憶のある時からなぜか神社仏閣が好きです。 仏教的に見て望ましい行い・最終目標から逸れた心を持ちながら、どのように仏様と向き合ったら良いか、是非ご指導くださいませ。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ