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僧侶に階級があるのは何故ですか?

回答数回答 4
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本日、仕事中にお客様が「僧侶にさえ袈裟の色で階級をつけたりしているのはおかしい。本来仏教とは身分差別したりしないはずだ」とおっしゃっているのを聴き、疑問に思いましたので質問させて下さい。
僧侶によって?宗派に違いはあれど袈裟の色で階級があるのは何の為でしょうか?
また、それは誰が判断、ジャッジし決められるものなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全てを見渡して下さい。それが仏教です!

曹洞宗の御開祖「道元禅師」は色衣を献上されても着る事無く一生黒衣で統されました。
もし宗教が色で差別をつけるなら道元禅師は色衣を着なくてはならいのですが、あえて着なかった。
本来宗教に差別はあってはならないものです。衣の色分けは区別としてあるのです!差別しているのお坊さんもいますが一般の方々の方が色を基準に見る傾向があります。

色んな僧侶が居る事も確かで色んな宗派の考えも存在します。この世は様々色々が集まって動いているのです。その上で見た目で判断する事の怖さがあります。貴方はどうでしょうか。

色で見分けるより中身、心で見分ける事を心掛けて下さい。

道元禅師様は何を言いたかったのか。
「色即是空」とはこの世に姿、形を持って生まれこの世の存在を肉体で確認しやがて誰もが訪れる生者必滅を迎え消え去って行き生まれる前の世界「空」へと戻るのです。
「空即是色」は、正しくその逆の事となり「空」の世界より「色」の世界へ生まれて来ます。
佛の世界では何時如何なる時にも目に見える事、見えない事は別の世界でなく一つの世界として捉え真実の在り方を突き進んで説かれおり道元禅師様は衣を通じてこの事も伝えたかったのではとも思います。この世の目に見えるものにこだわり過ぎれば見落とすものがある。色にこだわらず良きも悪きも全てを見渡して下さい。それが仏教です!

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秩序かな

  「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大覚に同うし己る、真に是れ諸仏の子なりと」
 お葬式は、故人がお釈迦さまのお弟子さまになる「授戒」という儀式をしている(本来はもちろん生きているうちに行うもので、生きているうちにこの「授戒」という儀式を受ける事ができます)のですが、故人が仏戒を授かった直後に、導師さまが唱える言葉です。
 だれもが、お釈迦さまの弟子となるこの儀式を受ければ、平等にお釈迦さまの子である、という意味です。

 仏戒を授かった私たちはみんな平等です。でもホントに平等ではまとまりがありません。世界中で最も小さい組織である「家族」だって、親子・きょうだいなど、「階級」があります。
 お坊さんの世界も、指導したり、取りまとめたりする人がいなくては、教団として成り立ちません。そのため「階級」があると思います。ですので、「オレは上流階級でエラいんだ」と、色のついたものを着けている訳ではなく、周囲から推されて所定の階級となり、色のものを着けているものと思います。
 ですので「階級」というより「秩序」の意味合いの方が大きいと思います。

 実際はいろいろあるかもしれませんが、ネットですのでここまで(笑)。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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話を勝手に大きくしすぎ

等級があったら何でもかんでも身分差別なのでしょうか…そのお客さんの発想は突き抜けていますね。。。衣の色によって命令系統があるわけではありません。むしろ一番偉い人以外はほぼ名誉職ならぬ名誉色みたいなものです。一番偉い人だって天皇象徴制みたいな感じですし。そもそも大行事で役が当たっている時しか着ませんし。。。

ケチをつける人はどう転んでもケチをつけます。全員同じ色だったらどうなるか考えてみましょう。「お坊さん50人くらいいたけど、みんな同じに見えるから誰が主役で誰か脇役か分からなかった!有名な○○老師がいらっしゃるって言うから行ってみたのに(怒)」こうなります。

運営上の難もあります。「法要の打合せをしたいのですが…」「あぁ、責任者は○○老師だから老師に聞いて。黄色の衣の人だよ」「分かりました」で済むところが「(前略)老師に聞いて。80歳前後で坊主頭の人だよ」「いや、そのくらいの人が10人以上いるんですけど…」となります。
お坊さんの話ではありませんが、東国原氏が県知事時代に海外で会議か何かに出席された際、秘書だけ通され、東国原知事は通さなかったということがあったそうです。会場の警備員が秘書と知事を勘違いしたのですね。こういうことがあると警備員が処分を受けかねませんから、偉い人が偉そうな格好をするのはマナーです。

誰が決めるかと言いますと、本人が申請し、宗派の本部にあたる宗務庁が功績を審査して認定します。つまり誰にでもチャンスはあります。ただし、下半分はあまり変わりませんが、上半分は毎年の分担金のケタが変わるのでたいていのお坊さんは手を出したがりません。

最後に、お釈迦さまは社会的身分や年齢で差別をしませんでしたが、出家した順で先輩後輩の序列は作っていました。実務経験者なら当たり前の発想です。
色分けでわかりやすくしたのはきっと中国からでしょうが、日本では聖徳太子が輸入して官位十二階の色分けをした頃からおそらくあったのではないでしょうか。仏教が…というより、東洋の伝統といいますか、西洋化以前の常識みたいなものです。
20世紀後半の日本で権威を否定することを青春とした風潮があったのですが、そのお客さんの発想はその香りがしますね。赤い気がします。テキトーに聞き流しておいた方がいいと思いますよ。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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一休宗純禅師と袈裟

苺様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

テレビアニメで有名な「一休さん」は、実在の一休宗純禅師がモデルとなっていますが、一休宗純禅師が大徳寺の住職をされていた時に、以下のようなエピソードがございます。

京都の町でも有数の富豪が、当時高名な一休宗純禅師に法要を依頼された際に、恐らくその富豪である施主について、あまり良い噂を聞いてはいなかった禅師が、まず、乞食に身をやつして、布施功徳をお願いしに門前に訪れたものの、その施主の指示により、門番から散々に打ちのめされて追い払われてしまいました。

そして、いよいよ法要となり、次は金蘭豪華な袈裟を纏って伺うと、施主が門前までやってきて、丁重に迎えられました。しかし、禅師は門前で動かず、「先にここに布施功徳をお願いしに参った時には、散々に打ちのめされて追い返されてしまった。今回は丁重なるお迎えであるが、それは、どうやら私に対してではなく、この金襴の袈裟に対してであろうと思われる。ならば、この袈裟を置いて私は帰ることにしよう」と言われて、帰ってしまわれたというお話がございます。

ややもすれば、人を身なり見かけで判断してしまう者に対してのお叱りの意があるのと共に、拙生の個人的な解釈となりますが、カタチだけの読経や回向ではなく、故人のための真の追善となる功徳を積む意思があるのかどうかを、試されて、そして、諭されるためだったのではないだろうかと考えます。

身なり見かけ、上下区別も大切で必要な場合もありますが、何よりも、それ相応の内実、真(まこと)も身に着けておきたいものでございます。

自省の意も込めて。

ちなみに拙寺はどこの本山にも属していない単立寺院にて、特に袈裟・衣の色も全く気にせずに済んでおります。拙生の衣は安価な黒衣、袈裟(黒以外の色袈裟)も二種類賜っておりますが、何色かにもこだわらずにカタログの一番安いもので済まさせて頂いております。単立寺院の有り難さです。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お忙しい中、ご回答下さいました僧侶の皆様有り難うございました。大変勉強になりました。

凰林寺/光禪様
「秩序」なのですね。偉いとか身分が上という事ではなく、統括、まとめ役とでもいいましょうか、社会生活の中ではどこの環境にも当てはまる様な気が致します。

山口秀徹様
「差別」と「区別」では全くの別物ですね。
そこをどう捉えるか、、、それはその人次第かもしれませんね。
私は、、、お客様にそう言われた時に言葉を失ってしまいました。
この世に見えるものにこだわり過ぎては本当に大切なものを見過ごしてしまう…本当にその通り、お言葉通りだと感じました。

大慈様
大行事があるときにしか着ないのですね。初めて知りました。
冠位十二階、ありましたね。
階級、区別されている事を「差別」、「偉い、偉くない」そう捉えてしまうのはその人のアタマですね。そう思い込み、それこそ「色眼鏡」。
色々な感じ方があるのだなあと、今回学びました。

岩瀧寺 往生院六萬寺/川口英俊様
一休禅師のエピソード、教えて頂き有り難うございました。
アニメとは随分かけ離れた方だと記憶しておりましたが、語り継がれるだけある方の様ですね。
私もこのお客様のお言葉から色々と考えさせられました。
お袈裟の色と言う話題で、いくつもの捉え方、気付き、戒めがありました。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

前住について

こんにちは 「問答」に同様な内容があり、相談していいか悩みました。 たまたま恋愛した方がお寺の長男で2年前に帰省し彼が住職となり私が坊守となりました。私は在家で両親は生前は全くお寺との付き合いをしていなかったので私もお寺の知識はありませんでした。 彼の両親は最初は私との結婚に否定的でしたが、息子が後継ぎとなることで止む無く許してくれたようです。(最初は彼は後継ぎを拒んでいました。) 結婚前に坊守の仕事を全く教えてもらわなかったので、仕事内容を覚えるのに必死な毎日でしたが、前住・前坊守の私への当りがきつく毎日辛いです。 一番辛いのは私の亡くなった両親のことを悪く言われることです。両親が亡くなったとき、嫁ぎ先の宗派(浄土真宗)とは違うお寺(浄土宗)でお葬式・法事をしましたがその事についてひどく非難されます。細かいことを申し上げればきりがないのですが 「だからお前の親はろくな死に方をしなかったんじゃ」と言われ とても悲しかったです。そのことを夫に伝えましたが、そんなこと 聞き流しておけばいいと相手にされませんでした。(もともと、夫と義父は仲が悪いです) 他にも私の態度や色々なことについて罵声を浴びせられ我慢しますが、その度に「ろくな死に方をしなかった」の言葉が思い出され涙が止まりません。 この先も罵声は無くならないと思いますが、その際、私の心をどのように整理していけばよろしいでしょうか。

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導師様の態度について

いくつもの質問にお答えしていただきありがとうございます。また、あけましておめでとうございます。今年もまた質問でご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願い致します。 さて、今回は今までの質問とは違います。先日父方の祖母が亡くなってしまい、家族葬ではありますが出席させて頂きました。 葬式自体は業者の方々が丁寧にしてくださったので、良い別れができたのではないかと思います。 しかし、1つ心残りがあります。それは、お経を唱えてくださった導師様の態度です。通夜、告別式ともに同じ方が来てくださったのですが、どちらの時も読経中に草履で遊んだりマスクの中を掻いたり…また若干眠たそうに読経していました。 葬式のランクは低い方で設定しましたし、家族葬で出席した人数は少ないので、気の抜けるのはあるかもしれません。しかし、そのお経は意味のあるものだったのか、祖母はちゃんと仏様?になることが出来たのか(祖母が浄土真宗だったので)気になります。 父や叔母さんなどは特に何も言わなかったのですが、今回の導師様の読経中の態度は問題なかったのか、また問題あるとすればどうすれば祖母は大丈夫なのかお答えください。 長くなりましたが、どうかお願いします。

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お寺=〇ちゃんねる?

 いつもお世話になっております。最近、思うことがあります。 失礼を承知で単刀直入に申し上げますと、 「お寺の客層(とくに常連)、やべえ」 まるで、「〇ちゃんねる」のようです。まともな人もいますが、 やばい人の方が多いです。  自分より弱そうな信者を探して友だちになる振りをして近づき、 支配下に置いたり利用したり、いじめの標的にするソシオパス サイコパス野郎。  他宗派をバチボコに叩き散らかし、「俺たちこそ特別、俺たち こそルールだ」と言わんばかりの薄っぺらな、説法というのも 噴飯な講釈を垂らす僧侶。  神秘主義に傾倒して、(本来、現実ととことん向き合い、 しんどい事が起きても、物事が成立する条件、環境を 炙り出して現実的に解決していくと説いているはずの)仏教を 捻じ曲げ、拝んでさえいればいいと思い込んで、現実的な 行動を起こそうとしない怠け者。  たたりや呪いのせいにして、努力しようとしない奴。  これでは、ますます仏教が誤解されるばかりです。新興宗教 と大して変わらないじゃん。  他の信者(時にお坊さん)に対してマウンティング、 時代遅れな神秘主義の信奉…  精進努力を誓うはずの道場で正反対の行動に勤しみ、 人格が破綻、結果、現場に蔓延しているのは、妄信、魔境、無明…  ちゃんとしたお寺さんもあるのでしょうが、私が行ったお寺の 数々は、冷静に振り返ってみると、全てこんな感じです。親鸞 さんの気持ちが、痛いほどわかります。  たまにちゃんとした人もいるけれど、基本多いのは、人格が ぶっ壊れたやべー奴。「〇ちゃんねる」かよ。先日など、 「生活保護費が下がるそうね。いいじゃない。みんなの税金で 食べてるんだから、働けるなら働いてもらわないと」 などと平然と抜かした奴がいて、さっきまで相槌を打っていた 信者さんたちが、静まり返るという事態も発生しました。 (ちなみに、障害年金がもらえず、生保を受給して就労準備を している人もいる。こんな発言をする奴が仏教徒だなんて)  最近は、山門や鳥居を潜るのが恥ずかしいくらいです。こんな 奴らと同類かと。  先生方のご高見を拝聴したく存じます。よろしくお願いいたします。

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