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亡くなった人にはもう二度と会えない

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有り難し有り難し 101

こんにちは。

亡くなった人にもう一度会えるの方法が、なにかしらあるのではないかと考えてしまい、検索していましたら、そういう考えは仏教の教えに背くものとありました。

会えないのは当たり前なのに、少し悲しかったです。

やっぱり私が人生を全うするまでは、絶対に会えないのでしょうか。

はすのはでたくさんのお坊さんに助けていただきました。残された子供たちに主人の魂が宿っているというのもわかってます。でも、もう一度会いたいと思ってしまいます。

どうしたらいいのでしょうか。主人の死を受け入れられてないからなのでしょうか。
同じ様な体験をされた方は、どの様に過ごされているのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

会うんです!

最愛のご主人さまを亡くされて、
さぞやお辛い思いをされていることと、思います。
これから、お子さまを抱えての生活、
さぞや、お心細い思いをされていることと思います。
ご主人さまも、最愛のあなた様や、
お子さんを残してお浄土に旅立たれたこと、さぞやご無念のことだと思います。
単身赴任なら、会えなくとも電話で声を聞いたり、メールができます。
でもこの世界と、お浄土では、
世界が違いますから、
こちらは物質のある世界、
あちらは精神世界ですから、
そういうやりとりはできません。
本当に古い番組ですが、夢で会いましょう、というテレビ番組がありました。会うことができない方を、番組で探して会わせてくれるのです。
テレビ局だからできることなんですが、夢なら誰でも会えるんです。
静かに、目を閉じて、
ご主人さまの楽しかった時の思い出、
ともに過ごした幸せな日々を
思い出してください。
ご主人の、姿や笑顔、語り口を
どうか思い出してください。
そして、あなたの思いを、
静かに語りかけてください。
ご主人さまの思いが、
あなたの心の中に染み透ってくるはずです。
あなたや、同時にご主人さまの寂しさや、悲しさ、切なさや、辛さは、
阿弥陀さまには、すべてお見通しです。
必ず守ってくださいますよ。
毎日毎日、お仏壇の前で、ご主人さまに、日々の出来事を相談してください。必ず応えてくれます。
同時に。阿弥陀さま、仏さまに、
日々こうして無事に過ごすことが、
できたことを、感謝されたら、
いいでしょう。
供養は、坊さんに、お経を読んでもらうことだけではありませんよ。
あなたが、差し上げる一杯のお水や、ご飯、どうぞ召し上がってください。
との真心や、おもてなしこそが、
ご供養なんです。
どうか、気をしきしめてお子さんの
ために、お歩くください。
寿命が来て、お浄土に行かれた時に、
ご主人さまに、頑張ったからね!と、
誇らしげなお顔を見せてあげてくださいね。
お悩みごとがあればいつでも、
お話を聞きますよ。
どうかお幸せに!

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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出会い直し

ご相談拝見しました。
最愛のご主人のご命終に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、時を経てもなお会いたいと強く願うお気持ち、お察し申し上げます。

お気づきの通り、また以前のご相談でお坊様方が回答した通り、この現生においてもう一度生前のような姿形のあるご主人に会うことはできません。

おっしゃる通り、全ての形あるものの諸行無常を説く仏教においては亡くなった人にまた出会えるということは言わないでしょう。

しかし、それはどんな形でもまったく出会えないという事ではありません。むしろこれからもずっと出会い続けていけるとも言えるでしょう。

つまり出会い直しが必要なのです。

姿形のあるご主人の死を受け入れる。そして姿形を超えたご主人の心、そしてご主人が命終えるという事を通してゆこ様に伝えてくださった真実の教えに出会っていく。

この有限なる存在を超えた無限なるご主人の姿を我々は諸仏といただきます。ご主人は仏様としてゆこ様にはたらきかけてくださっています。

仏様のはたらきとは真実を教えてくれることです。

真実とは何か

「人は生まれたら死ぬという事」

「死んでもなお滅びぬものがあるという事」

でしょう。正にご自身のご命終を通してご主人が教えてくださっています。聞かなければいけません、その声を。

手を合わせるところに、念ずるところに、いつでも、どこでもご主人はともにあります。それが諸仏となったご主人との出会い直しです。

私は仏教の中でも浄土真宗という宗派に所属しています。浄土真宗では人は死後浄土に往生すると説きます。
その教えをそのまま聞くことができた時、私は最愛の故人にまた出会うことができると信じ、それまで今をしっかり生きようと往生浄土を願いながら現生を力強く生きる事ができます。
つまり、その信心と願いの先にある浄土は現生においてはたらいているのです。
私たちは現生において、仏様となった故人に出会い直しをしていけるのです。その時すでに死後に浄土という世界が実在するかどうかという観念はそれほど問題にならなくなります。

何が言いたいかというと私たちは今を生きているのです。そして仏教は今を生きるための教えなのです。

それをご主人は今、ゆこさまに伝えています。ご主人の声を聞いてください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お二人とも、お返事ありがとうございました。とても心に響きました。

主人には二度と会えないことはわかっていたのです。でもどうしたらいいのかわからなく、たまらなく寂しく、自分の心の置きどころがほしかったのだと思いました。

出会い直し とても素敵な言葉ですね。本当に大好きな人でした。
もう会えないと諦めるより、これからも今までの2人でいた心地よさの中で主人を感じながら、2人の子供たちの未来を、変わらず4人家族で見守っていきたいです。
そして、夢でたまに会えたらいいですね。

まさに、心落ち着く回答でした。
本当にありがとうございます。

少しずつ進めても、まだまだ立ち止まったり後退してしまうこともあります。
そんなときは、何度も何度も皆さんにいただいた回答を読みます。

また自分ではどうにもならなかったとき、お話させて下さい。

ありがとうございました。

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