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大切な家族

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

先日父方の祖父を亡くしました。私にはいとこもおらず、親戚も少ないため祖父を失ったことは想像以上にショックでした。父は元々家族と仲が悪かったために私達家族はほとんど祖父母に会うことがありませんでした。でも私自身は祖父母に何かされたわけでもないので、嫌いではありませんでした。たしかに祖母は頑固でワガママな所があったので幼い頃から付き合いづらい事は何となく感じてはいたのですが、祖父は穏やかでとても優しい人でした。しかし5,6年会っていなかった私達家族は祖父が余命宣告を受けていたことすら知らされておらず、亡くなった日にようやく知らせを受けました。とても悲しいです。どんなに疎遠でも私にとってはただ1人の掛け替えのない祖父でした。祖父は長生きだったので私は可哀想だったとは思っていません。ですが、死ぬ前に一度でいいから元気な私(孫)の姿を見てもらいたかったです。きっと本人もそう願ってたに違いありません。私は祖父が死んだ日(まだ知らせを受けていなかった時)祖父の夢を見ました。久しぶりに会った祖母は元気でしたが、祖父は庭の掃除をしていました。夢だったのでその時は特に気にとめませんでしたが、後で考えると祖父は私に何かを伝えようとしていたのかもしれません。私は祖父に会わせてくれなかった家族を恨んでいるわけではありません。気難しい父の家族を憎んでいるわけでもないです。悪意があったわけではないし、突然のことだったので仕方のないことです。でももしあと一度だけ祖父に会えていたのならこんな思いはしなかったでしょう。祖父が孫に会えずに死んでいった孤独と悲しみを考えると涙が止まりません。まだ子供の私はどうすればよかったのでしょうか?そして残された私達はどうやって生きていけばいいのでしょうか?死んだらそれで終わりなのでしょうか?お別れを言えず死んでいった祖父は私のことを見ていてくれるでしょうか?
夢でもいいからもう一度会いたいです。そして言えなかったありがとうとさようならを自分から伝えたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善い行いは後から追加することができる

Hannahさん、はじめまして。

Hannahさんの父方の祖父が亡くなられたのですね。
寂しくなられたことと思います。お悔やみ申し上げます。

さて、Hannahさんは祖父に最後のお別れが言えなかったことが気になっておられるのですね。

Hannahさんの想いは供養を続けることで故人に伝えていくことができます。
仏教では追善供養(ついぜんくよう)と言います。故人が生前に行った善い行いに加えて、遺族が供養を通じて善い行いを追加していくことができます。

ここで言う善い行いとは、故人を想い続けることも含まれます。
Hannahさんが故人に対して追善供養を続けていかれることを祈念しております。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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亡き人に出会う

ご相談拝見しました。
まずもって祖父様のご命終、謹んでお悔やみ申し上げます。大変さみしい思いをしているのですね。

しかし、「死んだらそれで終わり」ではありませんよ。だからこそ、Hannahさんの胸の中には今も祖父がおられるのでしょう。そして寂しい思いをさせたのではと自分を責めているのでしょう。

それでも後悔先に立たず。今からできることをしていきましょう。今できる事は祖父から学んだことを受け継いでくこと。
そのためにはきちんと祖父のことを知ることです。

祖父の人生は「孫に会えずに死んでいった孤独と悲しみ」だけのものだったのでしょうか?

そう言い切ってしまうのは厳しい言葉で言えばあなたのおごりであり、偏見です。

確かに会えずに寂しい思いもしたでしょう。ですがそれは人生のほんの一面です。大部分をみてきたのは共にいた祖母でしょう。もっというなら祖母ですら知らないお付き合いもあったかもしれません。
嬉しいことも楽しいこともたくさんあったでしょう。沢山の思い出にあふれたかけがえのない尊い人生だったことでしょう。

祖父がどんな人生を送って来たのか。聞ける方に是非お話を伺ってください。

そしてその祖父の人生から多くを学んでください。

そしてかけがえのない命の最後を通して教えてくださった仏法にも出会ってください。

仏法は次のとおり教えてくれます。

人生は思い通りになりません。

その思い通りにならないということの究極が、人は生まれたらやがて死ぬということです。

思い通りにならない私が今ここにこうして存在させていただいているのです。

それが 有り難い ということです。

死んでもそれで終わりではなく残されたものに受け継がれるものがあるのです。

Hannahさんの心の中には今も祖父がいるでしょう。これからは手を合わせるところ、念ずるところに祖父が仏様となってはたらいてくださります。

これからも出会い続けてください。

亡き人の声を聞き、今、亡き人に本当に出会っていく。それが供養というものです。

たんに形をととのえて供養すれば善いということではありません。後から供養すれば生前の後悔をなかったことにできるというものではありません。

寂しさを縁として仏法に出会い、祖父とも出会い続けられますよう念じております。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
今日お葬式があります。
きちんとお別れをしてきます。
そしてこれからも供養を続け、感謝を伝えた続けたいと思います。

「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

母が恋しい

3年前に亡くなった母に会いたくて仕方がないです。 当時の私は高校3年生の受験真っ只中で、母の死にうまく向き合えず、心の整理がつかないまま大学で3年を過ごしてきました。 就職活動にあたり、自分の将来を思い描くとき、無意識に母がいる姿を想像してしまい、それが叶わないことに気付くと辛いです。 また、最近は毎日夢で母の姿をみます。夢から覚めてすぐは、やっぱり実家はいいな、久しぶりに帰ろうか、母に会いに行こうか、と考えるのですが、しばらくしてもう母はこの世にいないことに気づいて毎日泣いたり吐いたりしています。 この3年間、実家に帰る機会は何回もあったものの、仏壇の前に座って母の遺影と位牌をみて拝むことがほとんどできません。なぜできないのか自分でもわかりません。怖いのかもしれないし、認めたくないのかもしれません。自分でもよくわからず、苦しいです。線香もあげてやらない娘で本当に申し訳ないです。 夢で全く会わなかった時期はあんなに夢に出て欲しいと思っていたのに、実際に夢に見るようになってからは辛いだの苦しいだの言って酷い娘です。でも母に会いたくて仕方ないです。もう意味がわかりません。苦しいです。

有り難し有り難し 6
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故人に会いたい、話したい

親しい仲だった友人弟を亡くして暫く経ちました。 以前質問をさせていただいた時からは、少しだけ気持ちが落ち着き、日常も取り戻しています。 そこで様々な疑問や思いが出てきました為、また聞いて教えていただけたらと思います。 まず、故人とはまたいつか再会出来ると言っていただけましたが、その再会とはどの様なものなのでしょうか。 魂同士で見た目は持たないのか、それとも最後に会った時の肉体の見た目(お互い20代、今の姿)なのか… 私が彼の訃報を受け、お参りに行かせていただいた時には既にお骨の状態でした。その事からか、未だに全く信じられなかったり、肉体への執着心が消えません。堪らなく会いたくなります。 また、無知なので何を言っているのかと思われるかもしれませんが、死後の動きは宗派によって異なるのでしょうか?宗派の把握はしておりませんが、私と彼の家の宗派が違う場合、いつかの再会は叶わない、という事はあるのでしょうか…? そして、彼に聞きたい事が沢山ありますが、特に聞きたい事として、私の事をどう思ってくれていたのか、私とどうなりたかったのか。 現在恋人がいる為、あまり聞くことでは無いと思いますが…私を想ってくれている様な発言を何度か受けており、けれどハッキリした言葉ではなかった為、いつか再会した時に教えて欲しいと思っています。会話は、出来るのでしょうか。 彼に会いたくなってLINEのやり取りやSNSのアカウント、前に一緒に遊んだ時の写真や動画を見ては、彼が居ないことが理解できない気持ちと、もう会えないのか…と強烈な寂しさで苦しんでいます。 記憶力がよくなく、昔遊んだ時の記憶はおろか、数年ぶりに再開した今年の春、初めて一緒にお酒を飲んでとても楽しい時間を過ごしましたが、その記憶さえも薄れています。 彼とのわずかな思い出を忘れる事が、今は1番の恐怖で辛いことです。介護職をしているので、何もかも分からなくなる認知症には絶対になりたくない、記憶があるうちに絶対死にたいと思っています。自死は選びませんが、どうか早くに、とにかく早く人生の幕が閉じないかと願っています。若いうちに彼に会いに行きたいとも。 めちゃくちゃな文章で分かりにくく申し訳ありませんが、また回答をお願いいたします。

有り難し有り難し 3
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夫の包容力が恋しくてたまりません

夫を亡くしてもう少しで5ヶ月です。 共に過ごした12年間…喧嘩もたくさんしました。それでもなんだかんだ言いながら、私がたっぷり甘えていたのでしょう。仲良くやれていたと思います。 いまは一人で、二人の男の子を育てながら生きてます。というより、子どもが生きる理由です。 こどもの前では泣かないようにと思ってましたが、やっぱり無理です。それと、お盆に入って祭壇が設置されてから色々なことを思い出しては涙し、その都度子どもたちが慰めてくれます。駄目な母親です… 子どもたちを守らなきゃ!育てなきゃ!でいっぱいいっぱい。夫が生きてたときに子育てや色々なことに悩んだときは、『そんなに頑張らなくていいよ』と沢山抱きしめてくれました。 夫の大きな体で、包んでもらったぬくもりが忘れられません。寂しくてたまりません。寂しくなったら子どもたちを抱きしめてますが… きっと甘えなのでしょう。女性としての本能なのでしょう…大きな体で包んでもらいたい…そんな不謹慎な気持ちが浮かび、自己嫌悪です。人間として普通なのでしょうか。それとも、自分が単なる欲求不満なのでしょうか。 今後誰かと恋愛したりとかそんなことは、全く考えてませんが、この欲求がどうしたらおさまるのかわかりません…。もう一度会いたいです。

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亡くなったばかりのじいじに会いたい

大好きなじいじが2023年5月1日午後14:00に他界しました。89歳でした。 肺がんで進行が早く、口の中にまで転移していて、食べることが大好きなじいじでしたが最後の数日間は何も食べれず、飲み物しか飲めませんでした。 最後の最後まで‘お茶漬けが食べたい、ピザか刺身が食べたい’急に出なくなってしまった声を張って言っていました。 私たち姉弟に‘姉弟三人仲良くね’ 私の彼氏に‘結婚式までとても生きれそうにないや’‘朱里のことをよろしくね’そう言って大泣きしていたじいじ。 ばあばは‘みんなが会いに来てくれて嬉し泣きしたんだよ’と言っていましたが、じいじどんな感情で涙したのかな。 今までじいじから一度も弱音を聞いたことはなかったですが、最後のほうには‘あかり、じいじ死にたい’と言ったこともありました。 ‘朱里の結婚式までは生きたいやぁ’いつもそう言ってくれたじいじ。 どうしても叶えてあげたかった。じいじに一番見せてあげたかった。 急遽前撮りをお願いして、じいじの家で写真を撮りました。 その三日後に静かに息を引き取りました。撮影の日まで頑張ってくれました。 小学生時代、下校時にひとつ前の班で出ていたら亡くなっていた命。 心筋梗塞を二度もしていて、いろんなタイミングが合っていなかったら助かっていなかった命。 大きな交通事故をし、80%無理ですと言われた命。そのときは三途の川を見たと言っていました。 じいじは世のため人のために生きていたという印象があります。 どんなときも、生かされていたのかなと思えます。 楽しかった思い出しかないのに。笑っているじいじしか思い浮かばないのに。 どうしても、もっとああしていれば。こうしていたら。そんなことばかり考えてしまいます。 耳が遠かったじいじとあまりお話ができませんでした。 じいじは幸せだったか、みんなじいじのことをこんなに想っている。 話したくて伝えたいことがたくさんあります。 お葬式で読んだ【孫たちからのお手紙】ちゃんと聞こえていたかな。 私は何度生まれ変わってもじいじの孫でいたいです。 毎日毎日、じいじにあいたいです。

有り難し有り難し 13
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ