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主人の友人が自死しました

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こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。

先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。
もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。
しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。
Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。

突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。
それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。

そこで聞きたいことは、

49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。

お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。

お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。

私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。

の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。
長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたを全力で守ってくれるのはご主人です。

ご主人さまのご友人の自死、慎んでお悔やみもうしあげます。
私はご主人の気持ちや行動が、痛いほどわかります。
実は15年ほど前に、友人で会社の同期を自死で亡くしています。
友人に対する惜別の想いは、いまも鮮やかに蘇ります。
ですので、ご主人のお気持ちは痛いほどわかります。
やり場のない想い、それを「迷い」と一蹴するのは簡単ですが、
ご主人は行かなければ気持ちが収まらないのです。仕方がありません。
私は全く違和感を感じません。
気持ちが悪いとか、塩で清めるというのは、ちょっとご主人や、
そのご友人に対してどうかと思います。
奥様やお子さんがいても、自死を選択せざるを得なかった
ご主人のご友人に、思いを馳せると、どうか温かい目で見守っていただけないでしょうか。
お願いします。
よく、お考えください。

①四十九日までは中有と言って、あの世の行き場所が定まるまで、
要は閻魔大王様の前に引き出されて、地獄、天国か、
定まるまでの期間とされています。
ご主人行くことで迷いが深まるでしょうか。私はそうは思いません。
加えて、私のように阿弥陀さまを信じる浄土教の者は、
阿弥陀さまがすべて極楽浄土に連れて行ってくださると、
信じていますので、閻魔さまの裁きは受けません。

②清めの塩ですが、古来より殺菌効果がありますよね。
おもに神道において、亡くなってから本葬の間、
かなり長くご遺体を保存しますので当然腐敗が進むのです。
その穢れ(悪臭や腐敗)を防ぐという目的のために、
塩を使ったという説があります。
それが習慣となって清めの塩となったというわけです。
魂自体が穢れるわけではありませんよ。
私が属する阿弥陀さまを信じる浄土教では、
忌むべきものがありませんので、塩で清めません。

③自死は地獄堕ちの業というのは、迷信です。
死ぬ以外に解決策を見いだせないほど、悩む苦しむ人を救ってくださるのが、
阿弥陀さまですよ。苦しんだ人ほど、救われねばならない人なんです。
世間一般の常識が常に正しいとは思いません。

④友人のために真剣に悩み苦しむ、ご主人はあなたに何かがあったときに、
命がけであなたを守ってくださる方です。一生大事にされてください。
特に接し方を変える必要もないでしょう。そのままで、
これは、私の勝手なお願いですが、ぜひとも、ご一緒に
ご供養されてください。南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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死者と生者、迷っているのはどちらか

こんにちは。
ご主人のご友人のご命終謹んでお悔やみ申し上げます。ご主人もご友人のご家族もさぞお辛いことでしょう。それを見るつばき様もまた胸をいためておられるのですね。

私見ですが男の友情はあまり連絡の頻度は関係ありません。何年会わなくても友人は友人、会えばすぐに昔に戻りバカ話もできる。そんな関係かとお察しします。
今はご主人の気持ちを受け止め支えてください。

さて、ご心配の点ですが、人は死後に霊になる、とりわけ自死であれば悪霊にでもなるのでは?49日も納骨も済んでいない状態で関われば呪いや祟りや取り憑かれるようなことがあるのでは?

といったところでしょうか。

そう考えるのが人間の迷いというものです。死者が霊となって迷っているのではない。残された今生きている者が迷わせている、もっと言うなら自分が迷っているのです。

だからこそ、ご主人はご友人のご家族の迷いを支えるため、そして自らの迷いも断ち切るために足を運んでいるのではないでしょうか?
49日たたないと成仏しないのではありません。49日くらいたたないと残されたものが死を受け入れられないのでしょう。成仏させていないのはこちらの心というわけです。

自然死であろうが自死であろうが変わりません。一つの尊厳ある命の終わりから残されたものは学ばなければなりません。死を見つめ、死を受け入れる事によって仏法という真実に出会わせていただくのです。

真実は事実です。事実でないものは迷いです。迷いは迷信を生みます。

清め塩は必要ありません。死は穢れではありません。穢れでないのであれば清める必要もありません。
むしろ汚れているのは今生きている私たちです。自らの都合で死者をご先祖様と崇めてみたり、悪霊と忌み嫌ってみたり。
亡くなるいうことはそういう汚れた娑婆(この現実世界)でのいのちを終えていかれたということです。そしてもう迷うことのない仏としてはたらいてくださります。

仏が教えてくれるのは真実です。

人は生まれたら死ぬのだぞ
死んでもなくならないものがあるんだぞ
死は避けられない思い通りにならないものだけど、その思い通りにならないはずの私がいま有り難くここに存在してるんだぞ

と教えてくれます。是非ご主人に寄り添い、共に仏法にであってください。

そうすれば死者を迷わせる自らの心に気がつくことでしょう。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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塩でのお清めについて(回答へのお礼欄の疑問について)

つばきさん、はじめまして。
横入りで失礼いたしますが、回答から生じた疑問について私の解釈で少しお話しをさせて下さい。

私の所属する寺院では、お墓などでの読経の際に塩でお清めをします。
そして、私自身もご葬儀などから帰山した際には、必ず香を焚き、塩を使って身を清めます。

その理由は、死を穢れとしてみなしているからではなく、むしろ反対で、
様々な感情にとらわれている私たちが清浄な仏さまといつもつながっていられるように、そして故人をきちんと仏さまの世界へお見送りできるように、自分自身を浄化し、よりニュートラルな状態へと戻すためです。

人が亡くなるとき、その人生の中に背負ってきたものから一気に解き放たれます。悲しみ、苦しみ、未練…それを全て手放していくからこそ、故人は成仏できるのです。
僧侶は、各宗派の教えに則って葬儀などを執り行うことによって、また、それに立ち会うご遺族や参列者の方々は、故人へ哀悼の意を表し、供養をすることによって、故人が成仏するお手伝いをします。

誤解を恐れずに言えば、娑婆世界に残された私たちが様々な形で「故人が人生において背負っていたもの」を認め、祈りや供養というかたちで表現し、それを通して心を癒し、とらわれの感情を手放すからこそ、故人の成仏は成り立つのです。

故人の死に納得がいかず、ずっと負の感情にとらわれ続け、その心の汚れでいつまでも自分を苦しめてしまう、ということが、故人の成仏の妨げ(※実際には、決してそんなことはありえないのですが、文字数の都合でこのように表現させて頂きます…)となってしまいかねない。そう考えて、私は、香や塩を用いて「自分の心の汚れ」をすすいでいます。

香典返しの清めの塩も、同様に「ご自身の心に残った悲しみをこれで洗い流して下さい」という意味が込められている、と解釈しています。

そう考えると、事故物件なども、吉武様がおっしゃるように、周囲の人間が負の感情にとらわれてしまう(=死者を迷わせる)からこそ、成立する概念なのかもしれません。

以上、ご参考になれば幸いです。

ご主人がありったけの悲しみの感情を表現し、それを手放すためには、Aさんのお宅に足を運ぶことが必要なのかもしれません。どうぞ、温かく見守って差し上げて下さい。
ご主人のご様子が心配でしたら、一度、一緒にご挨拶に伺ってもよいかもしれませんね。

合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

早速のお返事、ありがとうございました。

49日くらい経たないと死を受け入れられないもの、汚れているのは私たちの方……とても考えさせられました。
一生迷ってばかりだと思いますが、今現在は時間が気持ちを癒してくれるのを待ちたいと思います。

しかしお返事頂いて、新たな疑問があります。死は穢れではないなら、お葬式のお返し物に清め塩が付いて来るのはなぜですか?
自死や殺人事件があった物件を事故物件と呼び、忌み嫌うのはなぜですか?

吉武様
三浦様
妙香様

お返事ありがとうございました。何度も読み返しました。
主人のことは、自分の気の済むまで、見守ることにします。私も5年前に父を亡くしましたが、時間しか解決してくれるものはないかと思うので、見守っていたいと思います。

お塩の件も、ありがとうございました。目から鱗が落ちたようでした。
私は子供の頃から「お墓参りから帰ったら手を洗うもの」「お葬式や49日の済んでないお宅から帰ったら塩で清めるもの」と教わりました。なのでその行為そのものは、しなくては気持ち悪いものですし、今後もしてゆくと思います。しかし今後は妙香様がおっしゃったように、自分自身を清め、浄化するような気持ちで行いたいと思います。

今はまだ奥様もご家族様も落ち着かないでしょうから、しばらくしてから、主人と伺いたいと思います。

本当にありがとうございました。

「自死・自殺した人の供養」問答一覧

自死した妹の供養について

妹を自死で亡くしました。 四十九日法要も終わりましたがまだ混乱の中にいて毎日泣いてしまっています。たらればが止まらず後悔の日々です。 代々浄土真宗の家系で妹の供養もそのしきたりで行われましたが、わからないことがあるのでよろしければいくつか教えて頂きたいです。 ①浄土真宗では亡くなったらすぐ成仏の考えですが、それは生前仏様を信じた人でないといけないと聞きました。 妹も私もそこまで信心深い方ではなかったです。信心深くない人は亡くなったらどうなるのでしょう。魂があるのかどうかもわかりませんが、どこか彷徨って迷子になっていないかとすごく心配です。 ②他の宗派だと節目の法要に追善供養の意味がありますが、すぐに成仏する浄土真宗の節目の法要の意味合いを捉えかねています。故人を偲ぶのにも仏様に手を合わせる??の感覚がよく分からず…モヤモヤした質問でわかりづらくすみません。死を受け入れられず妹にはなかなか手を合わせられずにいます。 ③②と被りますが、浄土真宗に追善供養の考えがないため、もう妹に何もしてあげられないと絶望しています。成仏して苦しみも何もないなら大いに結構なはずなのですが、後悔の感情のやり場を失っています。エゴなのはわかっていますが気持ちが追いつきません。本当にもう何もできないのでしょうか。死別とはそういうことなのでしょうか。 混乱と絶望と後悔が繰り返しきてただただ苦しく虚しい日々です。何を信じて頼ればいいかもわかりません。 色々と的はずれな質問かもしれませんが、教えて頂けますと幸いです。

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納骨のときのご供養について

今年の夏に娘が自死しました。 4ヶ月がたち、なかなか起きられず泣き暮らしていたのが、少しずつですが毎日暮らせるようになってきました。 納骨のときのご供養について、お聞きしたいです。 うちは、お墓がなくお寺とのお付き合いがない家でした。私の両親は、宗教で嫌な思いをしているので無宗教、主人の実家はキリスト教です。実家は親戚との付き合いを断っていたこと、主人の実家とも疎遠ということもあります。 葬儀も、音楽葬で行いました。娘が亡くなってから樹木葬でお墓を作り、先日出来上がったと連絡がありました。心の整理がつかないのとまだおうちに置いておきたいこともあり、一周忌に納骨を考えています。 亡くなったのが九州だったため、こちら関西とは勝手が違い、骨拾いもご家族でしてください、こちらは一切口出しできませんと言われ、訳がわからないまま納めて連れて帰ってきたしだいです。 こんな感じの、なんとなくの供養でちゃんと成仏できているのか、娘が望んだ空の上でちゃんと幸せになっているのかが、今の気がかりです。 檀家さんでもなく、お寺とのお付き合いがないので、納骨のときだけお経をあげて頂きたいとお願いすることは、できるのでしょうか?私は、祖父母の家があったそばにあるお寺に、娘が亡くなるまでは何か不安なことがあると手を合わせに行っていました。無宗教で見送って罰当たりかなと今は行けていません。 常識はずれな質問で、本当に申し訳ありません。ただただ娘の幸せをずっと願っていたいです。これから先どのように供養していけばいいでしょうか。 長くなってすみません。どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 25
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妻の死について。苦しいです。

何度か相談させていただいております。 妻が自死してからもうすぐ2ヶ月となります。 仕事に復帰し、日常生活に戻ろうとしていますが、やはり妻の事を思い出して集中できず、夜も睡眠薬を飲んでなんとか眠っています。 こんなにも苦しい思いをするのがわかっていれば、もっと全力で助けようとすることができたのに。妻の調子が悪かったとき、自分の生活や気持ちを優先して100%の対応をしなかったこと。とても申し訳なく、どこまでいっても自分がかわいいのだな。と気付きました。 この苦しみはそんな自分に対しての罰なのかなと思っています。 今は、毎朝毎晩仏壇と妻の遺影に念仏をとなえています。 私も妻の実家も宗派は浄土真宗とのことでした。 妻が亡くなるまで、自分の宗派は知ってはいましたが、その教えなどは知りませんでした。妻も、知らなかったと思いますし、もしかしたら自分の宗派すら知らなかったかもしれません。 そんな妻も、亡くなってから成仏できるのでしょうか? 浄土真宗は、南無阿弥陀仏の心をもっていれば成仏できるというものだと理解しています。 妻は亡くなったときその心をもってなかったかもしれません。 残された者たちが、お祈りをすることで成仏できるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 33
回答数回答 1

心から供養できません

主人が自殺しました。まだまだ手がかかる子供達を残して。これからの成長が楽しみな子供達を残して。 あれから、生活が180度変わりました。残酷な生活へ。 主人の家族からは私の両親含め子供達までも殺人犯扱いを受けております。 他の投稿で仏様に導かれて極楽浄土へ行くとありましたが、その投稿を見ても自分だけ楽になってスッキリしてという思いが強くなりどうしても許す事ができません。 死に追いやったのは私のせいですが、ここまで生活してきて我慢ならない事がたくさんありました。なんなら私の方が全て投げ出して楽になりたかった…とさえ思ってしまいます。 しかし私はそんな事は絶対にしません。周りの人を苦しめるだけだから。 自分で死しか選べず逝ってしまった事はほんとに苦しかったね…ごめんなさいとは思って安らかにと思う反面、人生最大の裏切り方をされたという思いが交互にやってきてパニックになりそうです。 私は第一発見者でした。なので笑っていた顔も怒っていた顔も泣いていた顔も声も全て思い出せず、思い出そうとすると最期のあの姿しか思い出せません。 そして夜になると、暗いところに行くと思い出してしまいとてつもない恐怖が襲ってきてお風呂も寝るのも1人でできません。 なのに何故あなたは1人だけ楽になり、みんなから可哀想、可哀想と言われ、何故残された私たちは形見の狭い思いをしなくてはならないのですか? 夢から覚めて朝が来たら、あなたがいると希望を持ちながら、起きると現実に戻り絶望感からの目覚めになります。 このような事から、あの世では苦しまないで欲しいと思いながらも、心から供養する事ができません。これからの人生明るくなるとは到底思えません。 時が解決してくれると皆は言いますが、ごめんなさい、そうは今の所思えないのです。 自分でも、このような感情でいるのがほんとに白状な事だと思っていますが、やはり心から供養できないままです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 1

大事な人を助けられませんでした

配偶者の自死について。 経緯をプロフィールに書かせていただきました。 妻はここ数ヵ月調子もよく、手紙をくれました。「辛いときに寄り添ってくれてありがとう。何もできない私だったけどお陰でここまで成長できました。これからは二人で支えあって生きていきたいな。」という内容でした。 妻は繊細で人付き合いが苦手であまり仕事が長続きしませんでした。家事も、もう少し頑張れると思っていました。仕事のストレスもあり、家事のことやお金のことで文句を言いました。何もしないなら出て行ってくれてもいいんだよ?とまで言ってしまいました。 妻は逆に、辛いことがあるなら相談に乗るよと言ってくれましたが、謝ることができませんでした。 その後、新しい仕事がきっかけで妻の症状が悪化しました。私は、今回も時間が解決してくれるだろうと思い、仕事をセーブして様子を見ていました。ある日、携帯に20回くらい電話がありました。その時は仕事を優先してあまり電話に出ませんでした。翌日から在宅勤務で、今日乗り越えれば大丈夫と思っていました。早めに帰宅し心療内科へ行きました。医師に、消えてしまいたいと思うか聞かれ、妻は頷いていました。初めて抗精神病薬と頓服を処方されました。 帰宅後、妻は不安を口にしませんでした。親や友達に感謝の電話をしており、私に後ろから抱き着いてきました。私は、受診して落ち着いたのかなと思って少し安心していました。しかし、妻は結局薬を飲まずに行方不明となり、入水しました。 溺死は本当に苦しいと思います。それを選択したのがどうしても理解できず、辛くて苦しいです。 肺に水が入り息ができない苦しみの中、真っ暗な冷たい海の底に沈んでいきながら亡くなっていく様子を、夜寝る前や、ふとした瞬間に想像してしまいます。最後妻は何を思っていたのだろうと考えてしまいます。そのたびに苦しくなり、涙が出ます。 先日妻が受けようとしていた資格試験の受験票が家に届きました。最近は勉強が楽しくなってきたと言っていました。常に死にたいと思っていたわけではないはずです。症状が出てきたほんの数日さえフォローできていれば、防げたはずです。もっと優しくしてあげていれば症状がでることもなかったかもしれないです。行方不明から亡くなるまで2日あり、私が来るのをずっと待ってたのだと思うと本当に申し訳ないです。 妻は今楽になってるでしょうか?

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