hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

納骨の時に思ったこと。

回答数回答 4
有り難し有り難し 69

 はじめまして。

去年、83歳の母を自宅で見送りました。ガンでした。

納骨をする時がきて、お墓を開けた時に、中が湿っぽくて、暗くて
何十年か前に、納骨した父や祖母の骨が、蓋のない骨壺の中で赤黒くなっているように見えました。

きれいな母の骨を、こんな所に入れたくない。と、思いました。
と同時に、私も、骨になったらここに入れられるの? 嫌だ。
と思いました。

骨は、家に置いたままでは、いけないのでしょうか。?
それじゃ、成仏できないよ。って、親戚が言っていましたが。
なんか、嫌で嫌で、仕方がありません。

親戚とか、何人もで見てたのに、誰もそんなことを思わないみたいで。
変な人。って思われたとおもいます。
私の、感覚がおかしいのでしょうか。

どうか お考えを聞かせて下さい。

よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

千の風になって

千の風になって、という歌がありますね。
内容は私の信仰する浄土教とは少し違いますが、共通することもあります。

それは、お墓には居ない、ということ。

例えば浄土宗などでは、人は命が尽きると極楽浄土に行くと信じています。
そこで、みんなとまた会えるのです。
ですから心配しないでください。

なお、骨壷に蓋が無いようですが、私の地元では蓋もつけて置いてますよ。
また、遺骨を家に置いていても構いません。
ずっと置いている人もいます。
成仏できないなんてことはありません。

ただ、家も永遠に存在するわけではありません。いつかは長い間安心して置いておけるところに、遺骨を移してあげなければなりません。
なので、どこかのタイミングで、別れの悲しみが少し落ち着いた頃を見計らって、お墓などに収めることを勧めするのです。

お母さんはお墓には居ません。
極楽浄土から、あるいは、あなたの側でいつも見守っているのです。
位牌や写真などに話しかけてあげてください。
きっと聞いてくれますよ。
時々心の中で返事もしてくれますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

遺骨を自宅に置いておくことは問題ありません

また、成仏できない、などということはありません。

お墓は、死者のためにあるのではありません。

亡くなった方を思い出すことによって、今生きている人間が、自らの生き方を問い直すためにあります。
ですから、納骨しなかったら、故人が成仏できない、などというのは道理にありません。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。
このお坊さんを応援する

生命を学ぶこと…それが供養

お墓というのは遺族や知人友人がお参りするための指標です。お墓を作ることができない事情があるならまた別ですが、お骨をお宅の中で祀ってしまったら自分以外の人たちがそれぞれの都合に合わせてお参りできなくなります。このようないわばお骨の私物化はできるだけ避けるべきでしょう。

また、今となっては都市の真ん中に霊園区画があったり、ビルの中に納骨堂があるというのが増えてきましたが、元々は人間社会と自然界の緩衝地帯にお墓を作っていました。村、里、野(山)のうち里と呼ばれた地域です。自然界への入り口に埋葬することで、人間社会から自然へ還るということを感覚的に学んでいたのです。やはり事情があるなら別ですが、未練や執着を残すような方向性でお宅に止めおくのは良くないと私は思いますよ。

ただ、お墓の形には時代によって流行り廃りがあります。家族墓にしてもここ数十年のものですから、今の形にこだわる必要はないでしょう。綺麗に送ってあげようとするのは立派な供養の形です。仏教語で「荘厳」(しょうごん)といいます。…と言いたいところですが、実際問題として高価で気軽に買い直せるものではありませんし、みんなでお参りするものである以上、独断で変えて良いものではありませんので難しいところです。

さて、生物にとって死は恐ろしいものです。死ねば変わり果てた姿になってしまう…なんとなく嫌で当たり前です。そういう風に進化したのですから。それが本能です。でも、人はその恐ろしさに決着を付けないといけないのですよ。そうしないと辛いから。
そして自然界も怖くて当たり前です。人は自然のおどろおどろしさが怖いから人間社会というものを作り出したのですから。でも結局、人も自然の一部なのです。土に還るという言葉がありますが、土の中は暗くてジメジメしていて当たり前なのですよ。
嫌だから家に置いておいたとこで根っこの部分で死への恐怖は消えません。この機会にしっかり向かいあってみましょう。今こそ学ぶ時です。

日本人の伝統的な死生観を学ぶ糸口としてこちらがお勧めです。
http://bookstore.yahoo.co.jp/shoshi-131833/

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
このお坊さんを応援する

確かに暗い所ですね

拝受

お母様のご冥福お祈りいたします。

私はもともと在家から出家しておりまして
私も確かに子供の頃からお墓ってなんか暗いイメージがありました。

でも死ぬという事は奇跡的に精神と体が一つになっていた
この世を離れること

肉体は滅び腐れて虫に喰われカビてしまい自然に帰り
精神は帰るべき極楽へと向かうこと
それが死であり
逆らったところで人は死に対し無力なのです

綺麗な自宅にそのまま置いておいても何れ子孫に持て余され
埃にまみれて汚らしくなります
実際にはそういう事なのです
その内結局お墓がどこかすら忘れられ
末代にはどこにやられるかも知れたものではありません

うーむどうでしょう!?
お墓を建て直してみては?
今はいろんなデザインのものもあります
納骨堂が綺麗に保てる工夫をされているものもあるようです
お母様のお供養にもなります。
ご自分の納得のいくものがきっとありますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

 このたびは、私の思い悩んでいたことに対し、真摯にご回答いただきまして
ありがとうございます。

ひとつひとつ何回も読みました。ふと顔をあげると、亡き母の遺影が、いつもより
ニコニコしているように思えました。
なんか、涙が出てきました。

そうですよね、もし将来、私が亡くなり、遺骨を家に置いていたとしても、息子の代、孫の代と、
いつまでもあるとは思えませんし、息子の将来のお嫁さんも、迷惑かもわかりませんよね。
しみじみと感じ。

心が、すっきりとしました。
本当にありがとうございました。

「納骨」問答一覧

祖母を火葬しました

先日、祖母が亡くなりました。 火葬場で働く私は、自ら希望して祖母を火葬し、きれいなお骨となって収めることができました。 孫である私に火葬されることについて、親戚や知り合いからは「とても良いことだね、ばあちゃんも喜んでいるよ」、「そこまでしなくても」等、様々な意見がありましたが、お坊さんは身内が身内に火葬されることについて、どうお考えになるかお伺いしたく思います。 祖母については、私が生まれた時からずっと一緒に、一つ屋根の下で暮らしていました。いつも優しく元気で、自分より他人を優先する祖母でした。怒られたことは1度もありません。亡くなる数か月前から入院をしており、私がお見舞いに行った1週間後に亡くなりました。 大変お世話になった祖母を自ら火葬したことについて、後悔はしていませんが、ふとした時に「ばあちゃんは孫に火葬されてどう思ったかな」と考えることがあります。理由は、祖母は認知症が進んでいたこともあり、火葬場で働いていることを私が伝えていなかったからです。認知症は進んでいても、話の受け答えは問題ない時期もありましたので、火葬場で働いていることについて、祖母はどう思ったのか聞いておけばよかったと、今になって少し気になっています。 お手数をおかけしますが、ご回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

父の納骨について

昨年、父が80歳で他界しました。 残された母の住む実家から、車で2時間半のところに父の故郷があります。父は長男で2人の姉も嫁いでおり、田舎の家は人手に渡り親族は住んでいません。その田舎に先祖代々のお墓があります。すぐ近くの小さな墓地で町内の方が管理されているようです。 すでに遠方に嫁いでいる私の負担を考えてか、父は生前田舎の墓じまいを考えていましたが、自分のお墓はどうするのか決めかねていたようで、本人の意思は聞けないままでした。結局、母の意向で母方の親族が供養されている都心の大きなお寺の納骨堂へ納骨しました。 月命日に母とそのお寺にお参りに行っていますが、今になって田舎のお墓にも分骨してあげればよかったと後悔しています。物忘れが激しくなり急に頼りなくなってしまった母も、「前にも言ったと思うけど…」と定期的に父のお墓のことで後悔を口にします。 今、私の家には手元供養にと片手の掌に乗るほどの小さな骨壺の中に少しだけ父の遺骨があります。その遺骨を父の田舎のお墓に納めて、墓石に名前を彫ることができないかと今頃になって真剣に悩むようになりました。すでに納骨堂へ納めていること、お骨が少量であることから、納骨式は行わずに石材店に依頼して納骨と彫刻だけお願いできればと考えています。その地域の石材店に電話で問い合わせたところ、最近はお寺さんにお経をお願いしない方もいますよとのことでした。 そのお墓は近くに住む父のいとこが墓守りをして下さっており、私達も毎年お盆にはお参りしています。 自己満足のための非常識な行為にも思えますし、親戚に相談したらどう思われるだろうか…と考える一方で、ほんの少しのお骨でも祖父母の元に帰してあげたら、父も祖父母も喜んでくれるのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。 もう納骨を済ませたのだから、このような行為は控えるべきでしょうか? 長々と申し訳ありません。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ