hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

知識は救ってくれない。

回答数回答 3
有り難し有り難し 29

自灯明 法灯明なのですが、
どんな素晴らしい教えも
その教えを鵜呑みにするのではなく
本当にそうなのかを自分で掴みにいき確かめないといけない
と、思うのですが、

もうここで聞くのが間違っているのですが、
自分に自信がありません。
だからいつも知識に走ってしまいます。
知識しかつかまないから
何も身にならないわけです。
でも自分ではわからないことがあって不安です。

それを聞くことが間違ってるのは承知なのですが
自分で掴むことの
アドバイスください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

知識を求めるのではなく、行き先と道のりを求めよう

んー…知識を知識で終わらせるから何にもならないのであって、道を求めること自体を否定するのは間違いですよ。道元禅師も『典座教訓』という著書で「小参という問答が開催される時は積極的に参加して質問なさい」と書かれています。『正法眼蔵』「佛教」の巻では「教外別伝だから必要ないと言って経典を一切勉強しない奴は仏弟子じゃない」とさえ書かれています。丹下師のラベルがピンときていらっしゃるようですからお借りしますと、知識を知識のための知識にしてしまっているのもまたラベルなのです。納得しました、満足しましたハイ終わりで止まらず、やりゃええんです。やった方が楽なんです。

私が修行道場1年生だった時、こんなことがありました。台所係の和尚さんがお米の分量を間違えて朝ごはんのお粥が足りませんでした。普段から五分粥くらいの薄いお粥なのですが、その日は五分粥が山盛りに見えるほど薄いお粥でした。
上山したての新米修行僧にとって食事は唯一の楽しみです。と言いますか、常に空腹で食事が終わった直後からもうお腹が空いている毎日です。
一緒に配膳係として準備していたA君がマジギレします。「ふざけんなよ!こんな米入りスープみたいなモン作りやがって!!」それを聞いて、私はかつて大学で習った一文を思い出し、つぶやきました。「米がなければ粥を食い、粥がなければ重湯を食う…か。。。」するとそれを聞いて隣にいたB君が叫びます。「そうか!これがそういうコトなんだ!!これが修行なんだ!!!これで良いんだね!!!」しかしこの教えを知らないA君は相変わらず「米がなければ粥も作れねーよ!」とヘソを曲げていました。

知識は「アッチ、東京、コッチ、大阪」と行き先を示す道路標識のようなものです。いくら標識をコレクションしたところで東京や大阪が自分の所に近付いて来るわけではありません。しかし標識が無ければどこにも行けず、ただ不安になって心まで迷うだけです。知識が救ってくれるわけではないけど、知識が無ければ努力もできないんです。なんせ知識を捨てよということ自体もまた、その時点では知識なのですから。結局は中道なんです。依存してもいけないし、拒絶し過ぎてもいけない。

本当は文字ではなく、お寺でお坊さんの背中を見ながら自然と修行の心得を学んでいくのが良いのです。ご縁があればゼヒ。

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
このお坊さんを応援する

大丈夫

あなたはよく分かっています。
それで大丈夫です。
自信が無いのは皆同じです。
自信というのはたくさんの経験があって生まれるものですから。これからいろんな経験を積んでいけばいいのですよ。

日常生活を精一杯努めてください。
あなたの言われる通り、仏教は知識と実践です。
ですから、日常生活の中で実践していけばいいのです。
明るく、正しく、仲良く、の三つの宝を心に保って、精一杯、あなたらしく、日常生活を送ってください。
これから、良いことも、悪いこともあるでしょう。
それらから逃げずに、そのまま受け止めて、歩んでください。
道に迷った時は、自灯明(自分の考えを頼りに)、法灯明(この世の理、法律、仏教を頼りに)、で正しい道を照らしてください。

それから、遠慮いりませんから、何でも聞いてくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

知識は大切です。

コアラ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教において、知識は、直接知覚(現量)と推論論証(比量)と二つにて説明することになりますが、仏教の修習を進めていく上において、後者の論理思考能力の向上を図ることは、とても大切なことになります。

つまり、何が正しい方法、実践であるのかを明らかにしていかなければ、いくら頑張って進めていったとしても、全く見当違いのことをしてしまっていたりして、無駄、徒労に終わってしまうかもしれないからであります。

ただ、何でも言われたとおりに、こう書いているからといって実践するだけではなくて、自分で論理的に検討して、十分に納得した上で進めていくことが大切となります。

ここで疑問を聞かれることも、論理思考能力の向上に大いに資することです。

構いません。疑問があれば、どんどんご質問下さいませ。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます、。
逃げてばかりですが
逃げずに受け止め、正しい道を歩みたいです
仏教は知識と実践なんですね。

ありがとうございます。
よく知識は捨てろって確かに聞きます。
でも、
無知が一番恐ろしいんですね。
自分のハートが知りたがってるなら
それでいいじゃないかと思って
行こうと思います。

ありがとうございます、。
逃げてばかりですが
逃げずに受け止め、正しい道を歩みたいです
仏教は知識と実践なんですね。

ありがとうございます。
よく知識は捨てろって確かに聞きます。
でも、
無知が一番恐ろしいんですね。
自分のハートが知りたがってるなら
それでいいじゃないかと思って
行こうと思います。

お寺いきたいですが、
健康に不安があるので、健康になっていきたいです

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ