hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きているのがつらいです。

回答数回答 4
有り難し有り難し 171

自分の価値が分かりません。
自分を大切に出来ません。
数年前から、毎日毎日、寝る前に「目が覚めたら死んですように」「明日こそ死ねますように」と祈るようになり、朝起きるたびに「まだ生きてる」と絶望していました。
それでも、やりたいこと目指しているものがあったので、これではダメと鼓舞し未来をイメージするようにしました。
しかし、お前にはそれは許されないと戒めのように、プラスのイメージを持つたびに、大なり小なり突き落とされ続けてきました。
そのうち30歳までに死にたいと思うようになり、29歳のときに癌が見つかりました。
Ⅱb期の子宮体癌です。
抗がん剤と手術で根治する、と言われ絶望しました。
まだ、死ぬことが許されないほど苦しみ足りないのですか?
両親や友人に望まれ、治療を受けることにしました。
二月から抗がん剤投与が始まり、来月末に摘出手術を受けます。
周りの人達に心配をかけまいと前向きな発言もしますし、そのときは自発的に元気になったらやりたいことがイメージされます。
それでも、浮上すれば落とされの繰り返しです。
これ以上大切な人達に心配も迷惑もかけたくないから愚痴も言えないです。
けれど、毎日死にたいと思いながら生きるための行為を繰り返すのは辛いです。
やはり、一度死を渇望した私には心から笑って明るく生きる資格はないから苦しんで苦しみ抜け、ということなのですよね。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

突き落とし続けているものは一体何でしょうか

ユウさん
毎日毎日自分の死を祈って
毎朝起きたときに
生きている自分に絶望するなんて

本当に辛いと思います。

あなたの生きる力を奪い
自分の価値を分からなくさせてしまったものは
一体何でしょうか

“しかし、お前にはそれは許されないと戒めのように、プラスのイメージを持つたびに、大なり小なり突き落とされ続けてきました。”

ユウさんを突き落とし続けているものは一体何でしょうか

あなたは何かによって
自分の価値を分からなくさせられ
自分を大切に出来なくなっているのだと思います。

まずその何かを明らかにすることです。

その原因と向き合わず
無理矢理自分を鼓舞しては
苦しみを深くしてしまうと思います。

また
“これ以上大切な人達に心配も迷惑もかけたくないから愚痴も言えないです。”
ということですが
自分の苦しみを人に伝えて、人にちゃんと頼ることです。
迷惑をかけないのではなく
心配してくれて有り難うと感謝すること

弱さを隠して強がることは弱さです。
弱さを自覚し表現することが強さだと思います。

人は生まれながらにして尊いのです。
そして
ユウさんは両親や友人から生きることを望まれています。

また
死にたいという思いは
いのちが生きたいと悲鳴をあげているのだと思います。
是非自分の内面の声を聞いてみて下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

やがて死するべきものの、今命あるはありがたし

亀山純史と申します。このhasunohaへの投稿、ありがとうございました。このサイトへ投稿しようと思い、実際にこのように投稿したユウさんは、実は死にたくはないのです。本当に死にたいと思っている人は、このサイトに投稿はしてきません。なぜなら、このサイトは決して人の死を勧めるサイトではないからです。このサイトは生きる力を与えるサイトです。
さて、ユウさんは自分の価値がわからない、自分を大切にできないとのことですが、一体、人の価値はどこに見出せばよいのでしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんにも、寝たきりになってしまったご老人にも、そして障がいを持って生まれた人にも、みんなに価値はあるのです。仏教では、人は人として生まれてきたこと自体に価値あるとみています。原始仏教の経典の一つである『法句経』の第182番目には「 人として生(しょう)を受くるは難く、やがて死するべきものの、今命あるはありがたし」と説かれています。毎朝、目をさまし、「あー、今日も目を覚ますことができた。」ということ自体が、有り難い価値あることなのです。一方、仏教では私たちの人生は「苦」であると説きます。つまり、人として生まれたことは価値あることでありながら、その人生は「苦」であるというのです。これは、「仏様と出会うことができるいのち(人として生まれたこと)を頂いた私たちは、仏様に会う道を歩ませていただき、やがては仏様に出会いましょう。」ということです。
私の回答が、ユウさんに少しでもご参考になればと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

まずは治療に専念して下さい。

ユウ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「一度死を渇望した私には心から笑って明るく生きる資格はない」・・そんなことはありません。

「死にたい」と思うのは、何もユウ様に限らず、私たちも生きていく中において耐えられない程の悩みや苦しみに直面した時、そう思うことが少なからずあるのではないかと存じます。拙生ももちろんそう思ったことがございました。

それでも何とか私たちは色々と助けられて、支えられて、今それぞれ現に生きることができております。

そうです。まさに生きているということは、色々なモノ・コトに支えられて、助けられているということでもあるのでございます。

誠に脆い存在である私たち、命を絶とうとするならば、いくらでも方法があり、あっという間に絶つことができてしまいます・・

一方で生きていくというのは、本当に色々な助け、支えがないと難しいもので、互いに助け合い、支え合い、補い合い、分かち合っていかないと、とても保たない存在なのであります。

そして、それは、あなたも、誰かの支えになり、助けにもなれるということでもあります。ユウ様もご病気を治されて元気になられてからで全然構いませんので、何らかのできることで困っている者や苦しんでいる者の支え、助けになって頂けましたら有り難く尊いこととなります。これまで、つらく、苦しい思いを存分なされた分、きっと、色々な方の悩み苦しみも自分のことのようにご理解なさられることができ、何とかしてあげたい、少しでも癒してあげたいと思って頂けましたら、それが仏教においても滋養すべき大切な慈悲の心というものになります。

ユウ様にも当然に笑って明るく生きる資格はございます。資格というよりも、それもユウ様ご自身のお心次第でございます。後ろ向きなことばかり考えていては何も進展しません。簡単に諦めないで、少しずつできることから、あまり気負わず、焦らず、無理せずに取り組んで頂けましたらと存じております。

もちろん、やがて誰もが最後には死を迎えますが、どうか最後の最後まで生きて生き抜いてほしいと存じます。結論は最後の楽しみに取っておきましょう。

とにかくまずは治療に専念されて下さい。ご病気の完治を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

生きたいというエネルギーで生まれてきた

私は、輪廻転生や前世からの業を前提に考えるのが好きです。
それで言うと、あなた自身が前世で「生きたい」と強く欲して、「どんなに苦しくてももっと生きたい」とか「苦しんでもいいから人間になりたい」とか、そういうエネルギーを持っていたのではないでしょうか。
ですから、その思いが叶って、その身体、その場所に生きているのです。
私がこのような考え方が好きな理由は、自分自身の業(カルマ)の報いだと思ったほうが、他人のせいにして八つ当たりをしなくてよいからです。
あなたは、自分に幸せになる資格がないというような考えのようなので、不幸を他人のせいにしないという点で素晴らしいと思います。
生きる価値については、あなたは両親や友人に望まれて治療しているとのことですから、両親や知人にとってはあなたの命には価値があるのでしょう。
ところで、仏教の修行はベッドでだってできます。趣味として、人生の友として、仏教と親しまれてはどうでしょうか。
ちょっとした空き時間も退屈にはなりません。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

皆さま、回答いただきありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。

身体はまだ元通りとは言えませんが、何とかやっています。

たくさんの人のお役に立てるよう邁進してまいります。

ありがとうございました。

「生きるのが辛い」問答一覧

どうしていいか分かりません

いつも素敵なお言葉のお陰で幸せに生きております。前提としてこれは贅沢な悩みなんだと思います。 仕事も安定し趣味のイラストも沢山の人に見てもらえ多分幸せなんだと思います。ただ、私自身幸せというのがよく分からなくなりました。 前から好きな人がいます、私自身暇な時間が多くどうしてもその人を考えてしまいます(よくないことは分かるのですがなかなかうまくいかず....。) 少し前に会う機会があったのですが、私自身は人生で一番かというくらい楽しく笑顔で話せたのですが、好きな人はあんまり楽しくなかったようで、また少し距離ができました。 好意を持ってほしいですがこれは他人の気持ちなのでコントロールできないとは言い聞かせ、引き続き自分ができる範囲の努力をしていこうとは考えてます。 好きな人が他の人と楽しく話しているとどうしても悲しくなります。 私の悪いところで一般的に楽しいという事が最近楽しくないです。 ・簡単な会話やただ褒めるだけの会話 ・美味しいものを食べるとか、いいねが多いとか一般的に楽しいというもの ・孤独が好きなこと ひねくれているし人間関係が悪くなるのは当然だなと思いながら毎回こんな風に生きているので、最近何が何だか分からないです。 幸せなんだと思うんです、お金も生活も安定して好きなことして、。好きな人もいて好きな人は最近幸せそうで。 ただ、1秒でも好きな人にハグされたかったなぁ

有り難し有り難し 0
回答数回答 1

休めない五月を生きるために

いつもお世話になっております ここ数年、副業が複数ありフリーランスに近い働き方です 五月の労働時間は、週50時間を超えそうです 仕事上の成果も、おかげさまでそれなりに実を結んでいます 今までの経験を活かし、新人や若手を育てる役目も担える立場にもいます 相手や自分の未熟さを受け入れた上で、焦らずにじっくりと正しく成長に繋がる選択をする、相当の忍耐や心の広さも周りの重鎮・長老的な立場の方から教わり、なおかつシニア層の心身のケアをお返しして長期雇用継続を支えているような毎日です 毎日が自己実現のための勉強や経験、プラスの成果・収穫に富んでおり、有り難く充実しています 副業先からは「もう少し来てほしい」と請願されています そしてまた子育てもあります 腹を割って話す、本気で向き合う時間と労力の必要な時期です 子のいないところで、伴侶とも話し合いをし、お互いの方針への理解を深めようと思っています 親の背中からの子の言動に、頭を抱えてしまうこともしばしばです 悪い芽は早く摘む「今のままでは自立が遅れ本人にとっても親にとっても良くない」と感じた時は、折に触れて伴侶にもちかけたり、子にも心の内を打ち明けています 一時期干渉をし過ぎたこともありましたが、なかなか距離のとり方は難しくも、子どもの反発は成長のあらわれだともわかり、それほど自己嫌悪=凹まなくなりました 家の事は特に課題が多く、正直氣の休まる時間はもっと必要です 忙しさに追われるとますます余裕がなくなるため、週3〜お寺に伺い読経や御詠歌の稽古で心身を落ち着け、行事にも出仕しています 治療家からの助言 若手専門家 「自分のからだと相談」「今は(定期的なメンテナンスで)安定しつつある」 指導員級専門家 「体調が崩れる原因は頑張り過ぎ、とにかく無理をしないこと」「なるべく温存するぐらいで、ちょうど良い」 自分自身、心と体の健康バランスを保つために 「空白の時間をつくる」「何もしなくてよい時間」疲れを回復させる時間が必要だと思いつつ 有り難いことに仕事が入ってきます 過信をせず 仕事の調整が必要だと判断し 余力を持ちながら 5月を乗り越えたいです 仕事を受け貯金もし 学校への目標達成へ 走り続ける目先の得より 自分を大切に ちゃんとエネルギーを 残しつつ皐月も勤しむよう お坊さんからの慈悲のお諭しをいただけますか

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

学校に行くのがつらい、生きるのがつらい

こんばんは。見て下さりありがとうございます。 最近生きる気力がありません。 おそらく原因は数ヶ月前、仲がいいとおもっていた友人に裏切られたことです。 信じていたのにと、どうしようもなく勝手に思ってしまいます。他人に過度に期待を寄せすぎたのかもしれません。 自分にも非や自業自得な部分もあり、相性が合わないのは仕方ないことだと思うので、お互いのために距離を置いたりすること自体は普通だと思うのですが、最近その友人と友人のグループから嫌がらせのようなものを受けていて、私は写真を撮られること自体が嫌なのに勝手に写真を撮られて挙句の果てにはTwitter(鍵垢)に載せられたり、いろんなところで悪口を言われたりしていて、今まで信用していただけにとても悲しくてつらいです。 4月になってからクラス替えをしてその子たちとはクラスが別々になったのですが、廊下などですれ違う時にくすくすと笑われたり、わざと聞こえるように気持ち悪い、死ねなどと悪口を言われたりします。 私が気にしすぎなところもあるとおもいますが、気持ち的にかなりしんどいです。 言葉にするのが難しいのですが、宿題をしようかなと思った時に親に宿題やれと言われるとやる気が無くなるのと同じような感覚で、なにしようとおもったらいつも誰の声が聞こえる訳でもないのに誰かにそういったことを言われてる気がして、怖くなったりすべてに怯えてしまってなにもできなくなってしまいます。 頑張って生きようと思っても、誰かに生きるなだとか、あの子たちにしんでしまえと言われている気がして、苦しくて生きるのがつらいです。 私はこれからまともに生きていける気がしません。 どうしたら、今より楽な考え方で生きていけると思いますか。 お坊さんのお考えをお聞きしたいです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 2

行動への強迫観念?と推しへの不安

私は、自分のちょっとした行動が不幸をもたらすんじゃないかという不安にずっと取り憑かれています。 「不幸をもたらす」の対象は、自分だけでなく自分の大切な人だったりしてかなり苦しいです。 その行動一つ一つは大したことなく、「洗い物をしなかった」みたいな少し悪いこともありますが、大抵「ジュースの缶を左手で持った」みたいな本当にしょうもないことです。 どんな行動に対してそう思うのか、ということに決まりがある訳じゃなく、急に「こうしないと悪いことが起きてしまう」みたいに思います。 別に昨日はジュースを飲む時に缶をどっちの手で持ってもよかったけど、今日は左じゃダメって缶を持つ瞬間に思って、持ち替えたり、或いは間に合わなくてそのまま左手で持っちゃったり、という感じです。 ところで私は競馬が好きで、推しの騎手を応援するという楽しみ方をしています。 ですが先日、ある騎手の方がレース中の事故で命を落としました。 今まで怪我は見たことがありましたが、死亡というのは私の見ている中央競馬では長い間なかったことで、なんだかんだ帰ってきてくれると思っていただけに、とてもショックでした。私の推しではありませんが、推しの相棒とも言える馬の調教によく携わっていた方で、お子さんも産まれたばかりだったそうです。 そして改めて騎手という仕事の危険性を実感しすごく不安になりました。それでも競馬は楽しいし、見るのをやめるというのは亡くなった騎手の方にも、これからも頑張り続けるであろう自分の推しにも失礼だと思うので見続けますが……。 そして、その不安がそうさせるんだと思うんですが、上に挙げたような自分の行動が推しやその周囲のことを傷つけないか不安です。 回避できたらまだいいですが、行動を途中で止められず回避できないことも多いです。さっきもそうでした。 車は急に止まれないって言いますが、そんな感じだと思います。たとえばジュースを左手で持ったらいけない、って思ってもその時左手がジュースを持つ体勢に入ってたらそのまま持ってしまいます。 頭の中で「〇〇したらダメ!」ってなるのが、回避できるか否か微妙なタイミングだったりする時があるのも大きいです。 うまく説明できなくてすみません。 自分でも馬鹿だと思いますが、日常が少ししんどいです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日々を過ごすための気の持ち方

30代の男性サラリーマンです。未就学の子供が二人いるのですが、幸い私の仕事がほぼリモートワークで家事や育児もかなりこなすことができています。子供たちは勿論大事なのですが、例えばお風呂に入ろうだとかやらないといけないことを声掛けしても無視したり逃げたりと、正直うんざり気味でかわいくないなと思うことが最近増えてしまっています。内心一秒でも早く成長して好きなことを見つけ、早く家を出て欲しいです。 夜は夫婦日替わりで子供を寝かしつけ、20時には自由時間になるのですがやりたいことも何も無く、少しスマホをいじって21時には就寝してしまいます。昼のうちは夜になったらあれをやろうとか考えるのですが、いざ子供が寝ると何もやる気が起きず、眠くなるまで虚無のような時間を過ごしてしまうのがここ数年の悩みです。 妻は夜遅くまでネット上の繋がり等で好きな時間を過ごしており、それも妙に居心地が悪いのも私が早く寝るようになった原因な気がします。 最近、子供への苛立ちや妻との距離感、やりたいことも皆無な日々を過ごすにつれ、早く歳をとってさっさと死にたいという無気力な諦めのような気持ちが強まっています。 そんな自分の感情に向き合うのも疲れてきて、最近はイライラしたり子供に怒鳴りそうになったらあえて感情を抑えて無表情でやりすごす術を身に着けたので少し楽になってきましたが、より一層諦観が満ちて悪循環に陥っている感じです。 仕事に打ち込めればいいのでしょうが、生来無気力な人間なので労働自体が好きではなくそれも難しいです。育児のままならなさと比べれば仕事のストレスは極めて些細で心身の負担にならず、家族を養うのにも十分な収入をいただけていることはことは唯一の救いです。 振り返ると幼少期より怪しい宗教に借金にとろくでもない両親のもとで育たことで、期待せず自分の意志を殺して生きるのが身に染み付いているのかと思います。 長々と書いてしまいましたが、私のような不平不満ばかりの無気力な人間はこの先何十年もどう生きていけば良いのでしょうか。自分が恵まれた環境にいることは重々理解しており、甘えるなというのが回答かもしれません。自分の気持ちを前向きに切り替えて頑張るしかなく、きっとこんなところで人頼みにするようなことではありませんが、家族や周囲の人にこんな甘えた相談もできず、何かアドバイスがもらえないかと思い相談いたしました。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

仕事を変えてでも地元に帰るか悩んでいます

何度かこちらでお世話になっております。 前回は実りあるご回答頂き、誠に感謝いたします。 あれから根っこの問題について。 地元に帰る事について改めて考えました。 身内の事情も考えて、心機一転と安易な気持ちでと事前に下調べもせずに移り住んだ事は軽はずみであったと思います。 身内とも相談しました。 「私の事はよいから自分を優先して私たちの故郷へ帰りなさい」と言いますが、現に経済的支援や通院などの必要性が出ているので口でそう言われてもと思ったりもしてしまいます。 身内と共に帰るとなれば、私が養っていかなければならないのですが、それも悩みの一つです。 地元に帰っても長年続けてきた仕事は出来そうになく、全く違う分野の仕事になりそうです。 年収も減るのでその心配もあります。 同じ仕事を出来ない理由は特殊な施設で働いていて、数少ない求人が出ていても労働条件が基本悪いです。(有給を年間5日以上使えない、年間公休日について、時間外労働など)今の業界は職員の自己犠牲の上に成り立っている部分があります。 なので、同じ施設の求人が出ていても、ある程度選り好みをしなければ元の木阿弥ですので慎重になってます。(人不足は人間関係の悪化、雰囲気に影響する) この前履歴書を書いていたのですが、職歴が2枚目になってしまいました。 今の仕事内容はとても好きで、手足が自然に動くほど慣れ親しんだものです。一番の悩みは今の仕事の人間関係、大半の人の人柄です。 今の地に長い事居たら自分主義の適切でない利用者への対応など、価値観が自分に染まっていくのでは?と漠然とした不安もあります。そうならないよう自分を強く持ち続ける事の大切さも理解しています。 どうしても帰りたいのなら違う仕事でも挑戦してみるべきでしょうか? 自身の拙い社会人歴を振り返ってですが、、 地元(および近郊都市)でおそらく余程の万年人不足のところを選ばなければ、今より人間関係においては改善される可能性は高いのかなと思っています。 お導き頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

人のために生きること

人のために生きることってダメなことですか? 親が離婚し母子になってから、母に自慢に思ってもらえる娘であることを目的として勉学進路職業を決めて生きていました。他にも彼氏や友達、自分の手の届く範囲の人のために何かをすること、相手に嫌われないことを第1に生きてきました。 誰かのために生きていると、当然ながらその誰かはいつか居なくなることもあります。彼氏と別れる、友達と疎遠になるなど。その度、異常なほど心を病み、代わりを見つけたくなってしまいます。大人になるにつれ、それはどんどん加速し、あまりの落ち込みに仕事に行けなくなる、常に不安で涙がでる。そんな症状がでるようになりました。 先日、人生の目的の大部分を占めていた母が、見ず知らずの男性との再婚を希望したこと、それにより自分はその知らない男性の家には帰れず、実家を失うに等しい状態になったことに、頭が真っ白になりました。 突然、目的を失ったような感覚です。 彼氏や友達との別れ、母との距離に落ち込んでいると、必ずと言っていいほど、 人のために生きてるからダメなんだよ。自分のために生きないと。そのようなニュアンスのことを多くの人に言われます。 恐らく私は他人に依存している、そのような意味合いで言われているのだと思います。 確かに、生きる意味になってる人を失った時、周りから見たら恐ろしいほどに傷つき、目的を失うことで無気力になるのもわかっていますし、これを何度も繰り返すことは自分の心に良くないことも分かっています。 それから人のために生きることはダメなんだと思い、代わりを探すのをやめてみました。すると、ふわふわしてなんとも言えぬ不安に襲われ暴れそうになってしまいます。 生きる目的になる人を探さないと、心が安定しません。いけないことでしょうか?いけないのだとしたら、自分のために生きるってどういう状態を言うのですか?教えてください。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

新しい環境への不安で潰されそう

先週知っている人も全くいない土地に引っ越してきました。一度住んだことのある市ではありますが全く馴染みのない場所で実家も同じ市ですが車でも電車でも1時間以上掛かります。 引っ越した理由はマンションの購入、そして夫が以前の場所では勤務先まで2時間ほど通勤に掛かっていたので職場に通いやすくなること。 私は前の住居がとても気に入っていて一歳の息子がいることもありママ友がいたり、子育て広場があったり、近くの商業施設などが充実していたり、、、と本当は引っ越したくなくてかなり夫とぶつかりましたが、妥協も必要だろうと結局引っ越すことになりました。 (引っ越しても、近くにスーパーがある、子育て広場もある、駅にバス一本でいけるなど過ごしやすい環境が充実しているということ) 出来るだけポジティブに前向きに考えようとインテリア探しをしたり、引っ越しても新たな楽しい場所を開拓しようと息子を連れて出掛けたりしていますが、ふとした瞬間に今まで週3回ほど通っていた以前の子育て広場の保育士さん、顔見知りのママたちに会えないことを痛感し凄く寂しくて心が潰れてしまいそうになります。 まだ今の場所では子育て広場に行ったこともないし知っている顔も1人もいなくてこれからもずっと友達出来ないかもしれないと思うと切なくて涙が出そうです。 母に相談しても心配されるだろうし、夫には引っ越す時でさえもママ友は新しい場所で作っていくもの、今のママ友と離れるのが寂しいと言ってもそんな深い関係じゃないとあんまり気持ちを分かってくれなさそうで話しにくいです。 (といいつつ昨晩気持ちを、素直に話しましたが私を責めるわけでもなく友達できるよみたいな軽い感覚で、、、) 新しい環境なんてみんな緊張の連続であることは重々承知なのですがあまりに狭い世界で生きてる気がして辛いです。 今妊娠6ヶ月で更に一歳の息子を育てていて心がいっぱいいっぱいになっています。 不安ばかりが勝ってしまう新生活でどうにか明るい気持ちを持って新生活に臨みたいです。 ポジティブになりたい、元気に過ごしたいこの気持ちは常にあるのになかなかそうは行かず辛いです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ