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 貪欲 人として …煩悩とは

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 いつも気づきを教えて頂き有難うございます。受験生の息子の机上に
子どもなりに目標をかかげ[貪欲に!今は脱,恋愛至上主義,不動心〉それを見て、ぼんやりと自分の煩悩は…幼い頃の無邪気な自分に戻りたいなぁと思い出しながらもクスッと笑ってしまいました。日常を過ごすなか煩悩だらけの日々、感情をバランスコントロール?!しながら出来るだけ丁寧にと生活しています。  
貪欲,煩悩と 生きてくなかで、うまく付き合っていくには、ハスノハのお坊さま方は どう過ごされていますか? とりとめもない質問になりましたが教えて頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩とは渋柿の渋。渋を上手く生かせば実り多き人生に。

もっくぅさん、初めまして。

煩悩に悩まされる人間はあなただけではありません。私もです(; ・`д・´)

煩悩ゆえに人は苦しみ、救いを求め、教えを求めます。

煩悩ゆえに苦しみ、人は成長します。

煩悩ゆえに悟りの道へ歩もうとします。

煩悩も悟りへの道の入り口であり、成長の種であり、日々を生きる力と言えるでしょう。

生身の人間にとって煩悩を消し去ることはできません。

では、どうするか?

無理に消そうとするのではなく、どうしたら活用できるかを考えてみてください。

よくある例えですが、煩悩とは柿の渋のようなものです。
渋柿はそのままでは食べれませんが、吊るして干すと干し柿となり甘くて美味しく栄養価もある素晴らしい食べ物となります。

煩悩も同じ。上手く生かせば生きる糧となり、人生に彩りを添えます。

具体的な煩悩の活用法ですが……

私の属する真言宗の教え、真言密教には「五大願(ごだいがん)」という大切な五つの誓いがあります。

その二つ目に「福智無辺誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)」という誓いがあります。

その意味は、煩悩を消し去るのは無理だから、肯定して集めよう、そして集めたものを人々の為に使おうというものです。
簡単に言えば、「福」は食べ物や衣服、財産などの物質的な恵み、「智」は知恵や思いやり、優しさなど精神的な恵みを表します。

集めたものをそれらを必要とする人に分け与えるというのが密教の教えです。

他人に分け与える気持ちを忘れなければ(独り占めする心、貪る心を起こさなければ)、どれほど集めても構わないのです。
集めていくうちに、自分にとって本当に必要なものがわかってきます。そうすれば、自然とそれ以外のものを他人に与えることができるようになり、互いを尊重し、喜びを分かち合う共生の姿があります。

溺れば人生を翻弄する煩悩ですが、より良い人生をおくる為に活用することができるのも煩悩です。

煩悩を車のガソリンのように上手く活用して人生という道を走り抜いてください。
いい天気の時もあれば悪い天気の時もあり、良い景色もあれば、時に困難多き悪路を走る場面もある人生。ですが、様々な景色を味わい、なんだかんだで楽しみつつ前を向いて、道を走っていただければ幸いです。

合掌(^人^)

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未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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不断煩悩得涅槃

人間は精神(心)と肉体からなっているとし、煩悩の原因を肉体に求めるのが①苦行主義、精神のはたらきに見るのが②修定主義です。

①苦行主義
旺盛な肉体のはたらきが煩悩をおこす→肉体のはたらきを最小限に抑えたならば煩悩は静まる?→断食や苦行を行う→かえって頭が朦朧として意識が確かでなくなり人間としての正しい判断を持てない→これじゃダメ

②修定主義
煩悩がおこるのは精神があるから→美しい花を見て美しいと思う、しかし同時に美しい女性を見て恋人にしたいと思う心もある→美しい花を美しいと思う心すら失うことが悟りなのか?→そもそもこの方法では心のはたらきを無くそうとする心をもなくしていかなければならない→どこまでいってもなくそうとする心が残り、頭の中だけの遊びになってしまう→これじゃダメ

そうなんです。煩悩はなくなりません。おっしゃる通り「生きてくなかで、うまく付き合っていく」必要があるんですね。
お釈迦様だって人間ですから覚りを得て、入滅に至るまでは煩い悩むこともあったでしょう。
しかしお釈迦様は自身が煩悩を持つ存在であることに目覚めたのです。正に不断煩悩得涅槃「煩悩を断ぜずして涅槃を得」の仏道です。

しかし現在では煩悩を断つことを謳う系の仏道もあります。それらを否定するつもりはありません。しかし煩悩がなくなるとも私は思いません。試しに悟ったとされる高僧の方の講演にでもいって質問の時にケチョンケチョンに否定する暴言でも吐いてみましょう。きっとカンカンになって怒ります。はい、瞋恚の煩悩です。
だって私が私の力だけで怒ってるんじゃないんですもの。怒るご縁がととのって怒らせていただくんです。それもまたご縁でしょう。

そうなんです。煩悩とうまく付き合う方法とは煩悩存在である私をまるごと包む仏様の慈悲に触れることです。仏様の願いに気づくことです。
自らが煩悩を抱え、真実に暗い「無明」の身であることを知り、この身このままで救われる道があることを喜ぶことです。

幼い頃の無邪気な私たちは全力で怒り全力で泣き全力で笑い、それらすべてを喜んでいたのです。
大人になって賢いフリをしている私たちは怒りは嫌だ悲しみは嫌だと自ら煩い悩み苦しんでいるのです。

追記
ちょっと難しかったですね…力んで悩むことなく「ありのまま」でということで。縁によってはどんなふるまいもしてしまう私なのですから。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法さま 有難うございます。
何度も回答を拝読し自分なりにみ砕きながらも…

 追記を有難うございます😌 ありのまま在るがまま我がまま まだまだハスノハに寄り添い頂きながらも 吉武文法さま有難うございます。

 沙門さま はじめまして。なるほどです😌
一字一句と読ませて頂きました。有難うございます。

 私の煩悩…というか…できるだけハスノハで回答をくださった方々の お寺に行き御参りすることです。こっそり手を合わせに行きたいんです。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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