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自分を変えたい

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有り難し有り難し 13

私は昔から自分の事があまり好きではありませんでした。自分には実行力がなく直ぐに諦めてしまう。また、仕事などでミスすると直ぐに自分を責める癖があります。
そのような事が続くと、情緒不安定になったり、放心状態になったりして、家族に心配をかけてしまい、またそこで自分を責めてしまいます。
そして、どんどん自己嫌悪のスパイラルに嵌ってしまうのです。
また一時期自己嫌悪の思念が膨張しすぎて、自殺まがいな事もやったことがあります。
でも、自分はこの現状を改善したいです。そして、新たな自分を形成したいと考えています。
ですが、そこには必ず自己嫌悪の壁があり、毎回阻害されてしまいます。この自己嫌悪を壁をどうすれば打破出来るでしょうか。
どうか御助言を宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自己嫌悪の壁、壊すのではなく向き合う

こんばんは。私も以前はヤサイジンのようにひたすら自己嫌悪に陥り、鬱状態だった事があります。
鬱って、完璧主義な人がなりやすいそうです。私の場合は失敗することを極端に恐れ、必死になるのに、ひとたび失敗してしまうとガラス細工が粉々になるかのように、立ち直れなくなってしまうような感覚でした。

治そう治そうって頑張っても、どうせ治したところで俺なんて…と、行き詰まってしまいました。自己嫌悪の壁を壊したいのに壊せないジレンマ、良く分かります。

仏教は自己を見つめる教えです。こだわりを捨てて、心の平穏を求めていく教えです。その一端の浄土真宗の教えに触れて、私は前に進めたような気がしました。

浄土真宗の阿弥陀様は「そのままで救う」仏様です。
完璧じゃなくても良い。
自分を好きになれない私でも良い。
無理して自分を偽らなくて良い。
社会人として、ちゃんとしなけりゃいけない場面はたくさんありますが、仏様の前では素の自分をさらけ出したって、問題ない。
むしろ、素の自分ってどんな人間だったのかを良く知るきっかけでもありました。
私はガラス細工のように脆くて弱い人間です。いくら強がってもなかなか根本的には変わらないのです。でも、それが良いと言って下さる仏様だったり、教えに出遇い、救われたように思います。

自己嫌悪の壁としっかり向き合い、なぜ嫌悪するのかを考えてみて下さい。
人が生きていく上で失敗は付き物です。
失敗したらおしまいの人生では、常に気を張る必要があります。
失敗したら、そこから学んで次に活かせば良いのです。

失敗は、失敗した人にしかない貴重な財産です。
私の好きな言葉で、昔、某少年マンガ誌に連載されていたマンガの中で
「人の足を止めるのは絶望ではなく諦観(あきらめ)。
人の足を進めるのは希望ではなく意志。」
という言葉があります。
漠然とした望みを持つのではなく、しっかりと意志を持っていなければ、足を進める事はできないのです。失敗というかけがえのない財産を持って、少しずつ前に進んでいきましょう。私もヤサイジンさんを応援していますよ!

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有り難し
おきもち

みなさまこんにちは。 浄土真宗本願寺派の緇川(くろかわ)と申します。 ...
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「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

有り難し有り難し 7
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寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ