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夢精を予防する方法

回答数回答 3
有り難し有り難し 60

原始仏教や小乗仏教、南伝仏教では夢精さえ厳禁らしいです。
夢精を予防する方法を教えてほしいと思います。
苦行や節制、断食や瞑想によりチャクラを開き、一応プラーナも見えてきました。
もっともっと高みの世界を目指すために。
夢精をしてしまうことに大変困っています。
知恵を分けてほしいと思います。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

騙されています

おそらく何かで読んだのでしょうが、その本、すぐに捨てましょう。典型的なエセ仏教です。
上座部系最古の律蔵・四分律では「マスターベーションはN.G.だが夢精はしゃーない」という規定になっています。ハッキリ言って大嘘です。
そして殺生でもなんでもそうですが、原則として「結果の問題ではなく心の問題」です。夢精は自分の意思と関係ない生理現象ですので問題ありません。発想の段階で仏教的センスが欠片もありません。断言します。悪書です。

また、お釈迦さまは苦行や断食を「一通りやってみたけど意味がなかった」と言って捨てました。チャクラやプラーナという単語はインド哲学の中でも仏教以外の教派の用語です。仏教にもヨーガはありますが、それとは全く別系統のヨーガを仏教と勘違いしている人たちや、大きな声で「これは仏教です」と言い張っている人たちが好む単語です。私自身、タイ系上座部仏教の修行経験がありますが、チャクラやプラーナという単語は一度も耳にしていません

何から何まで仏教ではありません。擁護する余地のない外道です。

ついでに言うと上座部は独学禁止です。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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気にしない

自然現象と思って気にしないことです。
男性として健康ということです。
健康に産んでくれたご両親に感謝を。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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はて?

夢精すら厳禁。はて、どちらでお読みになりました?
であるとすれば、貴方の質問はそれ以来の王道の問題のはず。すでに解が示されて然るべきと存じます。
ただ、私から見ると、それに拘泥する方が妨げではないかと。鼻血とかオナラの類では?出るものは追わず。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

今のところ夢精予防のために節制を実践しておりますが未だ納得のいく答えが出てません。
気功や陽気、邪気などの難しい話しでも構いません。
戒律を守り、力のある行者様、是非知恵をお分けください。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ