hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

苦しみは本当に幻なのでしょうか

回答数回答 4
有り難し有り難し 46

ここで苦しみについての皆様のたくさんのお答えを拝読しました。
苦しみは妄想である、頭が作り出す幻であるというお答えに関して私はなるほどなと思いました。

だけど私にはこの苦しみが私が作り出した幻だとはどうしても信じられません。幻にしてはあまりにも強く、実体があり、私の力をはるかに超えていて抗いようがあません。
いくらお前は幻だと言っても、いつもそれは過去から私を追いかけてきて、私をあっさり捕まえてねじ伏せてしまうのです。なぜ私が作り出したはずの幻が、現実に生きる私よりも強い力で私を傷つけるのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追いかけてきたり、ねじ伏せられたりすることはない

苦しみは絶対に追いかけてきません。
あなたが思いだすとそこに記憶として悲しいとか辛いとか思うことがあるのでしょう。しかし、次の瞬間おいしいカレーを食べれば、カレーがおいしいと思います。その瞬間きれいさっぱり消えてなくなります。
マッサージに行けば、その時のイタ気持ちいい感覚しかありません。
たまたま思いだした瞬間に思えたというだけであって、苦しみが人を傷つけることはありません。事実に勝るものはないでしょう。
苦しいと思った時にそれが続くように感じている時には、間違えなく気持ちが「今」から離れ、思いの後を捕まえて追っているはずです。そういった様子に気がつかないと、事実より妄想を大切にしてしまうのでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

つぐみさま

苦しみは幻、ということ例えてみますと。
一枚の白い画用紙があります。
そこに一本縦に線を引きます。
そうすると右と左ができます。
線を消すと右、左もなくなります。
何もない画用紙に、線を引くだけで右・左が
生まれます。これが幻ということです。
頭が作り出す幻、というのは線を引くことです。
線を引くのをやめるか、消さない限り幻は、
右、左は消えません。
心の中で、いろいろな価値の基準や願望を
設定すると(線を引くと)、良い悪い、上下、損得、有無
きれい汚い、幸不幸、満不満、様々なものが作り出されます。
それらの結果、喜びや、苦しみ様々なものが生まれます。

画用紙の中心に円を描きます。
内と外ができます。
内側が自分、外は他人、周りの世界です。
もともと何の境界線もないところに、円を描いて
「自分」を無意識のうちに作り出しています。
その自分に名前や評価、レッテル、色々貼り付けて
自己像をつくり、それを自分と見なし生活しています。
何もないところに円を描き、自分を認めてしまう
ところが、苦しみの生まれる大元です。
自己像も幻です。架空のものです。
それを自分と見なしてしまうと、苦しみは続きます。
本当の自分は、画用紙に円を描く前の、
画用紙全体であり、自由に何でも画用紙に描ける力、
そこに現れたものを知覚できる力です。
こころ、意識、働き、力です。命そのものです。
形のない、規定できない、大きな力がつぐみさんです。
今の最先端の科学技術をもってしても、蚊一匹、
蟻一匹、命あるものをゼロから作り出すことはできません。
命は人の力、人智をはるかに超えています。
その人智をはるかに超えているのがつぐみさんでも
あるわけです。大きな力を備えてない訳がないと
私は思います。
自己像を自分と見なしてしまうのは、とても勿体ないと
思います。
「私が作り出したはずの幻が、現実に生きる私よりも強い力」
とありました。変ないいかたかもしれませんが、
それだけの「強い力のもの」を作り出す力が自分自身に
あるということでもあると思います。
怒りや苦しみはあってほしくないもの、歓迎しないものと思いますが
ただただ痛めつけるだけものではなく、
自分にとってとても大切なことに気づかせてくれるもの、
そこに導いてくれるものでもあると思います。
前回のご質問と合わせて、思うこと書かせていただきました。

{{count}}
有り難し
おきもち

地方の小さい町の小さいお寺の住職をしていました。
このお坊さんを応援する

しっかりとお向き合いなさって

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる思いよくわかります。自分自身にいつも苦しみはついてまわりますよね。それもこの世の定めです。あなたがこの世にいる事と同様に苦しみも存在することはいなめません。
人が生まれ、病いになり、老いていく、そして死に至ることはまぎれもない事実です。愛するものとは離ればなれにならざるをえませんし、嫌いなものとは必ずや巡り会います、自分の思い通りにならず、求めるものは得られない、それが人生でありこの世の中であると納得して生き抜くことができるならばその苦しみからは解き放たれます。が、しかしそう悟りを得られないのが人間です。
どの様な賢者であってもそれはなかなか超えることができない現実です。
であるならばいかにその苦しみを軽減できるかではないでしょうか。全てをありのまま何でも受け入れることは難しくとも今の現状をじっくりと見据えて自分の受け入れられる範囲にて受け入れていく、そして自分の生き方にフィットさせていくことは少なからずできるのではないでしょうか。
何でもやってみて失敗があるのが人生です。簡単には何でもクリアはできません。何度も試行錯誤しながら苦難に取り組んでいけるからこそが人生ですし、苦しみを乗り越えていくことにもなって参ります。
あなたの人生はまだまだ道半ばです。どうかご自分の人生の中でその苦しみにしっかりとお向き合いなさって頂きながらこれから大切な充実した毎日を過ごしそしてご成長なさって頂きたいと切に願います。
あなたの未来が苦しみを乗り越えて豊かな幸せ多い未来でありますようにと心よりお祈りさせて頂きますね。
どうかこれから未来に向かってしっかりとがんばってくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

幻のようなもの

つぐみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

全てが「幻」ではなくて、「苦しみ」も含めて、全てのモノ・コトは、「幻のようなもの」と仏教では表現されることがあります。

ポイントは、「ようなもの」、つまり「如く」であり、幻とイコールではないというところであります。もちろん、本当の幻もあります。蜃気楼とか逃げ水、夢の中での出来事など。

そして、幻のようなものではあっても、実際に効果的な作用、働きはあり、例えば、氷にさわれば冷たいし、火にさわれば、熱くやけどします。氷や火は幻だといったところで、我慢できるわけはなく、冷たいものは冷たいですし、熱いものは熱いというものとなります。

当然に苦しみというものも、その苦しみをもたらす効力を実際に体験している以上は、苦しんでいる事実には何ら変わりありません。

しかし、それらの苦しみは、どこからやってきたのか、と言えば、何も原因や条件も無いところから突然に現れるわけではなく、必ずその苦しみへと至らしめる因縁(原因と条件)があってのことであり、では、その苦しみをもたらす因縁を苦しみを滅する因縁に調えてあげれば、苦しみは当然に滅していくものにもなるということであります。

冷たくて苦しみになるならば、温かくする因縁を、熱くて苦しみになるならば、冷ます因縁をということになります。

苦しみを滅するのも、やはり因縁あってのこと。その因縁を調えるための教えが仏教となります。

是非、より仏教の修習を進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

皆様ありがとうございます。
きっと私は自ら過去に力を与えていたのでしょう。過去に事実以上の意味を上乗せして自らを苦しめていました。何も無い所に「こうするべきだった」と線を引いていました。理想のためにもっと出来ることがあったはずだと思っていました。これがまさに妄想だったんですね。
突拍子もない言い方ですが私はあの時の自分を追いかけたがっていたのかもしれません。
こういう形で昔のことを思うのはやめようと思います。あんな事も無駄ではなかったと思えるようなった時に、受け入れていけると思います。
本当にありがとうございました。

「苦しい・苦しみからの解放」問答一覧

妄想から抜け出したいけど…

私には強い妄想癖があります。 過去の辛い出来事がきっかけで妄想に逃げ込み、いつの間にか妄想の世界で生きていました。 妄想の世界は楽しいです。自分が凄くなったように思えるし、皆が良くしてくれる。しかし、最近は色々あって妄想が苦しくなってきてしまい、現実を垣間見ることも多くなってきました。そしてふと現実を見るとふわふわしたり心にぽっかりと穴が空いたような気分になるのです。 なんというか自分は妄想のしすぎで妄想の世界での自己の確立が過度になりすぎていたのかもしれません。しかし、先程も言ったとおり妄想の世界が苦しくなってきた今、現実とのギャップに悩まされることが多くなりました。 私もこれをきっかけに現実を見て自分を変えていかないと…。と思うのですが、楽しい妄想の世界が消えることや現実への恐怖感、理想の自分と現実のギャップ、そして妄想の自分とは違い、自分がない、現実の自分には凄いところなんて何もないということを突きつけられるからか苦しみや恐怖、焦躁感や自己嫌悪に襲われます。 正直、今までもこういったことはあったのですが、その度に妄想の世界に逆戻りということを繰り返していました。今回も下手するとまたこのような悪循環に陥ってしまうんじゃ…といった思いもあります。 どうすればこの苦しさや恐怖を断ち切ることができるでしょうか?どうすれば妄想から抜け出して現実を生きれるようになるのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

毎日不安で苦しいです

現在、お付き合いして10ヶ月ほどになる彼がいます。 彼とは半同棲で鍵をもらっており、自由に入って良い状態で信用されていると思います。 先日、彼が昔使用していたスマホが出てきました。 中身は見ていませんが、マッチングアプリが入っていることが見えてしまいました。 見た瞬間すごくショックで手が震えましたが彼はマッチングアプリをやるような人と思えず、見なかったことにしようと思いました。 しかし、やはりモヤモヤしてしまう為、アプリ欄を見てしまった謝罪と共に真相を聞きました。 すると「使ってないよ、すごく昔のスマホでアプリがそのままになっていただけだよ。ごめんね」とのこと。 しかし私からすると、彼女がいるのに登録したままいることに違和感があり、退会しないのか問うと「するよ」との返答。 私から聞かなければきっと退会すると自分から言ってくれなかったのだろうと思ったのと、彼女が不安に思っていることを無くそうと努力をしてくれないのか?と悲しくなりました。 アプリは私の希望で目の前で退会してもらいましたが、本当に使用していないのか、メッセージ欄を見せて貰えば安心できたかもしれない…と後悔しています。 古いスマホは、現在使用しているスマホの容量が足りなくなったから入れ替える為に使っていただけだよと言われ、それは本当にそうだと思うし、Wi-Fiに繋げなければ使えない状態でマッチングアプリを使用する意味がわからないので使っていないことは信じたつもりです。(彼女がいない時に使っている分には全然気にしないので、過去のことだと気にしないようにしました) 話は一応解決しましたが、そこから毎日ネガティブな妄想が止まらずにいます。 本当は浮気用のスマホで、とんでもない遊び人だったらどうしよう 最近家の中でもスマホを離さない気がする 浮気相手のLINEの通知は来ないようにしているのでは?など 今まで心から信用できる相手で不安になることがなかったのに、ここに来てこの一件で全てネガティブになり眠れない日が続いています。 終わった話なのでまた掘り返すのが嫌で我慢していますが、毎日苦しくて食欲もない日が続き、どうしたらいいか分かりません。 話して面倒と思われる相手ならそれまでの男というのもわかるのですが大好きなので別れることになるなら我慢しよう。と思ってしまいます。 安心できる言葉を頂きたいです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

生き方の正解がわかりません

よろしくお願いします。 少し前に父が亡くなりました。 兄弟が複数人います。 遺産相続で揉めに揉めました。あまりに酷いやり方に私と1人の兄弟は相続放棄し、結果的に傲慢な人たちだけが相続するという形になりました。 口ではこれからは母を守るし、詐欺にあったら助けるなどと夢物語ばかり上等なことを言います。 でも現実は、初盆の準備や片付けなど一切せず香典も出しませんでした。 昔から母の様子を見たりお墓参りをするのは放棄した側です。 相続した側から「貰える物は貰えばいいのに〜。面倒なことはやりたい奴にやらせておけばいい」と見下され笑われました。 兄弟の考え方に触れるたびに 真面目すぎて融通が効かない自分のことが嫌いになります。 終わってみれば相続した側は得しかしていません。 自分のために人が世話を焼くのは当たり前のことで、そこに何の感情もないようです。 本人はただあるがままに生きているので悪気がなく「俺の言う通りにしないやつが悪い」と平然と言います。 いつかバチが当たると思っていましたが、実際には得しかしていません。 最近は私の方がずれていておかしいんじゃないかと思い始めてきました。 間違った生き方をしているのは私の方で、感謝や慈悲なんて実はなくてもいいことなんじゃないかと… もう生き方がわからなくなってしまいました。 相続に勝ったと笑っている人たちのことを指をくわえて見ながら雑用をやっている姿を 我が子が見て育つと思うと、私のようになって欲しくありません。 私は頑張って相続するべきだったのでしょうか。 ズルさや傲慢は私が思うほど悪いことではないのでしょうか。 相続以外でもずっと損をしている自覚があるにも関わらず改善されないのは、やはり私に問題があるのだと思います。 でも生き方の正解がわからなくてすごく苦しいです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ