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穏やかな最期

回答数回答 3
有り難し有り難し 53

看取りまで入院をし
最期を病院で迎える母のことです。
今は 気切 のためも話しをすることもなく
経鼻からのチューブで栄養を摂っています。
そのような毎日の中 いつか迎える最期の日まで
少しでも不安や悲しみなど諸々の 負の感情を
取り除いてあげられ穏やかに笑顔で過ごせるのか
毎日 考えております。
穏やかに過ごせること・穏やかな最期を迎えられる
ようにするのには どのようにしていけば
良いでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それが子から親への愛であると伝わるように

暖かい手でおでこや頭を撫でてください。
胸のあたりに手を当ててやさしい言葉をかけてあげてください。
わが子に支えられたり、抱かれながらこの世を去っていくのは親にとっては大変な喜びです。
あなたがお母さまが亡くなるまでに沢山あなたから愛を送ること、時間を共有することがお母さまの死後、あなたを守る力にもなりましょう。
そして、人は無くなっても終わりではない、関係性は続いていくのだという事を実感できるでことしょう。

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おきもち

明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせる

 こんにちは。

 お母様、大変な状態で心配ですね。

 村上春樹さんの小説「1Q84」の中で、父の看病をする主人公「天吾」に対し、看護師さんがこんなセリフを言っています。
 「看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく震わせることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るい言葉を話しかけなさいと教えられます。理屈はどうであれ、それはきっと役に立つ事だからです。経験的にもそう思います」
 わたしもそう思います。

 あなたも、お母さまと直接会話ができなくても、お母さまに是非大きな声で明るい言葉をかけるようにしてみましょう。
 またあなたもお体をお大事にしてください。無理しすぎませんように。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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お母さまもご自分も大切に

さくらさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。

お母さまを看取らんとする状況にあるのですね。
文面からは、母親の死を受け容れよう、自分のことよりも母親を穏やかに旅立たせてあげようという思いが伝わってきて、私の心は暖かく、また切なくなりました。

話が出来なくても、眠っている時でも、大切な娘であるあなたがそばにいれば、お母さまはきっとその温もりを感じ、安心してくださるでしょう。

たとえ意識が無くなったとしても、何十年も一緒に過ごした娘の気配を、お母さまの全身の細胞が感じ、安らいだ気持ちになるでしょう。

そしてもし、最期の時にさくらさんが立ち会えなかったとしても嘆かないで下さい。ずっと看病してきたのに、その瞬間に立ち合えないという話はよく耳にします。嘆かずに、お母さんに感謝の言葉をかけてあげて下さい。

死を迎えても、人の生命は電気のスイッチのように一瞬で終わるわけではありません。特に聴覚は最後まで生きているそうです。だから、優しい言葉をかけてあげて下さい。

そして…お母さまだけでなく、ご自身を大切にすることも、忘れずにいて下さい。

★お礼を拝読して追記
肉親の最期など、誰でもそうそう受けいれられるものではありませんが、最初の返答であえて少し触れさせて頂きました。全く避けてしまっていると、そうなった時に動揺が大きくなるかもしれないと思ったからです。

いずれにしても、しっかりとお母さまに寄り添っていれば、後々の悲しみが和らぎ、受けいれやすくなると言います。そういった意味でも、出来る範囲のことをして頂ければと思います。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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質問者からのお礼

光禪様

温かくわかり易いお言葉を頂き
どうもありがとうございます。
母に明るく温かい言葉をたくさん
話してみます。楽しかった思い出と共に

私も元気が出ました。

浦上様 丹下様

回答を読み 涙がこみあげてきます。
まだ 最期 死についてはなかなか受け入れが
できないです。また 教えを頂くと思います。

とりあえず 今 を大事に
出来ること に励みます。

ありがとうございます。

「大切な人が危篤・余命宣告」問答一覧

生きている意味がわからない

夫を亡くして4年です。 長い闘病期間でしたが、話すことも出来なくなった夫に対して、私は側にいる事しか出来ませんでした。 当時、コロナで病院の面会は禁止となり、側にいることすら出来なくなりました。 1人で病室にいた夫がどんな思いで過ごしていたのか、どこが痛くて、どうして欲しいのか、それすらも聞く事が出来ないまま、最期は私の目の前で息を引き取りました。 なぜ、夫だったのか?と今でも思います。 私の家族の誰かから亡くなる人を選ばないといけないなら、私だったら良かったのに…今でも思います。 夫が亡くなった時は学生だった子供も、今では新しい家庭を作りました。 夫が亡くなり、もし私に何かあったら子供が1人になってしまうと必死に生きて来ましたが、その子供が新しい家族を持った今、私はもう全ての役目を終わらせてもいいのでは?と思っています。 自分の人生を自分で終わらせようとは思っていませんが、生きる意味も意欲も全くありません。 人前では平気な顔をしていますが、仲良く過ごす夫婦を見たり、ご主人の悪口を言える幸せに気づいていない奥さん方の話がどんどん私の心を黒く暗くしていきます。 夫が亡くなる直前に実母、夫が亡くなった直後に実父と次々に心から信頼できる家族を失ったことも私が誰にも本当の心を開かなくなった理由かもしれません。 ふと私はこれからずっと1人なんだと気づいた瞬間から絶望しかありません。 もう限界かな、と思っています。

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娘の結婚と義母の死去

お読みいただきましてありがとうございます。 私には何度かの流産を乗り越え授かった娘がおります。 小学生の時からパニック発作を抱えていて、断薬の中妊娠・子育てに入り24年。 このたび娘から好きになった彼と結婚が決まりました。 24年間パニックを堪えながらも次第に症状も消え、(娘の前では発作を起こした姿を見せないようにしてきました)旅行もできるほどになりましたが、 先月義母が急逝。今までは身内の葬儀もお骨を拾うことが出来ず休ませてもらっていましたが、今回はお世話になった義母のため最後まで立ち会いました。 葬儀後は、悲しみやパニックにならないよう娘の結婚準備に専念していましたが 持病的なものの再発をきっかけにどんどん体調が悪くなり、強張る体・胃の不快感・不眠症と、パニックも再発しそうな気配です。 仲良しすぎる娘がお嫁に言ってしまう寂しさを言葉に出せず、ずっと秘めていて 苦しくてたまりません。いい母親ぶってせっせと引っ越しを手伝っていますが 娘がいないところでは体調不良で起き上がれない時もあります。 娘の母親ならどなたも体験することかと思いますが、特にパニックを起こさないような心構えがありましたらご教授下さると幸いです。

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離別の苦しみに向き合うには

こんにちは。 初めて質問させていただきます。   以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。   いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。   ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。   自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。

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背中を押してください。

ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。

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大切な人との別れ

私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。

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母の余命宣告を受けて前に進めません。

1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ