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師を探すには

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先日「お坊さんになるには」の質問をさせていただきました。
marukoです。
お答えいただきましたように、師となる方を探したいと思います。
それで、質問させていただきたいのですが皆様はどのように師を探され、であったのでしょうか?
座禅などで少しお坊さんのお話は聞いた事がありますが、法話を聞いたりくらいしかお坊さんと接する事が思い浮かびません。
どのような所からはじめたら良いのか分からないでいます。
初歩的な質問ですみません。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

(正直)こんなことでぐらつかないで下さい(笑)

先ほどの回答でσ(^_^;)ずいぶんと誤解をさせてしまったようなので、訂正・追加回答です。
絵文字や顔文字も少ないのでニュアンスが伝えられず、悪く捉えられてしまったよう(´Д` )ですが一応こちらとしてはお笑いテンションで(^∇^)明るい語り口調で回答させていたいたつもりでした。
気を悪くさせてしまったようで申し訳ありません。m(._.)m
第一、別にあなたがロクでもないだとか、言ってるわけではありません(>_<)ので。
もしメールで届いていれば、もう一度明るい雰囲気でゆっくり読み直してくださいね。冗談冗談ともちゃんと書いてありますよ(´Д` )

ロクでもない、という言葉に悲しい響きを感じられたようですが、
ちなみに禅宗では、
仮に「貴様はロクでもない奴だ」と言われても、
「そうなんですよ、ロク(6)ではなくていつもゴロゴロ(5656)してますσ(^_^;)」
「バカもん、そういうのをロクでもないというんだ(^∇^)(笑)」
などと、師匠とトンチを効かせた“やりとり” 挨拶(←禅語 挨拶でご検索ください)が出来て半人前なのです。
老師が弟子に「あいつはバカもんだ・どうしようもないやつだ」(笑)と言うのも、
これもある意味で褒め言葉。
見込みがありそうな者を褒めつつ、いいぞ、しっかりやれよ!と叱咤激励しているんです。
世間でも愛嬌を込めて「あなたって本当にバカね(^∇^)」などと言ったり華道・茶道の世界では叱られることが華。
ハタからみると厳しく見えるかも知れませんが、互いに磨き合いつつ遊んでいるんです。
そういう柔軟心を養ってもらっているんだと理解してください。
何故ならば、上っ面の言葉を真っ向から相手にしてすぐ感情的になるようでは、心が折れやすい、揺らぎやすいでしょう。
あのくらいのふるい落としは当たり前にあると思っておいて欲しかったのです。
道場にはいれば、あなたの反応も伺われるのです。
それに、決意も見ているのですよ。marukoさんもどうか、つっかからずに(笑)
何を言われても食らいつく姿勢をどうぞお持ちになられてさらに一歩踏み出してください。
東京でしたら下記の参禅会を覗いてみてください。こちらの禅会はお優しい老師で、お弟子さんはとられないかと思いますが、それ以上の価値があると思います。
中野坂上成願寺 東京禅会
恵比寿 福昌寺 参禅会

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おきもち

行雲流水

maruko様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

行く雲の如くに、流れる水の如くに・・師を探し訪ねて諸国を遍歴する修行僧のことを「雲水」と申しますが、悟り・涅槃という厳しい道程の先にある山の頂へと登るためには、確かなる先導者・案内人・シェルパ、つまり師が欠かせないこととなります。

先日、世界最高齢にてエベレスト登頂を果たした冒険家・三浦雄一郎さんは、唯一人にてその偉業を為し得たわけではなくて、多くのシェルパ・スタッフの協力、支えがあったからこその偉業でもあります。

山頂を目指す場合、そのためのルートはいくつかあるものですが、山頂、その道程がいかなるかを知る者が、様々な経験や知識、条件を考慮した上で、登山挑戦者に対して的確なアドバイスを与えながら、山頂まで導いていくように、師は、修行者の機根・資質・性格等を見極めつつ目指すべき境地へ向けて導いていくことが大切なこととなります。

もちろん、登山挑戦者において、シェルパが力量不足であった場合、即命の危険へと繋がってしまうように、目指すべき境地へ向けて、師に確かなる力量があるのかどうかについて、常に修行者側からの慎重なる見極めも必要なこととなります。

チベット仏教における教えの中に、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え師の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返して、しっかりと納得した上にてその教えを修習することが大切なことになって参ります。

maruko様が、これまで仏教を学ばれてこられたことを更に前へと進める中で、例えば具体的な目標として活躍されておられる僧侶(例として瀬戸内寂聴師など)のお話を聞きに行ったり、アドバイスを求めたりする中で、いよいよ僧侶として進むべき道が見えて参られましたら、密富様のおっしゃられるように各宗派の本山や尼僧道場へとお問い合わせをなさられて、焦らずにじっくりと見極められながら、師をお探しになられると良いのではないかと存じております。但し、常に「菩提心」だけは忘れないように気を付けることが肝要ではないかと僭越ながらにも存じております。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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会えないお坊さんも

marukoさん、こんにちは。

だいぶ揉まれていらっしゃるようなので、もうすこし・・・。

坐禅を組みに行く、法話を聞きに行く、写経してみる、大衆禅堂にいってみる、宗派の東京別院をたずねる、お坊さん著書を読む、ホームページを検索。

現代日本は情報社会ですから、調べればなんとかなります。
が、インターネットをしていない寺院様もいらっしゃいます。
どうぞ散歩して、ふらっと立ち寄る・・でもけっこうです。怪訝に思われることもあるでしょうが、そこはそこです。それくらいのところから始めれば結構かと存じます。
ながーい付き合いですからね。勢いも大切かと存じますが、ご無理なさらず。。

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おきもち

臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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/maruko様。

先ずは、貴女がどの宗派の僧尼に成りたいのかを、お決めに成る必要が有りますね。
其処で、此れだと思える宗派が決まれば、其の宗派のご本山にお問い合わせに成る事をお奨めします。または、お近くの其の宗派のお寺様に伺われるのも宜しかろうと存じますよ。

其処からお始めに成るのが最良かと存じますが…如何でしょうか。

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おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
ロクでもない弟子になる事が前提でのお話、悲しい気持ちになりました。
ロクでもない人間とはどのような人間なのでしょうか。
ここでは、一般の物が普段は聞けないお坊さんに質問できる場所だと思い質問させていただきました。
私も甘いところはあると思いますが、お坊さんにあこがれる気持ちから入ることはいけないのでしょうか。
でも、私も甘いところがあるのは分かります。
反省致します。ありがとうございました。

丹下様、回答ありがとうございました。
私はある悲しい事があり、その中で苦しんでいた時にお坊さんの本を読んだりした時に少し心に光がさし、
救われた気持ちになり仏教ってこんな事を言っていたんだ、こんなに深い教えを伝えるお坊さんってなんて素晴らしいんだろう、
自分も同じような思いをしている方に掛け橋になれたら、、、と思いお坊さんってどうやってなるのかなぁ?
と思いました。まだ悲しみはすべて払拭されたわけではなく、テレビなどで泣いてる人を見るだけで勝手に
涙が出てしまうくらい弱い人間です。
なので、敏感になっているのかもしれません。
まだ、お坊さんの事何も知らず、どうしたらなれるのかな・お坊さんに自分の師はこんなに素晴らしくてこんな風に出会ったよ、という話が聞けたら嬉しいなぁという思いで質問させていただきました。
素晴らしいなぁ、って思えるお坊さんに質問できてつながれるのが嬉しく軽い気持ちで質問してしまったのも事実です。
お坊さんの修行がどれくらい厳しいのか・また厳しい修行でなぜ悟りが得られるのかすらもわかっていません。今はとても弱い人間で、心が折れやすいというよりは、ぽっきり心が折れている人間なので、お坊さんとはほど遠すぎる存在です。
そんな私がただ、なにかのきっかけになればくらいの気持ちで質問したのがおこがましかったのかも、と思います。
ただ、すみません。元気な心で明るい雰囲気で読める心ならhasunohaさんに私はですが来ていないと思います。
苦しいとか、悲しみがあるからお坊さんの教えが読みたくて来ています。
まだ、お坊さんには程遠い人間ですが、自分なりに少しづつお坊さんの教えに近づけたらと思います。
自分の甘さを反省し、邁進したいと思います。
東京の参禅会も参考にさせていただきたいと思います。教えていただき感謝いたします。
ありがとうございました。

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

僧侶になり、お坊さん便に加盟したいです

 現在60です。  最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。  まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。  どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。  そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。  僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。

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田舎の寺を継いだが辞めたい

はじめまして。 地方の田舎の寺を親から継いだ40代独身です。 20代で修行を終え、最近登記も済ませ、住職となりました。 姉(独身)と父(もう高齢化してきてます)と私の3人でやってます。 母親は檀家の紹介でお見合いし、父と結婚。しばらくアパートで暮らしてましたが、姉が産まれ、しばらくして、弟である私が産まれました。 その後、寺に入ってほしいと祖父母からの要望で、田舎の寺で祖父母と同居となりました。 母はそこそこ有名企業で収入もよく、当時結婚が当たり前の時代、相手はほかにもいたというのに、なぜ寺なんかに嫁いだのか・・・。 私らの子育てがあったので、仕事をやめ、寺で生活してましたが、慣れない祖父母との同居生活、加えて急に来る檀家の対応等で精神疾患となりました。 どうしても無理だと思った母を見かね、父は私らを連れて寺を出ることになりました。寺から1時間程度離れた別の場所に家を建て、そこで私らは育ちました。住所変更も済ませ、学校などもそちらの地元を出ました。 その後、私は専門を出て就職したのですが、父が病気にかかり、寺を継いでやってくれと頼まれまして、仕事をやめ、そのまま修行を終え、寺に入って住み込みで約10年ほどやってきました。 田舎の檀家寺になりますので、近辺のほとんどが昔からの檀家です。 付近の住職死亡後誰もやらなくなった無住の寺を代務でいくつも抱えており、その負担が私に全部来るようになってます。 朝でも夜でも電話もなく、いきなり急に来る檀家が多く、毎回相当なストレスを感じてしまいます。少しでも出れなかったり、いないと、なんでいないんだ?どうなってるんだ?と怒鳴る檀家もいて、もう寺にいたくないとさえ思うことが多いです。 葬式が入れば、戒名いらない、葬式だけ1日でやってくれ、寺に親が昔勝手に建てた墓があるから仕方なく、住職を呼ばないと納骨ができない・・・そんな感じの檀家がほとんどで、毎回対応するのがものすごい大変です。 今はまだなんとか父がいますので、いろいろ聞きながら、私が檀家の接客電話担当、姉は裏方で主婦みたいな感じでやってます。 もう姉も私も結婚は難しいと思ってますし、檀家は全部あわせると400件ほどおり、次はいったいだれがやるのか・・・。 できることなら私と姉はやめて、寺から出ていき、よそから住職呼んで継いでもらいたい・・・甘い考えなのでしょうか?

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鬱病でも仏門に入りたい

今年24歳になります。色々とあり発達障害、鬱病の診断を前々からされています。 もともと10代の頃から、おばあさんになって自分のやりたいことが出来なくなったら仏門を学んでみるのもいいかもしれないと思っていました。 通信制の学校を卒業し、やっとやりたいことをみつけ、SNSや動画を作ったり個人で活動をしていましたがメンタルも体調もよくならずやっと3年続けて折れてしまいそうです。 こんな自分を変えたいと思い、筋トレを始め、たまに仏教や神様のことについて調べて、自分を愛す、諦める、という方法を試したつもりでしたが 自分はだめだ、という固定概念が覆せずやりたい事、今まで楽しかったこともダメになってしまい これでは人を笑顔にするのはおろか、自分のことも幸せには出来ないと嘆いてばかりです。 バイトを始めれば人間関係が上手くいかず、働かなければ罪悪感に苛まれ、休むこともままならない中、 修行僧を募集しているお寺さんがあることを知りました。 ここで2つ疑問があります。 自分は、仏教について趣味程度の知識しかなく、学校にて学んだことはありません。 精神病について悩んでいる方も迎える、と言ったお寺さんがあることも知っていますが 自分を変えるため、自分のため、と言った理由でも、履歴書をちゃんと書いて、ゆくゆくは人の為に祈りたいと仏門に入ることは許されるのでしょうか。 また、大学に入って学ばなければ修行僧としての受け入れは、やはり難しいでしょうか。 まずは家でやれる写経や座禅、やってみました。 近くのお寺では説法会?など予定が何年も前からずっと更新されず体験出来ていないのが現状です。 頭の硬い私にはなかなか効果がでず、悪い言い方になりますがいっそ 厳しい世界でシバいて だめならシバかれた経験を生かし自分に強く生きていきたいと思っています。 女の体として生まれたので壁もある世界かもしれませんが、頑張りたいと想ってもいいのでしょうか。 お坊さん本職の方から意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

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得度に関して

私は、海外在住50代の女です。真言宗にて得度をうけたいと考えています。尼僧になるのが、目標ではなく これから仏道の道を歩み、学んで行きたいという決意です。自分でできる限り調べておりますが、女の得度については情報がなかなか見つからずにいます。師となって頂きたい方がおります。お遍路の大雨の中避難先ののご住職です。もし受け入れていただけるのであれば、年に一ヶ月くらい 住み込みで勉強させていいただきいと思っています。お手紙にて思いの丈をお伝えしたと思っているのですが、このように突然見ず知らずの一度お会いしただけの私のようなものが、このようなお願いを送って失礼はないのだろうかと一歩踏み出せずにおります。私の住む街の寺院名を仮にAとBとさせていただきます。 寺院Aには、ご住職にお願いしまして、お掃除をさせていただいております 週末外庭とお掃除、その後依頼されて納骨堂(期間限定)のお磨きをさせていただいており、2年が経過しています 特に感謝の言葉をお声がけいただくこともなく、自分自身の修行であり感謝の言葉を期待すべきでないと言い聞かせています。一度、ご住職に仏道に進みたいと相談したものの、写経に参加しなさいという回答のみでした。 寺院Bの先生は、私が得度を受けたいと思っている師の元で、修行をされています。それがわかったのは、その寺院にて避難させていただいていた同じ時に、いらっしゃいました。 この先生は、少しずつですがこの寺院にて学んで行ってはいかがでしょうと行ってくださいました。実際、専修学校にいくお金を今工面できないために、日本に行けない間は、こちらで学ばせていただこうと思っています ただ私は、どちらの檀家でもありません。同宗派とはいえ自分の寺院を一つにするべきとと思うのですが、いかがでしょうか?寺院AもBもご住職は、日本語でないため、日本本語の話す師のもとで得度し、前進していきたいと思います。 師を日本にもち、寺院Bの先生に学び 寺院Aにてお磨きさせていただいたいと思うのは、欲張りなのでしょうか?また、現実的な金銭的なお話ですが、得度をお願いする際に、どれくらい用意しておくべきかアドバイスいただけますでしょうか?、またその師には、毎月、または毎年お礼として上納するのでしょうか? まとまりのない文章で失礼いたします。 ご意見をお聞かせいたけましたら幸いです。ありがとうございます

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女性の在家の出家を認めてくれますか?

禅の独自の方法で集中的に在家修行をして、3年以上になります。6年前に大学院在籍中に、気づきの瞑想の型を習得し、研究で理論を創造し、理論を実践の内容とし、禅の独自の方法として理論を修行に応用化させました。 今の境地を顕すなら、宇宙の理を見ることができるようになりました。私がどういう仕組みで、どういう自然の流れで生かされているのか、理解できるようになったのです。この真理の構造を知る事によって、他者や物理的法則がどういう意識、又は秩序の構造か、知る事も可能になりました。 今、困っているのが、食欲が減退し、ご飯は無理矢理食べています(死にたくないからです。)、睡眠欲が完全に無くなり(今、書いている時間帯まで眠れません)、性欲も気持ち悪くなってから、追求しなくなりました。他者に配慮したり、他者のペースに迎合すると、忽ちに気力が無くなってしまいます。この時、呼吸も乱れて、身体に力が入らなくなり、動けなくなります。今は、生きるのに思うようには行きません。 出家したら、自分の主体が乱れるのも危惧していますが、このまま一人で暮らせば、誰も加護してくれない場合、私は生きていけるのか、漠然としたシコリがあります。出家の本来の意義は、生きるか死ぬかの狭間で、世に殺されない為、即ち、世との軋轢で自殺しない為にあると、ささきしずか先生の本で見たことがあります。私は、日本社会の隅っこで、唸り続けながら、死ぬしかないのでしょうか。出家するしかないのではないか、といつも思っていますが、何故か今は、念仏して拝みたい欲に駆られて、仏様の側に居たい気持ちでいっぱいです。誰か、助けてください。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ