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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

回答数回答 7
有り難し有り難し 168

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。

 素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。

 実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。

 このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

否定しない側の人間ですが・・・

質問に引き寄せられました。
荒唐無稽ですか・・・
幽霊の話、、、
私の宗派では、なんとなくこう・・スルーされてるような感じですね。
私の宗派は時宗です。

吉武師のおっしゃる通り「個人的見解」を尊重し合ってのことでしょう。

私は子供の頃、親父に蹴られ殴られ、罵られながら、鼻血を流してお経を覚えました。
「おのれ、ちゃんとお経覚えんかい。こんなんじゃ、ろくな葬式できるかえ。」
「ええか、ワシは阿弥陀さんの代わりに殴っとるんじゃ。」
阿弥陀さんてお経できんかったら殴るんか・・・仏って意外とヒドイな。
若干私は阿弥陀さんを恨んでました。

じゃあ、何が信心のきっかけとなったのか?
幽霊話からです。

本堂へつながる廊下、擦りガラス越しに白いものが通った。
なんやろって話してると、檀家さんから電話が鳴って、身内が亡くなったので枕経に来て欲しいとの事。
こんなのを、ウチのばあちゃんが何度か体験したそうです。
「亡くなってまず、阿弥陀さんにお参りに来たんやろう」ばあちゃんが話してました。

じいちゃんの無縁仏の話、檀家さんの話、まあ私の体験も含め、結局は阿弥陀さんに救われてんのやろなと、結論に達しています。

質問とちゃうこと書いて、申し訳ない。
余計なお世話かもしれませんが、伊藤さんの文章、面白かったです。

以上です。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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伊藤様へのメッセージ

相当危険ですが、あえて言葉で表現します。

「霊魂」を、その人をその人足らしめる本体であり、その人亡きあと肉体が滅んでもなお残るもの、と定義し、

「阿弥陀仏の救い」を、人が亡き後、阿弥陀仏のマジカルパワーでその「霊魂」を「極楽浄土」という理想世界が実体化したワンダーワールドに「転生」させること、と定義し、

「悟り」を、上記の内容を完全理解して信じ、それにより死後の大安心を得て、死ぬまでの人生でどんな苦悩が有ろうと屁とも感じない状態、と定義すると

「霊魂」の存在が「阿弥陀仏の救い」と「悟り」の必要条件となります。

が、

「阿弥陀仏の救い」と「悟り」はそういうものではありません。(と、私は思います。)

また、私はいくつかの回答で「霊魂の存在を否定」したことがあるかと記憶していますが、それは自らの求道の歩みから「霊魂などないと考えざるを得ない」という宗教的信念に至ったものであり、その質問に対してはそう回答することで質問者の誤解(と私は考えるもの)を解く有効な表現であると判断し使用したものであると思います。
ですので、私が全知全能の存在ではない事実に則しますと、『霊魂の存在については、「分からない」することが最も妥当』というあなたの意見は全くおっしゃる通りであります。

しかし、本サイトの回答は「僧侶の個人的見解」に基づいてなされるものであり、また私の意見が絶対ではなく、複数の僧侶が補完しあえるという環境にも鑑み、今後とも自らの宗教的信念を表現することをお許しいただきたいのと同時に、言葉の使い方には細心の注意を払うべきことを改めてお教えいただきました。

最後に、「阿弥陀仏の救い」を残された字数で私なりに表現すれば、「お前を救うぞ」という「阿弥陀仏の願い」を聞いて私が素直にうなずくことであります。

そこには「悟り」がわかった!「阿弥陀の救い」がわかった!とわかったものを握りしめる「私のはからい」は認められません。
私たちは「わかって」救われるのではなく「わからない」(ことがわかる)ことで救われるのかもしれません。

そう、ルソーの言葉にあるように

『私たちは無知によって道に迷うことはない。自分が知っていると信ずることによって迷うのだ。』

では、「わからない私」が何にすがるか。私の場合は「霊魂」ではなく「阿弥陀」であったということです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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心相続

伊藤様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

霊魂のことはこれまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/霊魂

問題は、霊魂というものも、何か実体的な、独立自存的な、永久永遠の不変的な何かを想像してしまうと、それは誤りとなります。つまり、霊魂も「空」なるものということになります。

「空」なるものといっても、じゃあ、何も無いのかと言うと、そうではないと拙生は考えております。

前世から今世へ、そして死後の来世へと続いていく、我々の普段あるような粗いレベルの意識ではない、心相続(心の連続体)、微細心というものが「縁起」的にあり得ていると考えております。

その心相続のありようを、できる限りより善いものとして、善い赴き、もちろん、悟りへと向かっていけるように仏様とのご縁、仏教とのご縁を大切に日々紡いで、悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかに調えて参りたいものであると存じております。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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誤解です +追記します

こんにちは。

 私は霊が見える方を否定することはありません。また霊の存在に肯定も否定もしません。

 悟りは霊的なものではありません。心の状態です。本当になります。
 霊魂の有無と悟りは無関係です。

追記の方が長くなりましたが、追記です

 輪廻についてですが、私は本当にお釈迦さまが、「医学的に死んだ」者が生まれ変わる、という考えで輪廻を説いたのか疑問に思っています。つまり生きているものが、心あらたに「うまれかわった」という意味で使っていたのではないか、と考えています。

アングリマーラの話があります。
 アングリマーラは、殺人鬼で、殺した人の指を首飾りにしていました。その後改心しお釈迦さまの弟子になるわけですが、ある時アングリマーラが托鉢していると難産で苦しんでいる女性がいました。 何もできなかったアングリマーラは戻ってから、どのようにすればいいか釈尊に尋ねると、釈尊は「私は一度も人を殺めたことはない(←これは真実ではないですよね) 、その徳によって母子は安全に出産できるだろう」と言うように答えました。アングリマーラはそれは本当ではないので功徳はないのではないかと疑問を伝えたところ、 「では、『私は<出家して仏弟子として生まれてから>一度も人を殺めたことはない』といいなさい」と答えました。アングリマーラがそのとおりに母親に唱えると、無事に子供が生まれた。という話です。
 ここでポイントなのは、<出家して仏弟子として生まれてから>とした所です。アングリマーラは、出家したことで生まれ変わった(輪廻した)とお釈迦さまは考えていた、と想像できます。

 もちろん、死んだ者が帰ってきた事はないですので、本当に死んだ後どうなっているかについてはわかりません。ですから医学的に「死んだ」後に、他の何かに生まれ変わっている可能性もあります。あなたの輪廻や霊魂の考えを否定するものではありません。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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否定することで見えなくなってしまうことってありますよね。

伊藤様
こんにちは。拝見させていただきました。

近代以降各宗派共に教義教学が整備されてきました。また西洋から哲学的な学問が入ってきた時に、日本のインテリ達は、霊魂だとかあの世だとかを語っている迷信的なものから西洋に対抗するために脱却して洗練された思想にならなければならないと思った人がいました。迷信的なもの前近代からの脱却、コンプレックスがあったのではないかと推測します。それはそれで洗練されて良い面もあったのですが、その結果教義も哲学的になり神秘的、俗信的なものを廃した高尚なもの道徳的なものになっていき、それらを下敷きにした学僧達によって我々は教えられてくるものですから、霊魂だのそういうわけのわからないものは仏教という高尚な教えの中にはないという考えが主流になってきたのです。お釈迦様はそんな俗信的な教えをとくはずがないなんて風に。輪廻に対しても同様です。そうなると浄土も怪しいものになってきて浄土はこの世のことだとか言い出す人も出てきました。

個人的には少なくとも浄土教は輪廻と魂の中で苦しむ衆生を救うために説かれた教えだと思っています。魂の汚れを持つ私たちは永遠に輪廻の苦しみから逃れる術がなく、だからこそ浄土へ生まれさせようとはたらいてくださる阿弥陀様の導きに出遇えた事へのご恩報謝の行を勤めさせていただく生活をおくることだと思います。

固定的な魂ではなく、「業縁によって変化し続ける魂のようなもの」だと思えば否定しなくなるお坊さんも増えるのではないかと思いますし、否定するお坊さんは私のような歪んだ人ではなく、教えられたことをちゃんと伝えようとする真面目なお坊さんなのかもしれませんね。大切なのはこういう相談する場所では特に霊魂という言葉の背後にあるその人の昇華されぬ気持ちを受けとめてあげることなんでしょうね。

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おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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整理しながら順序よく学びましょう

ん〜…やはり私が霊魂を否定していると見られていたのでしょうか。私はあくまで「分からない」派ですよ。詳しくはこちら。
http://hasunoha.jp/questions/12983
専門用語を使えば「断見と常見はどちらも極端」なのです。仏教はあくまで中道の宗教です。さて、ここらでちゃんと整理しながら学びましょう。

まず輪廻思想はお釈迦さま以前からあり、ヴァルナ(カースト制度)の論拠でした(浄土思想・阿弥陀信仰は後世の成立なので別軸です)。「お前ら身分の低い連中は過去世の行いが悪かったから低カーストなのだ。でも俺たち身分の高い者は過去世の行いが良かったから貴い。だから現世で俺らに盾ついても無駄無駄。せいぜい何回も生まれ変わりながら頑張れや」という話です。
これに対して「いや、ンなこと言ってりゃ世の中が良くなると思ったら大間違いだぞ」と言い出した人たちの1人がお釈迦さまです。

つまり、お釈迦さまが方便として輪廻を作ったという話ではなく、当時の支配的な常識と逆のことを言ってアレルギーを起こさせないよう、方便として当時の常識に寄り添いつつ、その中身をすり替えるという手法でした。
だからお釈迦さまはアレルギーを起こして離れていく心配のない弟子には「来世のことなんか考えないで修行しろ!」と叱り、1発勝負の一般の人には「誠実に生きなさい。さすれば来世で楽を得るでしょう」と話したわけです。

面白いのが長阿含経という古いお経では、お釈迦さまの章の一番最初が「お釈迦さまが国王に説いた強国の育て方」に始まります。その強国の条件こそ「君臣の上下関係や長幼の順を守りましょう。しかしどっちが偉いではなく、上下長幼お互いに敬いあいましょう」という「このように生きるべきだ」なのです。むしろ「このような社会を作るべきだ」です。「修行=誠実に生きる=善い社会のあり方」なのですよ。面白いでしょう?
「心の教え」というのは個人だけの話ではなく、そこまで込みなのです。以前お話しした「無我を前提とした輪廻」も、結局はここに繋がってきます。

ゆえに私は悟りをこう説く。
http://hasunoha.jp/questions/12225

リンクを含めてかなりの字数になり申し訳ありません。だがしかし、次のご質問に続きます(笑)
http://hasunoha.jp/questions/13938

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

 お坊さま方、ご回答誠にありがとうございました。お礼のコメントが遅れてしまい、誠に申し訳ありません。皆様のご回答を拝見して、お坊さまの中でも様々な考えがあるのだということを、改めて実感いたしました。本来ならば、それぞれのお坊さまにお礼のコメントを書かねばならないのですが、文章量が膨大になってしまうため、皆様のご回答を拝見して、私が感じたことを以下に記載させていただきます。何卒ご了承下さい。

 お坊さま方のご回答を拝見して、霊魂の存在を肯定される方にも、否定される方にも、それなりの道理があるということを改めて実感いたしました。そのことを承知の上で、私がなぜ「霊魂」や「輪廻転生」を信じるのかと言いますと、「それが無ければ修行する意味が無くなってしまう」と考えるからです。悟りが単なる「心の状態」であるとするならば、修行はやりたい人間(=安心を得たい人間)だけがやれば良いだけのものであり、「修行」は「趣味」の領域を出なくなってしまうように感じます。仏教が「心の教え」であるならば、それは一定の義務(=このように生きるべきだ etc.)を伴わなければならず、そのためには死後の世界観に基づく価値判断を下す必要があるのではないでしょうか?

 また、今回のご回答にはありませんが、「お釈迦様は、輪廻や浄土や阿弥陀仏は方便として説かれたのだ」という考えにも、私は疑問を持ちます。「方便」である限り、それは人間の都合で考え出されたものでしかなく、善や真実に至る道では無いように私には思えるからです。キリスト教の神と仏教の仏は異なるのかもしれませんが、シモーヌ・ヴェイユがドストエフスキーを批判して、「神が人間にとって有益だから私は神を信じるのではない。神が真実であるから私は神を信じるのだ」と言った言葉に、私は深い共感を覚えます。

 長くなりましたが、率直な気持ちを述べさせて頂きました。出過ぎたことを言ってしまい申し訳ありません。ご回答誠にありがとうございました。

柳原貫道様 再度ご回答頂きまして誠にありがとうございます。「お釈迦様は、来世などの功徳より、現世で人としてよりよく生きる方法を説かれたお方です。」という一文を拝見して、「本当にその通りだなぁ」と思いました。「抜苦与楽」という考え方が仏教の基本であることも、非常に大切なことだと思っております。しかしながら、輪廻転生を説かれないことに対して、私は最後の点で納得ができないのです。なぜなら、「生きることが苦しいのならば、修行しないでさっさと自殺してしまえば良いのではないか?」と、どうしても思ってしまうからです。こんなことを考えてしまうこと自体、執着心から起こっていることかもしれません。しかし、私にとっては輪廻転生が無ければ、自殺は苦から逃れる一番手っ取り早い方法であるように思えるのです(現在、自殺を考えているわけではありません)。こういった自殺の問題に関して、柳原様はどのように考えておられるのでしょうか。お時間がありましたら、ご回答頂けますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。

「霊・霊感」問答一覧

憑依体質を改善する為には

恐れ入ります。 明確な理由は分かりませんが、何か憑いてしまったようです。 我が家には犬と猫が複数いますが、何か察しているようで、しきりに自分の首周りを気にしたり、目を丸くして驚いた表情をしたり、目で追う仕草を頻繁にします。 自分は霊的なものには鈍感な方ですが、嫌な雰囲気を少し感じています。 普段から読経や写経、祝詞奏上が自然な日課になっていて、その目的は自分の精神を整える為と字の練習に繋がるので行っている事ですが、般若心経を写経しようとしたり、大祓詞を奏上しようとすると邪魔が入るような空気になったり、自分自身が神仏に対して怯えているような心境になっています。 憑いてしまったものが真言やお経や祝詞を嫌がっているような感じがします。 その嫌な雰囲気を意地でも払拭しようとすると、先日仏壇の花瓶が落ちてきました。 供え花が傷むのも早く、花瓶を丁寧に洗っても、新しい花を生けてもすぐに腐ったような嫌な匂いを発します。 以前までは、花が長持ちする方でした。 こんなに早く傷むなんて今まで無い事でした。 原因不明の体調不良も続き、寝込んで一週間になります。 近日中に、お寺にて厄除けをして頂こうと考えていますが、以前にも似た事があって、その時に「憑きてきやすい人。同情心が強いから、無意識に集まってしまう。」と言われた事がありました。 そうならない為には、どのような事に気を付けて生きていけば良いでしょうか。 何でも霊的な事と結びつけたくはありませんが、この頃の奇妙な現象を省みると、自分の行動を変える事で防げたり改善出来るのではないかと思い、ご相談させて頂きました。 よろしくお願いいたします。

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霊体について

信じてもらえないかも知れないのですが、時々霊体が見えます。 初めて見たのは高校生の頃で、朝4時半頃から地響きのような低い叫び声のようなもの別室から聞こえ、その場所へ行こうと走って行きふと振り返ると、戦時中の日本の軍服を着た首から上がない男性がいました。 次に見たのは首から上だけの落武者で、利用された、悔しい、と言っていました。 私の首の辺がじりじり痺れて纏わりついて離れてくれず、最初は般若心経を唱えていたのですが全然消えてくれませんでした。 落武者も一緒に唱えているのですが、彼がどうしたいのか分からずに考えた末に、愛してる。と言ってみました。 そうしたら痺れがピタっと止まって10秒程したらまた痺れ始めました。 そういったことが何回かあり、今は何も感じませんが、私が見た霊体は皆苦しんでいるように見えました。 私は魂や神様や心や霊体を信じますが、科学的には証明できないことで、人それぞれの考えがあるのでほとんど他人には話しません。 人は輪廻転生していると信じています。 そして、この世に生まれてきて亡くなり、亡くなった後も天国に行けずに苦しみ続けている者を見て、人間の一生て何だろう。輪廻転生し続ける理由は何だろう。と考えるようになりました。 ある人から行き着く所は皆一緒、源。だと教わりました。 何故何度も輪廻転生して源を目指すのか、何故私は私だという意識は変わらないのか、今肉体があるこの世界を離れて天国か地獄へ行っても私は私なのか。 何故殺人や戦争が起こることが許された世界に転生してくるのか。 そこで何を学ぶのか。 自分で望んで生まれてきた、自分が選んだ人生、自分がした選択、全て自分の選んだことだと思います。 ただこの世には、肉体のある人間や動物以外に霊体がいて、この世に止まっているのは何故か分かりません。 まとまらなくてすみません。

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霊視や占いのコールドリーディングって?

以前  近所に霊能者を名乗る人物がいることを知り会ってみようかどうかどうか迷っている 知人に話したところ「霊能者が本物かどうか試すために最初は嘘をついてそれがバレるかどうか確かめたほうが良い」 とアドバイスされた という内容の質問した者です。 前の相談ですが、現在に至るまでその霊能者には会っていません。 霊能者に相談する価値があるのかネットで色々調べました そして行く気が失せました 他の霊能者の霊視鑑定について口コミを見ると否定的なものがあまりにも多いからです ・具体的な話は何もなかった 一般論しか返してもらえなかった ・説教されただけ、罵詈雑言を浴びただけ ・悩み相談してるのに「あなたはどう思いますか?」と逆に質問されただけだった ・行方不明のペットや遺失物について何一つ答えてくれなかった などなど 霊能者を名乗る人は金だけとって煙に巻く人ばかりなんだろうなぁ という思いになり 今まで相談に行っていません このhasunohaで 電話占いの相談が多いことに気がついて 読みましたが 総じて否定的で 課金させるために コールドリーディングという技術を使って相手を信用させているだけ という見解が圧倒的です。 私が霊能者に嘘をつくようにアドバイスされたのも 事情を知っている人で 霊能者や占い師はそんな人のほうが99%なんだろうなぁ と思っています。 それで・・・霊能者や占い師に嘘の身の上話をして実験したケースがあったのか 探しているうちにこんなものが出てきました https://www.youtube.com/watch?v=4EzguZYvdSg 彼氏がいないのに彼氏がいると嘘をついて電話占いをしたという話です この動画の7分以降の話ですが、「彼氏がいないのでは?」嘘を見破られ 更に亡くなった母方の祖父の話も出てきています。 もしこれが ヤラセではないと仮定した場合 口調から見破ることってできるものなのでしょうか? それもコールドリーディングの範囲に入るのでしょうか? それとも本当に見える人がいるのでしょうか? 過去にはhasunohaでも占い依存症の相談が何度もありますので この話に詳しい方がいたら この動画についてどんな感想を持つのか 聞いてみたいと思いました よろしくお願いいたします

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いないかもしれない霊能者を探してみたい

私もそうなのですが hasunohaでは「亡くなった人に会いたい」と言う相談も多数あるようです。 たとえば 忠臣蔵 (ここでは史実はどうかより 歌舞伎に基づいた話をします) 浅野内匠頭が吉良上野介に苛められてた結果、松の廊下で斬りかかって 内匠頭は切腹、浅野家取り潰し、上野介はお咎めなし そして城代家老、大石内蔵助を始めとする遺臣(赤穂義士)たちが吉良上野介を討ち果たし 泉岳寺の墓前に吉良の首を添えて感泣する。江戸の町民は拍手喝采。そして最後は義士達も切腹。 切腹の時に 大石内蔵助は言います「一足先に殿のもとに参る。あちらで皆を待っておるぞ」 これは、霊魂が存在し、内匠頭の霊魂の思いがどこにあるか明確になってこそ成立する話で この前提なければ虚しい話になります。 「ばかみたい。喜んでくれる人もいないのに妄想に凝り固まったあげくに多くのもの(命も家族も)を喪っただけじゃねーか」 ともなりかねません。 松の廊下の事件直後も紆余曲折があり 赤穂城では すぐ上野介を討てと言う者、弟を擁立した浅野家再興の活動を主張する者、幕府に抗議して城で皆で切腹を主張する者、籠城抗戦を主張する者、おとなしく開城して新たな生活を考える者 いろいろ割れました 割れた原因は内匠頭の霊魂と対話できる人が誰もいなかったから。 もし本物の霊能者が存在して 内匠頭の霊と対話できていれば赤穂藩家臣で新たな対立や憎しみを生むことはなかったはず。 たとえば 今でこそフグ料理はある程度確立されており調理には特別な免許が必要で飲食店で死亡事故は聞きませんが 昔の試行錯誤をしていた時代に「おいしいフグ料理を作るぞ」と意欲を燃やして毒にあたって死んだ料理人がいて遺言も何も残さなかったとします。 もしあの世や霊魂があるならばその人は子や弟子に遺志を継いでほしいと思っているのか、危ないからやめろと思っているのか? 親 又は師匠の意向に沿いたいと思っているならば、霊魂やあの世の存在を知りたいと思うことは当然だと思います。 人によって動機はいろいろだと思います 能力もないのに金をだまし取るニセ霊能者・詐欺師だらけなのも分かっているつもりです。 そのため なかなか行動に移せないのですが 自分の生き方を探すために 慎重に、本物の霊能者を探してみたいというのはおかしな発想でしょうか?

有り難し有り難し 21
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霊魂や命の見解について

お坊さんは霊魂や命の見解についてどこまで確信や信念を持っていますか? いろいろ疑問に思うところあり質問します。 たとえば女性の妊娠の場合 いつから魂が宿っている と明言できるのでしょうか? 法的には  中絶手術ができるのは 21週6日目まで だそうですが その法律を作ったのは 神仏でもなんてもないただの人間です。 「21週6日目までの中絶は 赤ちゃんの命を奪ったことにはならない」と断言できないはずです。 その前から魂が宿っていて「殺さないで」と声にならない叫びをしているかもしれない。 「どんなことがあっても中絶は絶対にダメ」とアドバイスするなら話は別ですが 単に法令に基づいて「中絶していいよ」とアドバイスする人がいたとしたら  後々「自分は人を殺めたかもしれない」と恐怖にかられることはないのでしょうか? 逆に亡くなってしまった人の霊魂の有無についても 自信を持って見解を言えるでしょうか? 私は 仏壇や神棚に祭っている霊魂は ミカンとかお酒とか 何か欲しがっているのに その声を聞き取ることができないために無視している可能性を考えたりします。 また、霊魂(ご先祖様)はこの世の自分に対して 金持ちにさえなれば目的のためには手段を選ばずでよいと願っているのか? あるいは貧困でもいいから人の役に立つ生き方をしてほしいと思っているのか? それもわかりません。 そもそも霊魂なんて存在しないという人もいます。 メディアで取り上げる霊能者を ボロクソに叩く人もいますが 自称霊能者を否定することと霊魂を否定することは違うはずです。 霊魂の有無について何の根拠もなく言及することは 私には 既に魂が宿っているかもしれない状態で中絶を容認することと同様、とても恐ろしいことに思えます。 胎児にしても 既に亡くなった人についても どこまでが命なのか? 霊魂はあるのか 分からないから それが分かる人を知りたい 見つけたい と感じている人は少なからずいると思うのですが 仏教もそれ以外の宗教関係者も、現在生きている人の人生相談に乗る人は多い一方、ここまで私が書いたような内容については考えていない人ばかりに思えてなりません。 私が書いたような内容を追求している人物で信頼できる人がいれば教えてほしいです (金儲け目的のニセ霊能者には引っかかりたくないので)

有り難し有り難し 9
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霊感=テレパシーをお受けした!

神様が、いーがりょう〜しゅーじょ〜【以て何を令するか衆生に】にて、頭に言葉をダウンロードしてくださります。他にもピンとこさせて下さったり、何かをハッと気づく閃きを下さったりして下さいます。 2019年5月に始まった神の特大の幻聴の主人公を務めなさいと仰せ仕りました。 今、病院を退院出来てグループホームに住みながら携帯にて仏教の基礎を学び始めたいと思えるように為りました。 国語辞典で、霊感を調べました。 霊感①突然ひらめくように得た考え。   ②神仏の不思議な感応。③テレパシー 学研石井庄司様編纂の第四版です。また、 新明解国語辞典第六版には、 霊感①人の祈願に対して現れる神仏の反応。   ②神仏から人が受ける啓示。おつげ。   ③インスピレーション。   と、あります。 僕は今も、神様であらされる御佛様のお声様と、インスピレーションに従って文字を打たせてもらってます\(^o^)/ 何を質問したいのかも、分かっておりませずにインスピレーションに従って文字を打たせて貰いました。 神様が、如しと、如くについて尋ねよと。 とまでも、インスピレーションに従って文字を打たせて貰いました\(^o^)/ 語意=仏のおしえ。様との言葉も下さいましたよ。歎異抄をひらくにも書いてあらされました。筆者は親鸞聖人様が、神懸かり為されてあらされる蓮如上人様の、分身のお方様として、生まれ代わった86才のお坊様と。 本当かなぁ。高森顕徹様はおいくつなんだろう。なんて、質問しちゃあ、いけませんよね!? 如しと、如くの違いについて、ご教授下さいますことをご一考下さいますようお願い申し上げますm(_ _)m ありがとうございました\(^o^)/

有り難し有り難し 13
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ