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般若心経を知りたい。

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有り難し有り難し 34

こんにちは、
般若心経について詳しく知りたいです。
オススメのわかりやすい書籍などを教えてください。
いろいろと自分で読んで見たのですが、
基礎知識?がないとわからないことばかりで
正しくきちんと理解したいです。

一体どこから踏み入れれば、般若心経を
正しく理解を深められるのでしょうか。

私のいまの知識は

般若心経とは、
御釈迦様?の優秀な弟子が作ったもので
その弟子の後輩に対して渡した、
「悟りっていうのはこんなことだよ。」的な要約レポートだと思っていて、

(これすら間違ってたらすみません。)

ほんと、へんな知識しかないです。

中身が難しい。
この優秀なお弟子さん?もなんだか正体つかめないし、

般若心経は仏教上級者向けですか?

ご回答よろしくお願いします


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

1000字般若心経 (※文字制限1000字までにつき)

観自在菩薩とは私たちのこと。
ものをみるに想念をもってみない時のこと。
そうして、あらゆる想念を手放しで生きている時、心身の働きの無我な性質を悟り、ああ、オラが自分で思いを生みだしているんではなく、いのちの働きで自然に生まれているだけだってことが分かる。
すると、心身の働きは天然なので心と目前の川上からドンブラコと流れてくる思いを全部拾い上げて深く悩むことがなくなり、どんな思いが出てきても放っておけるようになり快適人生になりました。
みんな、よく聞いてね。
何をみるにも聞くにも出会い頭においては知ってる知識とイメージをもってみてないモンよ?
それがただそうあるだけ。後から想念で意味とか名前つけてるだけに過ぎないんだよ。ザルに水を注ぐみたいこの身にはいつでも何を見ても聞いても感受してもなんにも残ってねぇ。何も残ってねえから毎瞬毎秒、細胞レベルでも生まれ変わっていて、常に安楽なのが人間の真実だ。それが救い、救われの様子だ。何も…いえねぇ。
ものを感受して、それっきりた。
みんな、この心身もこの世も「ザル」だ。
さっき認知したモンも何も残ってない。
それが何であるかも知らないうちから、ただ、それが、そうあるばかりだ。
だから、想念に置き換えられることがないから、事実っぱなしでそうある通りで、生じも滅しもしねぇ、汚れも汚れもしねぇ、増えも減りもしねえ。それがものの実相、真実の相だ。
だから、この文字を見てる時に目が合って目がない。
音を聞きながら耳も忘れて、息しながら口も鼻も忘れ、座りながら足腰背中を忘れ、立ちながら足もなかった程に忘じている。自分がここに居ながら居ることも忘れてるくらいに、意識にのぼらない。悟りも無明も忘れていながらこの文字を見ていた。この他に悟りらしいモンも要らない。仏教を学んでいるつもりでいながら目は、この文字を見ている時に仏教だとか、誰が書いたかなんて問わない。仏教学すら仏ッ飛んでいる今の真実がある。ありながら流れているから悟ったとか、得た、という認識の留めどとすらない。だから古来より菩薩たちはこの真実無為の無我の働きによって悟りを得た。故に心の本来性は障りなきこと鏡の如し。怖れ無く一切の想念による思い違いが無くなり涅槃を即、成就する。
故に仏たちはこうして悟りを得たように、今、あなたもそうなっている。
今この身にただ、それがある。答えは風の中。あ!

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有り難し
おきもち

素晴らしいですね。

ゆきのさん、こんにちは。

素晴らしい求道心です。
般若心経は文字の数わずか264文字なれど釈迦ご一代の経・・・といわれるように、仏教を知る入門でありながらその奥深さは悟りの域まで続いております。
もし知識として学びたいのであれば、般若心経の入門書はたくさん出ていますので、本屋さんにいって、自分にあった簡単な解説書を買うと良いでしょう。たまに、コンビニブックで登場しますが、初めから難しい解説よりも、コンビニブックの方が簡潔にまとめられているのでお勧めです。
そして、より信仰で学びたいと、思えば、自分の仏教のお師僧さんを探しましょう。檀家だけでなく、信徒さんとして受け入れてくれるお寺住職さんもおられますので、気軽に出会い、お付き合いするといいですよ。ハスホハさんに登録されているお坊さんも安心してお勧めです。

もしご縁があれば私の弟子に(笑)。合掌

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有り難し
おきもち

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般若心経

ゆきの様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「般若心経」について詳しくお知りになられたいとのこと、誠に尊く有り難いことでごさいます。

般若心経は、仏教における智慧としての深遠なる空の教えの要諦が簡潔にまとめられているお経であり、しっかりと間違いなく理解して、実践して参りたいものとなります。

下記では、拙生が般若心経につきまして、誠にお恥ずかしいことでございますが、少しくに述べさせて頂いておりますものでございます。

『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

拙生からのお勧めと致しましては、

「ダライ・ラマ 般若心経入門」(春秋社)
「ダライ・ラマの般若心経」(三和書籍)

そして、更に「空」の思想を確かに理解して頂くために、少し難しい内容ではありますが、

「ダライ・ラマ 菩提心の解説」(大蔵出版)も、先においてできればにて。

ご参考まで。

また、内容について分からないことがございましたら、hasunohaへもご質問頂きまして、ご活用を賜れましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

染川智勇さまへ
ありがとうございます。
そうですよね笑
本屋行って見てこいってはなしですよね。
行ってきます。

川口英俊さまへ
ありがとうございます。
サイトを拝見させてもらいます

丹下覚元様。
ありがとうございます、
丹下様の回答すごすぎて、わかるようで、わかったつもりになってしまいそうです。
真の理解に導かれるように身を置いていきたいです

「般若心経」問答一覧

般若心経(2)

 「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」   これが第二のキーフレーズです。  「諸法」について花山勝友先生は「この世の中のあらゆる存在や現象」と解釈されていますので「宇宙」と解釈するのが正しいと思います。  横道にそれますが、「空相」は「空の姿」ですから、それに対比する「実の姿」があっての「空相」です。  従って本来はその前に「是諸法実相 生滅 垢浄 増減」(諸行無常)があるべきです。  「如是我聞」は釈尊が弟子(比丘)に説教するのが大部分ですから、常識的な会話は無に近いです。だから重要な「輪廻転生」の話はほぼ皆無です。  ここでも「諸法実相」が省略されたのでしょう。  では「諸法空相」に戻って、ちっぽけな「色」(身体)の説明になぜ宇宙を持ち出さなければならないのか不思議です。ここがキーポイントです。  「空の姿」の宇宙は自然界で唯一「閉じた系」です。  「閉じた系」の有用性は、皆様も中学、高校時代に物理で教わったように、「エネルギー保存の法則」です。  同じ空相でも「閉じた系」でなければ、「不増不減」(一定量)とはなりません。だから「色空相」として説明できないから宇宙を持ち出したのです。 これで「空(空性)」が「エネルギー」であることが確定したのです。    「是故空中、無色、無受想行識 無眼耳鼻舌身意無色声香味触法 無眼界  乃至 無意識界、無無明 亦無無明尽 乃至、無老死、亦無老死尽、 無苦集滅道、 無智亦無得、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」  「是故空中」とあるので、諸法空相を受けて、宇宙全体をエネルギーと見做せば、総てが無になることを説明したに過ぎません。  以上が「色即是空 空即是色」に関する説明です。  明治時代以前迄は、釈尊が悟りを開いたとき「これは非常に高尚で誰も理解できないだろうと」と布教を諦め、「この喜びのうちに生涯を終えたい」と神通力を駆使して自殺をし、彼岸に渡って「梵天勧請」事件を経て、再び生き返り諸転法輪を回したほど、難解な内容でしたが、現代では教科書で学ぶほど、「般若心経」は科学的常識となったのです。

有り難し有り難し 4
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般若心経(1)

 今更ですが、仏教の体系が「真理」として「般若経」、「真実」として「般若心経」、論理として「阿含経」でまとまっていると考えていますので、今度は「般若心経」の解釈を試みたいと思います。  「観自在菩薩」とは釈尊が如来になる前の尊称であると思います。  次の「行深般若波羅蜜多時」が菩薩が如来になった瞬間と考えられます。  「照見五蘊皆空 度一切苦厄」 がこの般若心経の結論です。即ち「空(正確には空性)」を発見して、悟りを開いたのです。  「舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」が第一のキーフレーズです。  「般若経」は「色即是空」だけですが、それは「真理」であって「色即是空、空即是色」が真実です。  色即是空の「空」が真実であれば、空即是色の「色」も真実です。しかし「空」と「色」は別物ですからこの「即是」は定性的な即是で、「物体」は総て「空」の集合体であるという意味です。  定量的にはそこに「縁起」が加わって「色」=「縁起」X「空」、「空」=「縁起」X「色」となります。  「色」は五蘊の中の身体です。身体はこの世限りの命ですから、科学の真実と一致するはずです。アインシュタインはe=mc^2の公式を発表し、広島、長崎の実験でこの公式が真実と確定されたのです。  e(空)=m(色)Xc^2(縁起)と対応します。  「受想行識亦復如是」  「受想行識」は通常総括して「心」と訳されてます。心も「空」で出来ているのです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

無と空について

複雑な状況を抱えてしまい、何年か悩んでいます。詳しくはなしても分かりにくい、のと話したくない気持ちと話さない方がよいともアドバイスいただいたこともあります。自分の言ったことが原因で、人のうわさ話が原因ですが、それだけが問題ではありませんが、地域中にひろまり、仕事場にも影響を及ぼすようになり、うまくいかなくなり、悪意や馬鹿にされるだけでは終わらず、、嫉妬、妬みまでもかい、支障をきたすようになって困っています。 真実を打ち明けようと思っても、逆に悪くまわる可能性があるのと意味のないことに終わりそうなので、やめています。問題を解決するために般若心経や般若経などに興味をもち、無や空を行ずるようにこころがけています。しかし、無や空について、知識があまりなく、どう考えていってよいか分からず悩んででいます。以前、宗教に入っており、この世は現象世界だから、すべては実体のないものと教えていただきましたが、いざ問題がおこってしまうと現象としてほっといておいてよいはずがなく、どういう風に手をつけて解決しておいていいか分からずこまっています。現象を空と感じるとそこにいろいろな神様の守護がうけれるようなことを般若経には書いてありました。それから空を行ずることによって得られる功徳はかぎりないものだということも書いてありました。私も空を行して現象をすこしでもよいものにしていきたいのです。現実界で講じれる手段はしつくしたように感じることもあります。というかする手立てがあまりないのです。下手にかかわるとよけいひどく非難を受けたり、都合の悪い結果を招きそうな気がしています。自分を変えていきたいという願いも含めて、無と空をぎょうじていきたいです。 また、私は護摩をお寺にお願いしてやっていただいたこともあります。神社仏閣に参ることも好きで頻繁ではありませんが、参っています。困ったときには神社に参ってたよったこともあります。信仰を志したいとかもおもったことがあります。 般若経や般若心経に詳しいお坊さんがおられたらご回答をおねがいしたいです。無や空についてしりたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

般若心経を学びたい

はじめまして、お世話になります。 私は看護師の主任をしています。 3月から毎日コロナ対応に追われています。 自分が感染するのではないかと言う不安にかられながら、スタッフの体調、メンタルに気を配ってきました。 ですが長引くコロナの蔓延にスタッフの体調が悪くなり仕事ができなくなったり、怒り不満不安をぶつけてくるスタッフがいたりと、色々なことが起こり自分自身が疲弊してしまいました。 そんな中、般若心経に出会いました。 もともと信仰に関心がなく、宗教といえば勧誘、お布施、入信しないと悪いことが起こる的なイメージが強かったのでなんとなく避けていました。 ですが般若心経に触れ、「全ては空である」 体、感情、もの、全ては空と言う考え方に何か 安心?安らぎのような物を感じました。 難しくて、わかったような?分からないような?全然理解できていないのですが、般若心経を読むと少し心が落ち着くのです。 早く般若心経を読みたい、学びたいと焦燥にかられ近くの高野山真言宗のお寺さんで般若心経の経本をさっと買ってきました。 もっと般若心経に触れたいのですが、私は独身で家に仏壇もなく檀家にはなれません。 調べたら入信の制度はないようで、もっと般若心経や仏教の教えについて深く学び、私の中に落とし込んでいきたいのですが術がわかりません。 お寺さんのホームページに月二回の読経会があるようなのですが、このコロナ渦の中医療従事者の私がお寺で他の皆様と一緒にお経をあげる、お話を拝聴するのは難しいです。 本当はお香の香りに包まれたお寺さんで、自分と向き合いながらお経を唱えてみたいのですが。 まだまだ続くであろうコロナと向き合うために どのように般若心経やお釈迦様の教えに触れ、 お経を唱えて行ったら良いか迷っています。 読み方も分からないのでyoutubeの読経に合わせ読んでみたり、文献やyoutubeで学ぶのが精一杯です。 何か良い方法はないでしょうか?

有り難し有り難し 45
回答数回答 3

お坊さん達ではどう実態の話をしてますか

私は般若心経に影響を受けています。 ここに机があります。私達はこれが無いと知っています。誰かが、それは机でそこにあって、木で出来ていて茶色で硬いと言います。 私にも茶色に見えるし、ぶつければ私は痛いです。 でも、やっぱり茶色は無いし、机もないし、私も無いです。 それでも痛いのは嫌で、そこに机があると考えて生活します。でも、あらためて眺めると、やっぱり無いです。 強いて言えば、さっきまであった、と言うかなと思います。でも、無いから『さっき』と言うのもいま言ったけど変だと思っていて、さっきも無いんだけど強いて言えばにすぎず、とにかくいま、机は無いよ、と思います。 私達はそこに水色のティーカップが見えていて、私にも見えています。でも、無いし、としか言いようがないく、水色もない。強いて言えば、その子が自分を水色と思っているでしょう、私もそれを水色と思っています。でも、そこに水色は無いと私達は知っています。 私達は、と言ったのは、きっと同じ話をしていると思っていますが、お坊さん達の間では違うのか、聞きたいと思いました。どこかは違うと思います。 その子の水色が無いと知っていますが、その子が「私、水色でかわいいの」と言ったら、ああ、水色だよ、それにかわいいよ、と言うと思います。 私は無いです。神も無いと思っています。私がいたら神もいる、私が無いなら神も無いと考えています。両方ある、と両方ないのどっちかしかないと思い、ところで実際どっちも無いよねえ、と思います。お坊さんはこう言っていないと思いました。 目の前に、机があり、傍らにまた水色のティーカップが見える、でも私達はこれが無いとしか見えないと思います。 私は、ひょっとして自分は時間の話をしているのかなとよく思います。 時間の話であれば、さっきと呼ぶものもなく、今机があるという事も起きていません。 今そこにあるという概念がなく、この机に対して机があると言える事実はなく、とにかくえんえん無いんだが、と思ったり仏陀は荒唐無稽で精神世界に限った話をしたのでは無さそうに思ったりします。 あると思っていて、としか言いようがない机をまた見て、もう無いとしか見えないし、ところであらためてそこに机があると言ってみる必要あるんだろうか、言わなくていいと思う、と考えたりします。私は時間の話をしているのでしょうか。 お坊さん達は違う話をしていますか?

有り難し有り難し 55
回答数回答 4

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ