皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

祖父の死を受け入れられない

私には今、危篤状態の祖父がいます。去年ちょっとした病気をこじらせ入院、当時予想もしないほどに衰弱してしまいました。母曰く、今月持つかどうか…といった症状のようです。

今まさに闘病中の祖父に失礼だと思うのですが、涙が止まりません。日中は平気でもいつその連絡が来てしまうのか、見送る日が来てしまうのか、考えただけで悲しくて苦しいです。離れた土地のため、たまのお見舞い以外何もできないまま祖父が弱っていくのが耐えられません。

今が気持ちの準備をしなければならない時だというのは頭では理解できています。時が経てばきっといつか思い出に変わってくれるということも。

ですが私の成長を無償で喜び、見守ってくれた祖父が亡くなる悲しみに取り乱さないでいる自信がありません。いなくなってしまった後も、しばらく泣いて過ごすのだろうと思います。

大切な人が亡くなる時、どのように覚悟を持てば良いのでしょうか。ご教示お願い致します。

身近な人の死
有り難し 27
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

あるがままに

今朝から、ひーさんの質問が胸に引っかかってました。

今、あなたにアドバイスがしたい。
お見舞いに行って、立派になったあなたを、おじいちゃんに感じさせてあげてほしいんです。
だって、ひーさんが成長していくことを喜んでおられた存在でしょ。
だから、おじいちゃんに、あなたの存在を見せるというか感じさせてあげるのが、おじいちゃんにとって幸せなんじゃないでしょうか。

私は先月の5日に伯父を亡くしました。
父親以上の存在で、未だ心の傷が癒えていません。
今、唯一の後悔は「伯父さん俺立派になったやろ!ありがとうな。」というマインドで接することができなかったということですね。
なので、そうしてほしい・・・

覚悟と言うか後悔の無いように「今」を意識してください。

もし、大切な人が亡くなっても、素の自分でいいんですよ。
悲しかったらいっぱい泣けばいい。
ひーさんが、いくらもがいたってどうにもならない。

後のことは、仏さんにお任せするしかないな、と私は思っています。

嘆きに溺れない事

素敵なお爺様だったのですね
心中お察しします

お爺様と貴女の間に
無償の愛で築かれた時間は特別なものです
そしてこの時間はお爺様が極楽に行かれると同時に
貴女の人生にとって最も豊かだったと思える時間へと昇華していくでしょう

しかし
死をあまり嘆きすぎるのも良くありません
それは嘆きの正体は執着であり
死の本質は無執着であるべきだからです
送る人の心に間違えた執着が宿ると
あの世に行けないでしょ?

貴女にできる事はお爺様に頂いた豊かな時間を大切に生きる事で
悲しみに酔う事では無いという事
しっかり肝に銘じ
お爺様の死を「純粋な感謝の時」にできるように準備なさってください。

個人にとってその感謝は必ず極楽への道標となるでしょう。

合掌

覚悟はなくとも、大事に受けとめたい「命のおしえ」

ひーさま、はじめまして。ご相談一緒に考えさせていただきます。
おじいさまが今、危篤状態でおられる、そして、予期するものがあり、悲しくて、苦しくて、涙が止まらないときがあるとのこと。そして、今が気持ちの準備をする時だとご相談にいらしたのですね。

それでは、どのように心の準備をしていきましょうか。
おじいさまが亡くなる悲しみに取り乱さないでいる自信がない、いなくなってしまった後も、しばらく泣いて過ごすのだろうとのこと。それでよいのだと思います。溢れるものを無理に抑えることは困難ですもの。

悲しみの縁が訪れた時に、起こる反応は多様にあるようです。感情が表に出て取り乱す方もいれば、感情の蓋が閉じて何も感じない方もおられる。しばらく泣いて過ごす方もあれば、悲しいのに涙が出ないことを嘆かれる方もおられる。予想はできても実際にどうなるかは自分のことであってもなかなかわからない。だから、ひーさまにおかれまして、たとえ涙が流れなかったからといって、ご自分を責めるようなことはしないでくださいね。今は涙が流れない状態なのだとうなずいてください。

取り乱そうと涙に暮れようとも、感情に蓋をしようとも涙が流れなくても、ひーさまのおじい様は温かく見守ってくださるのではないでしょうか。だから無理に感情をコントロールしようとしないで大丈夫なように思うのです。

阿弥陀仏という仏さまは、わたしたちに条件をつけることなく、どんなあなたであっても私が必ず救う仏となりますと誓われました。そのまんまの私を目当てとした仏さまなのです。おじい様の無償の優しさに通ずるところがあるかもしれません。

私自身、大切な人がなくなる時、どうにかなるような覚悟を持ち合わせておりません。辛くて悲しくって仕方がないですもの。ただ、覚悟はなくとも、大事に受けとめていきたいと思うのです。それは、まさに今、体を張って、命を懸けておじいさまがひーさまに教えてくださっている「命のおしえ」です。「決して当たり前ではない命を生かされているわたしたちですよ」との声が聞こえたならば、それを大事に抱きしめてほしいのです。どのようなひーさまであっても受け入れてくださるおじい様の温かさを胸に、これからもその優しい灯火を頼りとして縁ある者とともに歩んでいけるのではないでしょうか。

この度はご縁をいただき有難うございました。


質問者からの有り難し - お礼

ご回答頂いた皆様、ありがとうございます。あまり時間が取れず、まとめての御礼で申し訳ありません。

回答を拝見していたら、また涙が出てきてしまいました。それでも、自然のまま自分の反応に逆らわないでいこうと思います。

ちなみに、親類に似たような相談をした時、「それでもあんた、親より先に子供がいなくなってしまう方が余程不幸なのよ」と言われました。確かに私や親より先に祖父が亡くなってしまうというのは自然の摂理であるというのはその通りだと思います。問題は、その事象を目前に後悔の無いように振る舞うということだなと少し納得しました。

先の帰省で何度も祖父の手を握り「元気でね」と言いました。仕事や距離もあり、そうそう帰れないのですが、また年末に同じように出来ることを切に祈ってます。ありがとうございました。

本年の年明けすぐ、祖父は他界致しました。皆様に念のためご報告差し上げます。

温かいご回答を、本当にありがとうございました。
葬儀の最中はみっともないくらい泣いてしまい、その後もしばらく笑顔になれなず、眠れない日もありましたが、今は少し立ち直りつつあります。

私はどこかで、祖父がずっといてくれるものだと期待をしていたのかもしれません。今、現実に直面し、自分の甘さに気が付いた思いです。

人生は、一度きりしか無いということを、身をもって実感致しました。現実味のないようで、当たり前の事実ですが、今になってやっと理解できたように思います。悲しみを忘れることは無くとも、この学びを肝に銘じて生きていこうと思います。

重ね重ね、ありがとうございました。

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