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完全なる悟りに至るには

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有り難し有り難し 47

先程の質問ではたくさんのご回答ありがとうございます。ひとつひとつ読ませていただきました。
私が経験したのが「悟り」であったかはさておき、お釈迦様への敬意は揺るぎないものとなり、さらなる修行を積む決意はできました。そこでお聞きしたいのが、「完全な悟りを得るためには具体的に何をすればよいのか」ということです。
無教養なので瞑想以外に修行方法を知らず、経典もさっぱりわかりません。
ご教授願います。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずは。

四海さん、こんにちは。

凄いですね。いろんなアドバイスを理解したのですね。
そこで私もアドバイスしたように、
まずは、学校の勉強をしっかりとするということです。学校の勉強すらクリアしていないのであれば、悟りは100%得ることはできません。
そして仏教系の大学に行って、仏教知識を得ること。四海さんが説明できない状況と書いてあったように仏教知識がなければ、それを説明することはできません。
そして選んだ寺住職の弟子となって、出家の立場でも在家の立場でも修行を始めるということです。もっと専門的に極めたいのであれば、出家得度もいいでしょう。そして本格的な修行に入るのです。
それが一番の近道です。

そして完全なる悟りはいつ悟れるかということは、わかっているから安心してください。今世はぜったいに無理です。なぜわかるかと言えば、お経で次に成仏する人はもうわかっているからです。お釈迦さまの次に成仏する人は、弥勒菩薩という修行者で、あと56億7千万年後に悟りを開くそうです。
それまでは仏陀は生まれないわけですから、私たちは一番早くても56億7千万年以上の修行が必要だということです。長い年月だと思いますが宇宙の年齢でいうと一瞬の早さです。

四海さん、お互いがんばって早く成仏するために修行しましょう!(笑)

合掌

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こうして悟りを求めることが大切

悟りというもののビジョンを作らないことが大切です。こんなものだろうななんで考えても意味がありませんし妨げになります。
出家はあえてしなくてもいいと思いますよ^_^

そして導いてくださる正師との出会いがあると近道になると思います。独りで模索して悟ることもできないことはないのでしょうがお釈迦様も相当な苦労があったはずです。
その後は師匠から弟子へと伝わる正伝の仏法がある訳です。その師匠を見つけるのが重要です。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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「さとり」という言葉に代わる表現方法をみつけること。

前回の質問と併せて、拝読させていただきました。

「さとり」という言葉は、この世で最もあやふやで不器用な言葉のひとつだと、私は思っています。

もし、あなたが体験した「感覚」や「心の状態」を証明したいのであれば、
(1)それを「さとり」という単語を使わない表現方法でアウトプットすること
(2)表現の技術を磨いて、その説得力を上げていくこと
が、必要不可欠だと思います。

それが、ある程度の形になってきてようやく、自分以外の人にも納得してもらうことができるし、そこから「本格的な人助け」というものが始まるのではないか、とも思います。

そのためにも、「さとり」という単語や「さとり」へのこだわりは、いったん脇へどうぞ…!
今のあなたにとって、無用の長物かもしれません。

さて、そんなわけで…あなたの次の課題は、「心の中の風景を、物質的な世界に反映するための表現力を養うこと」だと思うのですが、いかがでしょう?

芸術、スポーツ、学問、医療、科学、政治、技術開発、会社運営、社会活動、etc…
何でも構いません。いくつでも、どんな形でも、軽い気持ちでも構いません。あなたの心惹かれることに、自らの意思で携わり、色んなことを学んでみて下さい。

すると、

(1)瞑想や仏教の中に限らず、また、規模の大小にも関わらず、世界中のどんな分野であれ、「心の風景」を美しくアウトプットしている人間や活動に出会うと思います。

(2)それらに触れ、心と身体と論理による経験と学習を積むことによって、世の中が明るい方向へと導かれているという事実やその理由が、すこしずつ理解できるようになると思います。

(3)上記ふたつが、直接的であれ間接的であれ、あなたが実現したいと願うことを手助けする糧となると思います。

(4)そして、あなたが瞑想の中で経験した出来事の仕組みは(さとりかどうかも含め)、その道中で自然に明確になってゆくと思います。

…まわりくどい言い方ですね。笑
私の至らなさ、どうぞご容赦くださいませー

まあ、ざっくりいうと、

あなたは、何を通して、この世に生かされている喜びと敬意を表現してみたいのか?

この問いかけさえ忘れなければ、どこでなにをしていようとも、あなたが求める生き方へのヒントがみつけられるはずです。

以上、参考になれば幸いです。どうぞ、お励みをー!

合掌

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六波羅蜜の実践

四海様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

前回において述べさせて頂いておりますが、円満なる悟りへ向けては、智慧と福徳の二資糧の集積が必要となります。

二資糧の集積へと向けて、大乗仏教においては、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の実践を進めることが推奨されることになります。

是非、六波羅蜜についてもこれからの学び、実践の中で意識して頂けましたら有り難くに存じます。

とにかく、正式に仏道を歩むためには、三宝への帰依と共に、全ての迷い苦しみにある衆生たちを救うために、悟りを得たいという「菩提心」を育み、そして、やむなくに犯してしまった戒律違反の行為、あるいは、悪い行い(悪業)の数々を「懺悔」すると共に、守るべき戒律を守ることに努力しつつ、六波羅蜜の実践に取り組み、自利利他を円満に成就して、煩悩障と所知障の二障を断滅することが、悟りへと至るために必要となって参ります。

但し、何もわからないままに、また学問だけで進めていくのは、何も装備も無いままに、険しい山道を登るようなもの。先導役が無ければ迷って遭難したり、途中で滑落したりしてしまいかねません。

邦元様が既におっしゃられていますように、やはり、しかるべき正師により、正式に仏道に入られるのが良いのではないかと存じます。

ちなみに、拙生の根本上師・正師は、僭越ながらにも十四世ダライ・ラマ法王猊下様でございます。

また、毎日のお勤めにおいては、必ず、三宝帰依、菩提心の生起、戒律(別解脱戒・三聚浄戒・三昧耶戒)の保持誓願、慈悲心の滋養、上師瑜伽の実践を行い、行いをより善くしていくため、仏道を少しでも前へと進めていくために、日々努めさせて頂いております。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。やはり師に出会うことと学問に励むことが大切なのですね。未熟者ですのでこれからも怠らず精進します。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ