皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

仏壇にお願いをしてはダメ?

嫁ぎ先は浄土真宗大谷派です。
義父が大腸がんになり生死を彷徨ってから、私が朝のお勤めをさせて頂いています。
お仏壇に日々の感謝と、義父が少しても元気にすごせるようにお願いしています。

ある方から、お仏壇にお願いをしてはいけないと聞きました。
実家の母が(曹洞宗)お仏壇に皆の無事をお願いしていたので良い事だと思っていました。
実際はどうなんでしょうか?
教えてください。
よろしくお願いします。

お参り
有り難し 21
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

鷲連寺

文世

私の場合は

拝読させて頂きました。
私は曹洞宗ですが、もしかしたら真宗の観点と若干の違いはあるかもしれませんが、どの宗派でも、根本的なところは繋がっているだろうと思いますので、意見を述べさせて頂きます。

まず、実際のところは?との事でしたので、
厳密に言えば、仏壇は確かにお願い事をするところではなく、感謝をお伝えするところ、という方が正しいかもしれません。
しかしながら、先祖に守ってほしい、御仏に見守ってもらいたいという気持ちは我々人間の自然な感情なのだと思います。
確かにこうしてほしい、ああしてほしいというような、完全なる私利私欲みたいな願い事は、趣旨からズレているとは思います。

私が普段祈っているのは、
「どうかこれからも、御仏の御守護、お力添え、お導きを何卒宜しくお願い致します」というような内容です。もちろん感謝もお伝えします。
何かの参考にして頂ければと思います。
義父様の回復を私もお祈り申し上げます。

私の願いを超えた阿弥陀様の大きな願い

こういうご質問はお気軽に直接僧侶までお尋ねください。もし答えてくださらない、あるいは聞きにくい雰囲気があるとのことでしたらそれは我々僧侶の足りないところでありますのでお詫び申し上げます。

さて、ご質問の件ですが確かに仏壇はお願いをするところではありません。しかし「お願いをしてはダメ」ということもありません。でも、阿弥陀様が「お願いを叶えてくれる」ということは全くありません。
(阿弥陀様に限らず、仏様はそうした存在ではないと思います。中には現世利益を謳う寺院等も見受けられますがそれについては私は何とも申し上げられません。)

言うならば、「お願いせずにおれない私たち」に対し、「私のお願いを全く叶えてくれないという有難いはたらき」を与えてくださるのが阿弥陀様です。
私たちが願う前に阿弥陀様の方が「真理に目覚めなさい」と私たちを願っているのです。

これについて、お医者様でお念仏の教えを喜ばれた米沢英雄さんという方がこう語っています。

「幸福をください」と請求書を阿弥陀仏に出すのではなく、「今の私を引き受けました」と領収書を、阿弥陀仏にお届けするのです。

私たちは願いが叶うことが幸せだと思っていますが、そうではなく、どんな状況であっても今の私を引き受けていける事が本当の幸せなのです。
もし、私たちのお願いの実現にたった少しでも足しをしてくれる神仏があるならばそれは阿弥陀様より優れているかもしれません。しかしそんなものはありません。そう謳うのは「まやかし」です。

阿弥陀様はお義父様の無事を願うことを否定していません。むしろいくらでも願いなさいとお許しくださるでしょう。しかし阿弥陀様の大きな願いというのはそうした私の思いを超えたものなのです。
私がその状況ならやはり同じように願うでしょう。しかし阿弥陀様はそんなことおかまいなしです。その願いが叶わないと幸せになれないと思っている私の有り様を大きな願いで気づかせてくださるのです。私→仏ではなく、仏→私が阿弥陀様のはたらきです。

最後になりますが、お義父さまの回復を祈念申し上げます。

※真宗大谷派の教えについて諸々は下記等も是非読んでみてください。
真宗大谷派(東本願寺)HP「南無阿弥陀仏って何?」http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/leaflet/06.html


質問者からの有り難し - お礼

丁寧に回答して頂き、ありがとうございました。
お仏壇に感謝をお伝えし、毎朝ねお勤めを続けていきます。

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