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輪廻転生??

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有り難し有り難し 29

お世話になります。
今日、初めて仏教勉強会に参加させていただきました。

そこで、輪廻転生を教わったのですが、すんなりと『なるほど~』と思えれば良いのですが…。

私は、
*『死後の世界はないと考えたい自分』と、
今までの霊的体験や臨死体験から、
*『死後は、ちゃんとあの世に行ければ、それはそれは暖かくてまばゆい光に包まれる。だけれど成仏出来なければ霊魂としてこの世をさ迷うこともある…と感じている自分』がいて、
輪廻転生を、なるほどと受け入れることが出来ませんでした。

そういう「教え」を受け入れられなくて、南無阿弥陀仏をお唱えすることに矛盾を感じてしまいました。(仏教に対してではなく、自身への矛盾です)。

輪廻転生や、死後の世界、私の感じる矛盾について、どうお考えになられますか?

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死んでみなきゃ分からない

仏教勉強会、お疲れ様でした!(^^)
南無阿弥陀仏の宗派ではありませんが、少し関心があったので私見をば。

輪廻転生、天国、地獄、霊魂となる、無になる。
死後については色々な考えがありますよね。

ですが、例えばですよ。
この世にまだ生を受ける前の「魂」の存在があって、こんな雑談しているとこを想像してみて下さい。

「生まれたら、美味しいものたくさん食べて、楽しいことたくさんして暮らせるらしいよ」
「えー、でもある人は、日々敵に追われて怖い思いして生きないといけないと言ってたよ」
「あぁ、そういえば先生は、生まれた瞬間にまた俺ら魂に戻る場合もあるって言ってたなぁ…」
「一体、生まれたらどうなるんだろう!?」

これは創作話ですが、死後についても似たようなことが言えるんじゃないでしょうか。

ある命は輪廻転生し、ある命は仏さまの所へ。
ある命は地獄に落ち、ある命は幽霊になる…
この世界の生き物の在り方が多様なように、
死後も多様にあるんじゃないか、あってもいいんじゃないかなーと思います。

実際にどうなるか、これは誰もが死ぬまで分かりません。
ですが「死後はこうありたい!」と願う気持ちが「だからこう生きていく」に繋がること、繋げていくことが要です。

これをお釈迦さまは「毒矢の喩え」でお話されました。
【考えても意味ないことに捕らわれてたらすぐ死ぬよ。そんなことするくらいなら、やるべきことやろう!(超意訳)】

ちなみに私は、死んだらすぐに仏さまの世界に行かず、しばらく幽霊になって、子孫を見守りながらウロウロと遊んでみたいなーなんて思ってますよ(笑)

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困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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他人のせいにせず、しかし自分を責めすぎもしない

まず、輪廻転生について。
仏教の輪廻転生の考え方は、自業自得(自分の行為が自分の未来に影響する)を前提にしています。
私は、この考え方が好きです。
なぜなら、すべての不幸は、はるか過去世から積もり積もった自分自身の悪いカルマ(罪業)と善いカルマ(功徳)のからみあった結果が発現していると考えることで、不幸を他人のせいにしないことができるからです。
つまり、輪廻転生を信じるなら、謙虚な態度で八つ当たりしない、素晴らしい人間になれるのです。

次に、阿弥陀仏による救い、極楽浄土への往生について。
輪廻転生・自業自得を前提にした場合、自分で修行して人格を高めなければ未来は明るくないのが通常です。
そう考えると、ダメダメで愚かな自分に否応なしにに気づかされ、必要以上に自分を責め、落ち込んだり絶望したり、来世に恐怖したりする可能性があります。
そんなとき、どんな悪人、愚かな人間でも必ず救うと誓われて極楽浄土を造った阿弥陀仏の存在、そこに象徴される仏教の慈悲の精神が、救いになります。
来世は誰にもわかりません。
わからないからこそ、来世の救いを信じる人には、その救いを否定する証拠も存在しない、無敵の救いになるのです。
だから、阿弥陀仏の救いも、私は大好きな教えです。
もしも、明日死ぬかもしれない重病人か自殺志願者に今日初めて仏教を教えるとしたら、私ならば、必ず阿弥陀仏の話はするでしょう。
救う力については、阿弥陀仏のお話に勝る教えはなかなかないのです。
仮に自殺しても、阿弥陀仏はその人を見捨てません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

日顕 様

ご回答、ありがとうございます。

「あなたの教えは受け入れられないが、宜しくお願いします」というのが、どうも自分勝手に感じたのですが…。

なるほど・・・・。
教えは教えとして、結局は、どの様に考えても良いということですね。

その考えから生き方を見出すことの方が大事だと・・。

超意訳、ありがとうございます。
ちょっと面白かったです(すみません)。


私が死後は無だと思いたいのは、常に希死念慮があり、何度か未遂しているからです。
死んだら全部無くなって楽になる…と思っています。

南無阿弥陀仏を教わり、最初に考えたのは『生き方』ではなく、『死んでも救って下さるということか…』でした。

今もその思いは変わっていませんが、少し新しい考えが出ています。
ここでご縁をいただいたお坊様や、知り合いが哀しい思いをしてしまう…“できるだけ”生きていなくては…という考えです。


日顕様は、幽霊になりたいのですか!?
幽霊は大変そうです…こちらが話しかけても会話が出来ません。
だけど、“強い思い”はこちらに伝わるので良いかも知れませんね!

ありがとうございました。

*――――*――――*――――*――――*
願誉浄史 様

お考え、よくわかりました。ありがとうございました。


阿弥陀様の不幸の定義が何かわかりませんが、私は自身を幸福とは思えません。
どれだけ悪いことをしてきたのでしょうね…私。


しかしながら、願誉浄史様のお考えを拝見し、輪廻転生の意味が、ここにきて少し理解できました。


また、阿弥陀様のお救い下さる力。
どんな人にも平等をお与え下さる阿弥陀様は、大きすぎて…。

 
>仮に自殺しても、阿弥陀仏はその人を見捨てません。

だから自殺しても良いのか、別の意味を伝えようとして下さっているのか、悩みます。

自殺はいけないと、誰かが決めたのでしょうか。
もしいけないことをやるのなら、それは悪いカルマとなって自身に返ってきますね。

しかし今、それが自分にとって必要な行為であるならば、どちらにしても救われるのなら、私は楽な方が良い。


死後と救いを考えると、どうしても自分勝手になってしまいます。
輪廻転生があるならば、私は後生の自身を苦しめる、愚かな人間ですね。

「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ