皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

輪廻転生??

お世話になります。
今日、初めて仏教勉強会に参加させていただきました。

そこで、輪廻転生を教わったのですが、すんなりと『なるほど~』と思えれば良いのですが…。

私は、
*『死後の世界はないと考えたい自分』と、
今までの霊的体験や臨死体験から、
*『死後は、ちゃんとあの世に行ければ、それはそれは暖かくてまばゆい光に包まれる。だけれど成仏出来なければ霊魂としてこの世をさ迷うこともある…と感じている自分』がいて、
輪廻転生を、なるほどと受け入れることが出来ませんでした。

そういう「教え」を受け入れられなくて、南無阿弥陀仏をお唱えすることに矛盾を感じてしまいました。(仏教に対してではなく、自身への矛盾です)。

輪廻転生や、死後の世界、私の感じる矛盾について、どうお考えになられますか?

宜しくお願い致します。

仏教
有り難し 16
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

正念寺

日顕

死んでみなきゃ分からない

仏教勉強会、お疲れ様でした!(^^)
南無阿弥陀仏の宗派ではありませんが、少し関心があったので私見をば。

輪廻転生、天国、地獄、霊魂となる、無になる。
死後については色々な考えがありますよね。

ですが、例えばですよ。
この世にまだ生を受ける前の「魂」の存在があって、こんな雑談しているとこを想像してみて下さい。

「生まれたら、美味しいものたくさん食べて、楽しいことたくさんして暮らせるらしいよ」
「えー、でもある人は、日々敵に追われて怖い思いして生きないといけないと言ってたよ」
「あぁ、そういえば先生は、生まれた瞬間にまた俺ら魂に戻る場合もあるって言ってたなぁ…」
「一体、生まれたらどうなるんだろう!?」

これは創作話ですが、死後についても似たようなことが言えるんじゃないでしょうか。

ある命は輪廻転生し、ある命は仏さまの所へ。
ある命は地獄に落ち、ある命は幽霊になる…
この世界の生き物の在り方が多様なように、
死後も多様にあるんじゃないか、あってもいいんじゃないかなーと思います。

実際にどうなるか、これは誰もが死ぬまで分かりません。
ですが「死後はこうありたい!」と願う気持ちが「だからこう生きていく」に繋がること、繋げていくことが要です。

これをお釈迦さまは「毒矢の喩え」でお話されました。
【考えても意味ないことに捕らわれてたらすぐ死ぬよ。そんなことするくらいなら、やるべきことやろう!(超意訳)】

ちなみに私は、死んだらすぐに仏さまの世界に行かず、しばらく幽霊になって、子孫を見守りながらウロウロと遊んでみたいなーなんて思ってますよ(笑)

回答僧

願誉浄史

他人のせいにせず、しかし自分を責めすぎもしない

まず、輪廻転生について。
仏教の輪廻転生の考え方は、自業自得(自分の行為が自分の未来に影響する)を前提にしています。
私は、この考え方が好きです。
なぜなら、すべての不幸は、はるか過去世から積もり積もった自分自身の悪いカルマ(罪業)と善いカルマ(功徳)のからみあった結果が発現していると考えることで、不幸を他人のせいにしないことができるからです。
つまり、輪廻転生を信じるなら、謙虚な態度で八つ当たりしない、素晴らしい人間になれるのです。

次に、阿弥陀仏による救い、極楽浄土への往生について。
輪廻転生・自業自得を前提にした場合、自分で修行して人格を高めなければ未来は明るくないのが通常です。
そう考えると、ダメダメで愚かな自分に否応なしにに気づかされ、必要以上に自分を責め、落ち込んだり絶望したり、来世に恐怖したりする可能性があります。
そんなとき、どんな悪人、愚かな人間でも必ず救うと誓われて極楽浄土を造った阿弥陀仏の存在、そこに象徴される仏教の慈悲の精神が、救いになります。
来世は誰にもわかりません。
わからないからこそ、来世の救いを信じる人には、その救いを否定する証拠も存在しない、無敵の救いになるのです。
だから、阿弥陀仏の救いも、私は大好きな教えです。
もしも、明日死ぬかもしれない重病人か自殺志願者に今日初めて仏教を教えるとしたら、私ならば、必ず阿弥陀仏の話はするでしょう。
救う力については、阿弥陀仏のお話に勝る教えはなかなかないのです。
仮に自殺しても、阿弥陀仏はその人を見捨てません。


質問者からの有り難し - お礼

日顕 様

ご回答、ありがとうございます。

「あなたの教えは受け入れられないが、宜しくお願いします」というのが、どうも自分勝手に感じたのですが…。

なるほど・・・・。
教えは教えとして、結局は、どの様に考えても良いということですね。

その考えから生き方を見出すことの方が大事だと・・。

超意訳、ありがとうございます。
ちょっと面白かったです(すみません)。


私が死後は無だと思いたいのは、常に希死念慮があり、何度か未遂しているからです。
死んだら全部無くなって楽になる…と思っています。

南無阿弥陀仏を教わり、最初に考えたのは『生き方』ではなく、『死んでも救って下さるということか…』でした。

今もその思いは変わっていませんが、少し新しい考えが出ています。
ここでご縁をいただいたお坊様や、知り合いが哀しい思いをしてしまう…“できるだけ”生きていなくては…という考えです。


日顕様は、幽霊になりたいのですか!?
幽霊は大変そうです…こちらが話しかけても会話が出来ません。
だけど、“強い思い”はこちらに伝わるので良いかも知れませんね!

ありがとうございました。

*――――*――――*――――*――――*
願誉浄史 様

お考え、よくわかりました。ありがとうございました。


阿弥陀様の不幸の定義が何かわかりませんが、私は自身を幸福とは思えません。
どれだけ悪いことをしてきたのでしょうね…私。


しかしながら、願誉浄史様のお考えを拝見し、輪廻転生の意味が、ここにきて少し理解できました。


また、阿弥陀様のお救い下さる力。
どんな人にも平等をお与え下さる阿弥陀様は、大きすぎて…。

 
>仮に自殺しても、阿弥陀仏はその人を見捨てません。

だから自殺しても良いのか、別の意味を伝えようとして下さっているのか、悩みます。

自殺はいけないと、誰かが決めたのでしょうか。
もしいけないことをやるのなら、それは悪いカルマとなって自身に返ってきますね。

しかし今、それが自分にとって必要な行為であるならば、どちらにしても救われるのなら、私は楽な方が良い。


死後と救いを考えると、どうしても自分勝手になってしまいます。
輪廻転生があるならば、私は後生の自身を苦しめる、愚かな人間ですね。

関連する問答
このページの先頭へ