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お地蔵様と閻魔様

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有り難し有り難し 29

お地蔵様と閻魔様は、同一人物だと聞いたのですが本当ですか?本当だとしたら、お地蔵様も恐ろしいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一番怖いのは人間。

こんにちは。

閻魔大王が仏教発祥のインドでも元々存在したのか、仏典がインドから中国にわたったときに仏教に合流したのかは分りませんが、日本のお坊さんの書いた書物の中にも閻魔大王がお地蔵さんの化身だとする説もあるようですね。

でも、閻魔大王自身が人を怖がらせるわけではありません。
閻魔大王の役割は地獄行きかどうかを判断すること。

恐怖の元となる要因をつくるのは、、
閻魔大王ではなく、人間です。
欲に溺れる人間ほど恐いものはありません。

三途の川岸で鬼にいじめられている孤児を守っているのもお地蔵さんの役割と聞いています。
他にもお地蔵さんにはいろいろなはたらきがあると聞いています。
お地蔵さんは恐くないですよ。

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自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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お地蔵さまは弁護士

チェリーさん、はじめまして。質問を拝読しました。

チェリーさんはお地蔵さまと閻魔様が同一人物であると聞いて、お地蔵さまは怖いのだろうかと疑問を持ったのですね。

諸説ありますが、その内の1つを紹介しましょう。
日本では人が亡くなると13人の仏さまが故人を導いてくれます。しかし、中国では十人の仏さまが導いてくれます。日本に比べて中国では導いてくれる仏さまが3人少ないのです。どうしてでしょうか。

中国では故人は10人の魔王の前に引き出されると考えられています。そして魔王の前で故人が生前の行いについて裁判をします。魔王は故人の悪い行いばかり証拠として提出します。これでは故人は地獄行きになってしまいます。

そこで、故人の弁護を引き受けるのが仏さまです。
十人の魔王が裁判しているので、十人の仏さまが弁護をします。このため中国では故人を導く仏さまは10人しかいません。

では、最も恐ろしいと言われている閻魔大王が裁判をするとき誰が弁護をするのでしょうか。実は、お地蔵さまなのです。お地蔵さまは優しい顔をしておられますが、最も恐ろしい閻魔大王を向こうに回して、大立ち回りの弁護を引き受けてくださる心強い仏さまなのです。

つまり、閻魔大王とお地蔵さまは同一ではありません。裁判官と弁護士の関係です。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

丁寧に教えて下さってありがとうございます 、閻魔様と同じだと聞いて恐ろしいのかと思いましたが、そうではなかったのですねありがとうございました。

丁寧に教えて下さってありがとうございます 、閻魔様と同じだと聞いて恐ろしいのかと思いましたが、そうではなかったのですねありがとうございました。

お礼が二重になってしまいまいすみません

中村様へ丁寧に教えていただきありがとうございますお地蔵様は、弁護士なのですねてっき閻魔様と一緒に裁判官をするのかと思っいましたありがとうございました。

中村様へ丁寧に教えていただきありがとうございますお地蔵様は、弁護士なのですねてっき閻魔様と一緒に裁判官をするのかと思っいましたありがとうございました。

またお礼が二重になってしまいましたすみません

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ