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神社仏閣を参拝しての功徳、ご利益をどう考えればよい?

質問させて頂きます。ハルソラと申します。

私は約2年前に歩きで四国遍路を結願してから、すっかり神社仏閣巡りが好きになってお遍路以降も巡礼、その他の参詣含め約150ヶ寺、50社くらい行きました。

自分でも驚くほどハマり方で、神社仏閣巡りの中で学びと癒やしを得て、私の人生観はかなり好転しました。

それだけでも素晴らしい功徳、ご利益があったと言えますが、就職はうまくいかず、彼女とは別れ、くだらないトラブルを抱え、金銭的に困窮しています。

神社仏閣の願掛けで掲げるような具体的な開運招福(厄除け、金運、出世、結婚など)に何故か恵まれません。

神仏を敬い、感謝の心掛けを持って、他力本願だけになってはいけない事も分かってるつもりですが、どこか消しきれない邪念があるからでしょうか。

神社仏閣への参拝した功徳、ご利益についてどう考えたらよろしいですか?

ご教授よろしくお願い致します。

お参り
有り難し 21
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

ご利益信心から抜け出すこと。

私はかくかくしかじかのことをしたのだから、これだけのご利益を受ける資格がある。こういう考え方をご利益信心といいます。
これは一種の契約関係と似ているように思えてなりません。
何かをしたんだから何かをして欲しい。こんなに一生懸命に功徳を積んだのだから、今世でこの功徳を受ける資格があるのだと、でも現実的には上手くいかないことが多すぎる。
私もかつてはご利益を、求めてまいりました。あの神社仏閣にいけばこんなご利益が頂ける、こんな修法を行じたらかくかく然々の法力を得る。
くだらない修行自慢はしたくありませんが、◯◯秘密大全にある修法を真剣に行じましたが、些かも得ることはありませんでした。自己嫌悪はもちろんのこと、神仏に対する恨み辛みは一様ではありませんでした。
こんなにやっても何1つ叶わない。
失意と落胆。
よくよく考えてください。人智を超えた存在である神仏に現世の自分の都合のいいお願いをする。まさに不遜なり。神仏をその御座より引き下ろすに等しい不遜なことではないだろうか?
何があっても、報恩感謝の祈りに変わった時に、さーと清々しい息吹をいただいたように私は感じました。
そして、神仏とともに今世を堂々と
生かさせていただくしかない私たちなのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

回答僧

鷲連寺

文世

達磨さんの話しご存知ですか?

拝読させて頂きました。
随分巡礼されてるんですね!素晴らしいです!私もいつか四国回ってみたいんですよね。
ハルソラさんは達磨さんの話しをご存知ですかね??インドの達磨大師が中国に禅を伝えるために渡って来た時、梁という国の武帝という方に謁見しました。その方は、仏教に篤く帰依した皇帝で、寺院をたくさん建立したり、多くの僧を育てたりと仏教の発展にとても貢献してきた方でした。その武帝さんが達磨大師に問いました。「こんなに貢献してきた私はどれだけの功徳があるのか?」と尋ねます。すると、達磨大師は「無功徳」(功徳は無い)とお答えになりました。それには武帝さんはさぞかしがっかりされた事でしょう。
つまり、果報を求め、あれもしたこれもしたといっても、その心が“見返りを求めない純粋な無償の心”でないと真の善行ではないという事なのです。真の信仰は、自らの見返りのない無心な真心の施し、帰依心による祈りである。という教えです。
ハルソラさんが、学びや癒しを得て、人生が好転したのはとても素晴らしい事です。むしろその感謝の祈りを捧げて頂ければと思います。
何でも望みを叶えてくれるのが神社仏閣ではございません。
逆に、巡礼されたり深く帰依する事により、己の純粋たる無償の心を育てて頂く事が、最大の功徳とも言えるのではないでしょうか。


質問者からの有り難し - お礼

何かをしたから、その対価を求める発想がよろしくないのですね。お二人のご回答ではっと気付かされるものがありました。

我が心を曇りのない純粋なものにしていく為に、神社仏閣巡りを続けて行きたいと思います。

文世さま、三浦さまご回答誠にありがとうございました!

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