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池で拾った僧侶の形の鈴について

はじめまして
約30年前私が小学生の頃近所の池で(北九州市若松区の佐藤公園の池)ザリガニなどを取っていたときに僧侶の形の鈴を池底から拾いました。
それを家に持って帰りなんとなく飾っていたのですが元あった場所に戻したほうがいいでしょうか?
身内の不幸(死ぬほどではない)が30年間ずっと続いているような気がします。

たたり・悪霊
有り難し 17
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

それのせいではないです

人間不幸があると何かのせいにしてしまいたくなるものです。
私は不幸があった時、誰のせいにも何かのせいにもしません。
自業自得、自己責任、なるべくしてなった、と思うようにしています。いや、むしろ、何も思いません。
不幸や不運は「そういうできごと」であって、そこに自分がネガティブなイメージを添えて泥沼にはまって苦しむという状態に浸らせなければ、長続きはしないものです。
その不運は不運であっても、それを考えや思いの上で「不幸」にしてしまって、悪い思いを想起するのはどこまでいっても自分自身です。
昨年、弟・弟子が亡くなってしまいました。
本当に可哀想でなりませんが、その不運は不運。悲しくて泣きましたが、悲しいという事は哀しいという事なだけで、泣きもしますが、それをその後、苦しみ続けることと、悲しいということとは別物なのです。
良寛さんが「災難(不運)に逢う時は、よろしく災難(不運)に逢うべし。(不運にあって、不運そのものでああるものですが、そこに過剰に悪い思いを添えて自身を苦しませ続けない方が良い。それが災難や不運に出くわした時の、最上の災難(不幸)を免れる方法です)」と説いているのは、この道理なのです。
不運は不運。
問題はその像のせいにして、自身を苦しめることや、ネガティブ意識を大量発生させることで、そのこと以上に自分を苦しませることなのです。
その像は、この事をあなたに教えてくれるために今日まで、あなたを見守ってくれていたのです。
それでも、どうしても抱えきれなければ近くのお寺さんに奉納するか、お焚き上げをお願いすると良いでしょう。


質問者からの有り難し - お礼

回答ありがとうございます。不幸ごとが続いていますが家族全員健康です。銅でできた立派な鈴で何かしらの願いをこめて池に投げ込んでいたのを私がなんとなく持ち帰って飾っていたのがずっと心にひっかかっていて現在の不幸ごととむすびつけていたのかもしれません。
不幸ごとのいいわけにしないためにも鈴は元々いた池にもどすことにしました。
ありがとうございました。

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