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子供や孫の話が苦痛です

50歳を越えたあたりから、周囲から孫の話題が出始めるようになりました。

私たち夫婦は、望んでも子供に恵まれず、子供のいないことでさみしい思いを抱きながら生活してきましたが、今度は孫のいないことを思い知らされ生きていかなければいけないのかと、辛い思いでいっぱいです。

この思いは死ぬまで続くだろうし、ないものねだりをしたところで、幸せにはなれないと頭では理解していても、心が悲鳴をあげます。

子供や孫に囲まれている人が、心底羨ましいです。そして、妬ましいのだと思います。

こんな思いを抱えながらも、何とか前向きに生きられるよう、教えをといていただきたく存じます。

嫉妬・蔑み
有り難し 15
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

人の話を純粋に聞いていないことが問題なのです

お子さんを授かれなかったのは本当に残念なことでした。
私も年末に弟・弟子が亡くなりました。
20歳です。
「自分、お坊さんになってもいいかなぁって思えるようになってきました。」
「おー、いいじゃない。分かることだったら何でも答えるから遠慮なく聞いてよ。」
みたいな会話を最期に会えなくなってしまいました。
私の師にとっては孫。
ご両親もせっかくお授かりになられたお子さんを20歳にして亡くされて大変なショックを受けておられます。
ですが失われた人を失わせたままにしていると、本当にそのは失われたままになってしまうのです。
私はその彼の分も僧の活動を深めています。
あなたは授かれなかったお子さんの分も含めて人間性を向上させ深めるべきです。
相手は「その話をしただけ」です。
そこに対して「ああ、うちらには子供もいない。孫もできない。」とあなたの私見や私情を持ち込んで話を聞いていることが一番問題なのではないでしょうか。
TVをつければ子供の映像が映らない日はありません。
心の中のおしゃべりが過剰であることが苦しみの原因です。
その事実をその事実のままに見て、聞いて、それ以上の想念を起こして自分には、あれも無い、これも無い、とぼやいてしまっておられることが苦しみの正体です。
確かにお子さんができなかったことは本当に残念だったと思います。ですが問題を混同してはいけません。
その人の話はその人の話の趣旨があるのです。
それを聴かずして、あなたの心の中に沸き起こる話ばかり優先させてはいませんか。
それは人の話を聴いていない。聴かずにあなたの中で思い起こされたことばかり相手にしているだけなのです。
たとえば学生時代を主起こしてください。
授業中の先生の話で、関連されることが思い浮かんだら、そっちを考え出すのが楽しくなって、肝心の先生のお話の趣旨をまるで聞いていない、という行為に等しいものです。
今目の前で起こっていることや、ニュースや人が子供や孫の話をするのは、別に悪意もあなたをいじめるつもりも、あなたをみじめな思いをさせるつもりも何もありません。
あなたが、いつまでも二次的に想起されてくる自己の想念を優先して相手にして、みじめな思いを自分でしているという無いものねだりと負の連鎖があるだけで、そこに向き合えばそれを止めるだけ。いつでも普通に人の話を聞けるようになれるでしょう。合掌


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