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未来技術に恐怖を感じ、他の事が考えられない。

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AI、VR、AR、アンドロイド等の話にひどく恐怖を覚え、暗い気持ちになり、他の事が手につきません。
最近、テレビ番組でもネットでも書籍でも、未来技術についての話が非常に多いように感じます。己が気にしているから目に入りやすいのかもしれません。これらの話題やそれに対する好意的な意見を見ると、自分にとって非常に怖い未来がくるように思えてひどく落ち込んでしまいます。
技術の革新は素晴らしいことです。私が今こうして会ったことのない方に質問ができているのも技術革新とそれに貢献した方々の努力のおかげです。感謝しなければなりません。昔より、健康で長生きもできるようになりました。しかし、AIの目覚ましい発展により働かなくても生きていけるようになると言われると、社会の中で必要とされる手段がなくなると考えて怖くなりますし、仮想現実を通して、人とコミュニケーションがとれたり、異世界にいけると言われれば、人間がどんどん人との接触をさけながらコミュニケーションの快の部分だけを得ようしているように思えて怖くなります。
例えば、機械音声が発達していけば人気のあった声優の声を完璧に模倣していつまでも仕事をしてもらう事も可能になるいうのです。 どんどん考えていくと、本物の存在価値がわからなくなっていって、自分の趣味すら意味がないように思えてきます。そして、これらが必ずやってくると記事は豪語してきます。多少大げさに言っているのだと頭では考えるのですが感情が付いていきません。私は、現実で旅行に行きたいし、筆を持って絵を描きたいのです。それを構成する全てが模倣されても。しかしそう思わない人が多くいるように、記事を見るたびに感じます。必要が無い、煩わしいと思う所にもしかしたら、自分にとって大切な物や好きな物がころがっているかもしれないのに、どうしてそんなにも身軽に投げ捨てることができのでしょうか?自分と同じ考えのない未来に行く事がとても怖いです。しかし、未来は変えられませんから、今を大切に生きるしかないとも考えます。しかし、未来がそうなると思うと、ひどく悲しく怖くなって、何もできなくなるし、したいとおもえません。かれこれ、三年ほど同じ事を考えています。人は他人を排除しながら生きていきたいのですか?それは自分を否定する事ではないですか?苦しいです。この悩みから抜け出したいです。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考え方は対人も対機械も変わらない

チャップリンの白黒映画の時代から機械が人間の仕事を奪うと言われていました。でも皮肉なことに、職場環境はどんどんブラック化しました。それが歴史的事実です。今後余暇が増えたとしたら、それは機械化の恩恵ではなく法令遵守の成功となるでしょう。

ま、んなこたぁ、どーでもイイんです。あなたの不安の根源はそこではありません。

有能なら必要とされ、存在価値がある。
無能は不必要で、存在価値がない。
これが根本的に間違っています。これがあなたの不安の無自覚な根源です。

常に他者と比較し、欠点を探し、優劣や順位で存在価値を見出す…それを心の癖にすると、永遠に幸せにはなれません。なぜなら、一時的に基準値に追いついて幸せな気がしても、さらなる比較や欠点探しをして基準値が釣り上がるから。そして駿足のアキレウスが鈍足の亀に永遠に離され続けるように、欠点探しの心は永遠にあなたの心を満足させないでしょう。仮に世界一になっても、今度はそこから転落することを恐れるだけです。

だからお釈迦さまはそんな心構えは止めなさいと説きました。有能になるな。無能になるな。ただ、能力というモノサシから離れなさい…と。存在価値なんか考えなさるな…と。

筆持って絵を描きたい?描きゃイイじゃん。描いて楽しいんでしょう?その楽しさこそが現実です。世の中にはあなたより絵の上手い人が星の数ほどいます。でも、だからって絵が面白くなくなるのですか?んなわきゃない。それで面白くないなら褒められて嬉しかっただけで、絵が好きだったわけではないでしょう。今後、先端技術が発展したとしても、それは変わりません。

その楽しさを楽しさで終わらせず、余計な考えを上書きするから、人は思いわずらう。般若心経はその余計な考えを「夢想」と言い切っています。絵を描いている自分は現実です。楽しいのも現実です。でも、そこから一歩踏み込んで比較したり存在価値を問うのは、現実ではなく、頭で考えた産物なんです。夢想であり、バーチャルです。

ます、先端技術があなたを不安にさせているのではなく、人は自分を不安にさせるものなのだ…それをよくよく知覚しましょう。
そして先端技術を含め、他者を褒める心の癖をつけましょう。つまり厳選する心の割合を減らし、他者に寛容な心の割合を増やすのです。そうすれば、やがて自分にも寛容になれます。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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今・ここ・私

拝読して、正直な感想を申し上げますと、おっしゃることはもっともだと思うのですがイマイチ共感できません。それはあなたの考えに行動が伴っていないように感じるからです。実践が大事です。
説明書をもっていても実際に作れるかどうか、地図を持っていても実際に歩けるかどうかが大事です。
説明書や地図だけをもって訴えても多くの方の共感は得られません。

おっしゃるような未来技術の時代はまだ来ていないでしょう。それなのにそれを恐れてこの今すらも未来技術に侵されてどうするのでしょう。それはそれを良しとする人たちでなく、あなたの心が誰よりも未来技術に負けているのではないですか?

現実に旅行に行ってください。筆をもって絵を描いてください。

あなたが画家なら、あなたと全く同じタッチ、色使い、デザインでロボットが描く絵よりも、あなたが描く絵を私は選びます。
しかし、ロボットの絵が1,000円で、あなたの絵が100,000円ならどうかわかりません。あなたの絵を買うかどうかは「あなたがどういう人か」という点が判断基準でしょう。それが「共感」というものです。

「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」

とはお釈迦様の言葉です。あなたが何をしていて何をしていないかです。
あなたが今という「本物」を積み重ねていけば未来は変わるでしょう。まだ来てもいない未来を今生きているならば、その悩みから抜け出せません。

未来技術をよりよい社会のために必死に研究している人たちもいます。そうしたものに反発して自給自足のようなライフスタイルを貫く人もいます。

今・ここ の現実であなたはどうしたいのか?

どの考えも尊重し交じり合う多様性が認められていくには、それぞれの考えを持った人が何を実践しているかが大切ではないでしょうか?

「今を大切に生きるしかない」

おっしゃる通りであります。

「必要が無い、煩わしい」と他人も自分すらも排除する在り方を今しているのは誰か?という話です。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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それを作るのも 扱うのも 人間 人間性

人工頭脳も人間を軸に作られます。
単純な話にすれば、火を使うようになった人間は火を活用するようになりました。
ですが、大切なのは使い方。人間性を失った使われ方がされれば放火、火刑、火計、火炎放射器で人や生命をおびやかす使い方をするようになる。ここでいう火が銃であったり、刃物であったり、核兵器であっても、未来技術であってもそれは同じこと。
だからこそ、仏教はあります。
人間が人間性なくんば鬼畜にも劣る生物となります。
だからこそ、地球規模の破壊を可能にする兵器や技術を扱う人間一人ひとりの人間性を高めることこそ、仏教徒に限らず、全ての人間の使命であろうと思います。
人がこの世にあるのは、出会う人をより高い人間性に導き合うために存在しているという面があるのです。
是非、これを機に自己の人間性を高め、縁ある人たちと共に磨かれあい、輝かしい人生を歩み合えるように精進してまいりましょう。
そうする事で、未来技術も輝かしい使われ方をするようになるのです。

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おきもち

バーチャルはリアルにかなわない

小鹿さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

小鹿さんは未来技術と言われるAI、VR、AR、アンドロイド等の話にひどく恐怖を覚え、暗い気持ちになり、他の事が手につかないのですね。人間がどんどん人との接触をさけ、コミュニケーションの快の部分だけを得ようしているように思えて怖いのですね。

バーチャルは所詮バーチャルです。
小鹿さんは文面から拝察すると絵を描いておられるのですね。過去には傑作と言われる作品が数多くあります。モナリザや最後の晩餐などが傑作絵画に当たるでしょう。傑作とされる絵画は、たくさんの模倣を生みました。しかし、すべて贋作です。どれだけがんばっても、オリジナルには勝てませんでした。最新技術を持ってしてもコピーはコピーです。

今後、未来技術と言われるAI、VR、AR、アンドロイド等はどれだけがんばっても贋作に過ぎません。人間はリアルに作られたオリジナルと贋作を見分けることができるのです。
空海は「宝石と石ころの違いを知るには、よく観察をしなければならない。簡単に分かった気になっていてはダメだ。何度も何度もよく見なくてはいけない」と説きました。

小鹿さんに真贋を見極める目が育っていくことができるよう祈念しております。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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2500年経っても・・

子鹿様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お釈迦様が在世の2500年前の人間が、現代の文明社会を見れば、恐らく、子鹿様のように驚愕して恐怖に陥ることもあるのではないだろうかと存じます。

しかし、お釈迦様の時代から、文明は進化し、世の中は様々に便利に豊かになっているのに、変わっていないものがあります。

それは何か。人間の迷い、苦しみです。どんなに便利で豊かな世界になっても、私たちの苦悩(八苦)は一緒なのであります・・

そして、それは、AI、VR、AR・・と、例えどんなに発展しようが、これから先も大して変わらないことでしょう・・

文明の進化も必要でしょうが、それよりも、何よりも、真なる安心、真なる幸せへと向けては、心の問題(煩悩・無明/根本的無知)に取り組むことが大切となります。

お釈迦様は、その心の問題に取り組むための教えをお説きになられました。

是非、これを機会に仏教に更に関心を持って頂きまして、学びを進めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。誰かに聞いてもらいたいと思っていたので、とても嬉しかったです。

考えだけこねくり回して、自分から逃げていたことに気がつきました。自分にとっての安心が欲しくて、勝手に他人や世の中に評価を下してプライドを守っていたんだと思います。文にするととてもかっこ悪いですね。難しいけれど、私がどうしたいのか、己と向き合って見つめていこうと思います。そして、やりたいこと、やるべきことをやって、自分で自分に対して自信が持てるようになってみます。
心が軽くなりました。
本当にありがとうございました。

回答ありがとうございます。とても嬉しいです。

本物の存在価値を安易にないがしろにしてはいけないし、私にはそんな能力が今、無いことに気がつきました。そうですよね。私がわからなくても、本物は本物のままそこにあるのですよね。本物に少しでも触れられるように努力していきます。

ありがとうございました。

回答ありがとうございます。たくさんの方々からお話が聞けて本当に贅沢で、ありがたく、心が軽くなります。
自分が楽しいと思うことを他人にも褒められ認められたいと思っていました。でも、それではいつまでも満足もできなくて何のために描こうとしているのかを忘れてしまう所でした。
他人に寛容に接することはとても難しいけれど、それができると心に余裕ができるようにおもえます。 私のしたいことをしようと思います。ありがとうございました。


回答ありがとうございます。
ものは使う人により、毒にも薬にもなるということは、いろんな場所で感じてきたつもりでしたが、今回の話はどうしても私にとって、これらが人間を鬼畜にも劣る生物にさせる恐ろしいものに思えてしまいました。でも、お話を聞いてそう思うのは自分に自信もなく卑屈になって、やりたいこと、やるべきことから逃げている自分だからそう感じたのだと気がつきました。もっと自分と向き合おうと思います。
ありがとうございました。


回答ありがとうございます。沢山の人に話を聞いてもらえることがこんなにも、安心できるものだと初めて知りました。ありがとうございます。
仏教を己で学んでみては、というお話にとても驚きました。沢山の方に回答をいただいて、今日そのことを考えていたからです。来学期の選択に宗教学をとること、真剣に考えてみます。
ここで相談させていただくことで、物事が何個も前に進んだように思います。今度は己で進めてみようとも思えました。頑張ってみます。
本当にありがとうございました。

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