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死ぬ と簡単に言われると…

回答数回答 4
有り難し有り難し 47

障害者支援の仕事をしております。人格障害の女性ですが 気持ちが不安定になるとすぐ「死なせてください」「今から死にます」とメールしてこられます。最初のうちは なんとかしなければ と思い必死で向き合っていましたが ほぼ毎日送られてくる「死にます」メールにだんだん憤りを覚えるようになっています。なんでそんなに簡単に「死にます」発言ができるのだろう?本人のしんどさを理解したうえで対応しなければ と思うのですが…軽々しく「死ぬ」発言をする彼女を叱責したい気持ちになってしまいます。気持ちの在りようをご教示くださいませ。よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

オオカミ少年

 昔話でありますよね。牧場の見張りの少年が、「オオカミが来たぞ!」って言って大人を集め、からかう話。
 あれの根本的解決は、「少年をクビにし別の子を雇う」なのですが、大人達が毎回ちゃんと反応してくれるから、彼はそれをやり続けたのです。
 なぜ個人的なメールのやり取りをしているのか存じませんが、可能であれば彼女に、ここhasunohaを紹介されては如何でしょうか。「死にたい」と来た時の、お坊さんの返し方も、ここでは見ることができますよ。
 取り敢えずの策としては、彼女の「死にたい」という言葉は、「暇だから何か返事頂戴」程度に翻訳してよいのではないかと思います。彼女からすれば、「強い、刺激的な言葉を投げなければ、反応して貰えない」と(無意識にせよ)考え、そのように言ってくる…少年にとっての「オオカミが来たぞ」のように。
 よりよい策は、彼女が「死にたい」以外のメールを送ってきた時、存分に答えてあげることです。話を弾ませる。「死にたい」が来たらアッサリ「私は寂しいわ」程度に。
 「私が無視して、彼女が本当に死んでしまったら…」と貴女はお考えなのでしょう。しかし、そういう関係なのですか?障害者支援とは。貴女ひとりが背負うことではないでしょう。彼女のお母さんでもないでしょう。
 即解決…には至らないと思いますが、私も貴女の相談があったことは覚えておきます。良かったら、またどうぞお尋ね下さい。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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難しい問題ですね。私はあまり経験が豊富ではないので、正しい対応は分かりませんが、先づはあなたの耳に「死ぬ」と聞こえたら、それを「生きるのが辛い、苦しい」と変換してみましょう。
そうすれば自然に、「何が辛いの?、苦しいの?」、という会話になると思います。
そこでしっかり話を聞いてあげてください。
話をするだけで落ち着くこともあります。
もちろん何か行動しなければならない時もあるでしょう。
彼女の感情に流されないように、しかし、その感情も理解しつつ、あなた自身は冷静に理性を働かせて対応しましょう。
くれぐれも怒らないようにね。
怒らないように努めることは仏道修行でもありますからね。
何か頭にイラっときた時は、修行のチャンスと思ってくださいね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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ご無理のないように

こんにちは。

 hasunohaにも、死にたい方からの相談がよく入ります。

 そのような時、お会いしたことのない方なので、「質問」と「自己紹介」、過去の質問があればその質問の内容を見ながら、慎重にお答えを入れていくようにしています。時に優しく時に厳しく。
 お会いしたことのない方に離れたところからアドバイスをするのは、例えると、宇宙空間に浮かぶ惑星探査機を地球から操作しているような気分です。なかなかアドバイスの通りにして頂けなかったり、音信不通になったり、ハラハラします。 
 hasunohaですと、たくさんのお坊さんが答えてくれるので、私は答えずにすむことができますが、あなたのように、毎日のようにそのようなメールが個人的に来てしまうのは、気が滅入ってしまいますよね。

 小さい子供が、ちょっと疲れたり退屈だったりだったりすると、すぐに「のどがかわいた」といい、親を困らせるものですが、中3に成長した息子に、その心理を聞いたところ、「その時はホントウにのどがかわくんだ」と言っていました。本当なのだそうです。その方も気持ちに重い軽いはあるかもしれませんが、本当に死にたい気持ちはあるのだと思います。とはいってもそれに入り込んでしまったら、あなたの体がもちません。本人の状況を見ながら、あなたの疲れない範囲で聞いてあげれば良いと思います。hasunohaの回答僧のひとりが、「自分の心が充実していないと答えられないよね」とおっしゃっていましたが、本当にその通り。あなただって、いつも絶好調、ドンと来い、って事はないですよね。無理せず、できる範囲でが基本です。

 hasunohaには、そんな死にたい方への返し方がいろいろあるので、参考になさると良いと思います。
 また、その方にhasunohaを紹介して差し上げるのも良いと思います。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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運営サイドとしっかり課題を共有されて下さい

シャムネコ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

昔に精神障害者の授産施設を運営する作業所の社会福祉法人の運営に携わったことがございますが、同じようなことがございました・・

一生懸命に対応しようとすればするほどに、まさにこちらの心身まで病んでしまう・・

やがて冷静な判断能力を失い、対処できなくなる、あるいは逆にかなり怠惰になってしまった時に・・恐れていたことが起きてしまう可能性が高まってしまう・・

拙生が理事長をしていた時は、とにかく自殺ゼロにという消極的な運営にて、何とかやり過ごしましたが、安定した運営こそが自殺ゼロに繋がるとして、あまり恐れ過ぎずに、もっと運営に重きを置くべきであったと今では反省致しております。

とにかく過度に一人の職員に負担・ストレスが集まらないようにする措置が大切となります。

特に、私用携帯のメールや番号は決して教えてはいけないでしょう。あの現場においての公私混同は、余計な負担を増大させるだけです。しっかりと仕事とプライベートは分けることです。利用者さんとのやりとりは、施設の携帯の引継等にて各職員が対応していくべきです。夜間は輪番での持ち回りが必要かもしれませんが。また、その方が色々な問題の共有にもなりますので。

そのあたりは運営サイドとしっかりと協議して、少ない職員の中であるかとは思いますが、何とかバランスを保つことが重要となります。

それとあまり萎縮し過ぎないことです。正直、拙生は萎縮し過ぎました。最悪な自殺さえ防げればと・・結果として、拙生の勇退後には、その萎縮の影響もあったのか、法人・施設共にかなり低迷していってしまったようです。

とにかく運営サイドと現場サイドとの意志疎通・連携が大切となります。問題と感じておられることを運営サイドとしっかり共有して課題解決に努められて下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

佐藤様、聖章様、光禪様、川口 英俊様、早くのご回答ありがとうございます。私は相談専門員で 毎日 たくさんの方とメールや電話でやりとりをし、相談や福祉上の手続きについての説明等を行うことを業務としております。個人的なやり取りではなく、仕事としての相談のなかで 精神的に不安定な方は 一日に何度も連絡があります。他の方も「手首いまから切るよ」「包丁持ったよ」などの発言が見られますが 彼女の「死にたい」はそれとも何か違う感じがしていました。皆様のお答えを繰り返し読ませていただいたなかで つい先ほど 「そっか!基本はやっぱり構ってちゃんなんだ!死にたい は注目してほしい気持ちと逃げたい気持ちが混ざった結果の表現なのかもしれない。パーソナル障害の最も基本のところだな」と唐突に感じて 肩こりがほぐれたような(^^;)なんともすっきりした気持ちになりました。今回 自分の気持ちの余裕がなくなるとこんな感情が出てくることがわかりました。自身の心身管理をきちんとしなければいけないことを教えていただき 本当にありがとうございました!

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

過去と幸せな今について

はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
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死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
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死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ