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子供を亡くしました

回答数回答 3
有り難し有り難し 154

長男が亡くなりました。自死です。

とても優しい、正義感の強い真面目な子でした。
なぜ死ななければいけなかったのか、なんでなぜ気が付いてやれなかったのか、もっと優しくしてあげればよかった・・・
後悔と反省と疑問ばかりです。

長男は今苦しんだり迷ったりしていませんか。さみしくないですか。
どこにいますか。
もうすぐ四十九日です。

私はこれから長男のために何をしてあげられるのでしょうか。
取り返しのつかないことをしてしまいまいました。
失ってその大切さにやっと気が付いた感じです。

まだ仏壇も用意できていません。
しばらくお骨は家に置いておくつもりです。

宗教にこだわりはなく、自分の想いが大切だと考えています。
が、色々調べるうちに気になってきて。
長男のために、仏壇を置くときにお坊さんに来ていただくべきでしょうか。

長男がいなくなっても、毎日の生活は続いています。これからも続いていきます。
これから一生、長男を亡くした悲しみや辛さとともに生きていきます。私がそれに耐えられるか不安です。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

息子さんの供養のためにも家族で力強く生きてください。

Kさん、こんにちは。

息子さんの自死、お悔やみを申し上げます。
まだ四十九ですから、まだまだ心の整理もついていないと思います。
もともと仏教は葬式はしません。でもなぜするようになったかというと、死を通して仏教の目的である諸行無常の真理を悟り、心の安心と向上を目指すための仏縁となるからです。
息子さんの死は悲しいことですが、息子さんの心にも仏性があり、すべての現象は仏さまのみ教えといいます。死を通して生命の大切さを知り、自分の生き方や家族の絆を強くすることができるはずです。それこそが亡くなった息子さんへの最高の供養になります。

その誓いをする場が仏壇なのです。毎日拝むことによって仏さまに感謝し、亡くなったご先祖様、息子さんにいつも一緒にいることの家族の絆を誓う場なのです。またそのお導きをされるプロがお坊さんになります。

悲しかったご縁ですが、是非そのご縁を仏さまの仏縁だと信じ、仏壇を安置して供養してください。高い仏壇でなくてかまいません。小さな仏壇でもカラーボックスでもいいのです。自分の家にあったお仏壇を求めてください。そして仏さまと一緒に息子のお位牌をご安置し、毎日お水お茶を捧げて、供養をしてあげてください。それを見た他の子供たちは、あなたの子を思う気持ちを理解するでしょう。すると子供立ちは子を思う親の気持ちを知り親思いの良い子に育ちます。それもまた息子さんの菩薩行なのです。

仏壇や仏具は、儀式として性根入れを通して神聖なものとして区別するのですが、するかしないかは施主様のお気持ちになります。四十九日忌に僧侶を呼ばれるのであれば四十九日忌法要と一緒に性根入れをしてもらってもいいでしょう。ご縁がなければ私が遠方にて性根入れをさせてもらっても良いです。

三回忌まではまだまだ心は落ち着かないと思いますが、お母さんは子供の鏡でなければなりません。息子の分まで力強く生きて今兄の死を受け入れようとしている子供たちの見本になってあげてください。いつでもつらければご連絡してください。心の相手をさせて頂きます。合掌

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無上道 あらゆる苦しみを超える道

仏教とは無上菩提を説きます。
万人が得られるやすらいの心を説いています。
人生のあらゆる困難や苦しみから逃れる、救われるための教えが説かれています。
私自身もあらゆる苦しみから仏教によって救われました。
Kさんもご自身を救うために、仏道修行がはじまることをお勧めします。Kさんが菩提心を起こすことによってそれは始まります。
仏道修行とは自らの心をおさめることです。
いわゆる故人様への供養として塔婆を立てる、墓石を建立する、仏壇を購入する、法事をするということは、それをすればそれだけでよいことのように思われてしまっていますが、本当に大切なのは精神です。
根本は自らの心も、世の中の人の苦しみをも救う「菩提心」をうち立てることにこそあるのです。
仏教は菩提心から始まっています。菩提心があってこそ広まっています。
塔婆を立てるのも供養塔を立てるのも皆、安らぎを求め、世の人の苦しみ救っていこうという慈悲心や菩提心を打ち立てるという誓願のもとに建てられてきたのです。
故人を思いやって、故人がこの世で成し遂げられなかった善行や世の中がよくなるような功徳を積むためにも、代務代行としてでも、ご自身のためにこと仏道を歩んでください。
それが二人で同じ道を歩むことになります。
お子さんが亡くなられてしまった事、さぞかしお苦しいことと思います。
先日もあなたと同じくお子様を亡くされた方が来山されました。
私も昨年、仏道仲間や弟弟子との別れを経験しました。
私は彼らの菩提を弔う行為として菩提心を奮い起こしています。
己を離れ、自分の持てる力の限りどなたかの為にお役に立てるようにつとめるのです。
衆生という言葉があります。
自分の中でその方を想う心、と理解して頂ければありがたいです。
自分の中でああ、あの子が苦しんでいるであろうなぁ、申し訳ないなぁと思う心です。
その自心の衆生を救う事があなたの苦しみを取り除くことにつながります。
お子さんを救ってあげたい、何かできることをしてあげたい、という心を菩提心に転化させるのです。
それが菩提を弔うことにつながります。
あなたはあなたの人生なのです。
そして、あなたの愛情を必要としているお子さんがおられるはずです。
あなたの人生を歩み直す為にも菩提心を起こして、❝出道を欣求❞なさってください。

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おきもち

慌てる事なく心を込めご供養することです

拝読させて頂きました。あなたもご家族の皆様も本当にお辛い悲しい思いをなさっておられることかとお察し申し上げます。
ご長男さんが必ず仏様のお導きを正しく受けて、仏様のもとに生まれ変わり心から安らかに安心なさって、これからご成仏頂きます様にと心を込めてお念仏おとなえし仏様にお願いさせて頂きますね。
南無阿弥陀仏
どうかあなたもご長男さんが仏様の元に生まれ変わって心から安心してご成仏なさって頂きます様にと手を合われてお念仏おとなえしお願いなさってください。
南無阿弥陀仏
必ずや仏様はあなたの願い私の願いをお聞き届けいただいてご長男さんを正しく導いて頂きます。
49日はなくなられた方がこの世から旅立ち仏様の極楽浄土に生まれ変わる日といわれております。
ですから必ず必ずご長男さんは仏様のもとに生まれ、ご先祖様方に巡り合い安心なさることでしょう。
そしてこれからもあなたや皆さんをお見守りなさってくださいます。ご長男さんとのご縁はこれからも永遠に続くのです。いつもいつもあなたや皆さんの心の中でお近くにいてくださいます。

お骨の埋葬やお仏壇については菩提寺のご住職様にご相談なさってみても良いと思います。
そしてあわててお仏壇は買わなくても良いと私は思います。
それぞれのお宅でお仏壇を置かれるところも違うでしょうし、私は皆さんがいつもいらっしゃるリビングが良いと思いますので慌てずにご家族でご相談なさってから購入し設置する時にはご住職様にご仏壇の仏様の魂入れの開眼をして頂いてください。開眼作法をして初めて仏様をお参りできますので。

ご納骨についても私はしばらくご自宅で身近においてご供養なさっても私は良いと思います。
あわてることはありませんから毎日朝手を合わせてお声をかけてご供養なさって頂きたいと思います。
その死を今すぐ何がなんでも受け入れることはは大変辛いことです。どうかご自分を責めないでください。あなたのお気持ちをいつでも聞かせくださいね。あなたをいつもお待ちしています。

あなたもいつに日にかその生命が全うされるその時に仏様の元にお導きを受けられます。そして再びご長男さんにお会いすることでしょう。そして喜び合うことでしょう。それまではどうか見守っていてくださいねとお願いなさってくださいね。そしてこれからもご長男さんを心を込めてご供養なさってくださいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

皆様、早速のご回答、本当にありがとうございます。
何度も何度も読み返しています。これからもきっと何度も何度も読み返すと思います。
本当にありがとうございます。

現実を受け止め、長男に恥ずかしくないよう生きていきます。

お仏壇のことはいただいたご回答を参考に、家族でよく話し合って決めたいと思います。

質問の投稿を迷ったのですが、投稿してよかったです。
感謝しかありません。本当にありがとうございます。

「身近・大切な人が自死・自殺」問答一覧

部長として友人として、どう反応すべき?

先月先輩が引退してから高校ダンス部の部長を務めています。 私たちは部員不足に日々悩まされており、自分の学年などは私が入部した時学年1人(私だけ)の様相でした。頼み込んで仲の良い友達数人に途中入部してもらって、彼女たちも部活を気に入ってくれている状態で今に至ります。 深刻な人数不足解消のため、もともと私たちの学年で新歓の呼び込みを頑張ろうねと言う話は、前々からしていました。 ここからが本題です。最近、発表に惹かれたと言ってくれた同級生の子たちを、同期の子たちがすごい勢いで呼び込んでいるのです。 SNSで未経験でも大丈夫!最高学年から途中入部でも平気だよ!というふうに入部を呼びかけていて… ほぼ入部を心に決めた子もいると聞きました。 彼女たちが本気で部活の現状を憂いてくれているのはわかるし、皆がうちに興味を持ってくれること自体はとても嬉しくありがたいことなのですが、最高学年(しかも未経験で振り付けも技術も一から教えなければならない)が何人も部活に入ってくることになります。自分達の練習と後輩の指導に加えてさらに仕事が増えるのは明白です。 それに、最高学年の段階で入ってきてくれたとて、今年には引退なので、未来の部活のため、後輩のためにはならないのです。 同期たちが指導を担ってくれるならまだしも、彼女たちは兼部で、もともと出席率が低めです。しかも同学年の中で振り付けを完璧に覚えているのは私ともう1人の子だけなのです。(その子は勧誘活動していません)私たちに負担が集中することは目に見えています。仲の良い訳ではない同学年の新入部員。指導は手に余ると感じてしまいます…。 同輩たちを無責任だと思ってしまう心の狭さに自己嫌悪しかないです。私は沈んでいく船の修理を拒む老害なのでしょうか。 引き継ぎ以降どんどん積み上がっていく部長の仕事にただでさえいっぱいいっぱいなのに、新しい頭痛の種に耐えきれません。 勧誘をやめてなどと言って私が新しい子達を拒絶しているのがバレて、軽蔑されるのが怖いです。だって同輩たちが部のためを思って善意で勧誘活動をしているのは見ればわかるのです。 この気持ちが排他的で自己中で食わず嫌いで、とにかく最低なことはわかっています。でも心がついてこないのです。自分を納得させる方法か、同輩への伝え方のご助言いただきたいです。

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彼の自殺と苦悩

先日、こちらで彼が、わたしと何か言えない事情で別れようとしている、という件についてご相談しました。 その彼から、 わたしとは無関係の、わたしに言えない、彼の抱える問題のために別れよう。他の人と幸せになって。自分問題には巻き込めない。という言い方で別れを告げられました。泣きながらでした。 今住んでいるアパートからはいなくなる、とも言っていました。行き先は言えないと。最近部屋の掃除をしていたので、引っ越し準備だと理解しました。 私のことは大好きだから、俺の問題に巻き込めない、と苦しみながら頑なに言うので。なぜ、どうして、と何度も食い下がるのはやめました。お互いそれなりの年齢なので、背負うものもある、こういうのも人生なのだ、と、思いました。 でも、別れを受け入れるかわりに、 別れるならお互いの気持ちが落ち着いたら友達になろう。 どんなにつらい事があっても生きよう、お互い何かあれば声をかけあい、孤独にはならないようにしよう、 とわたしは言い、彼は頷いてくれました。 その日は別れることに納得したつもりで帰りました。 それでも、翌日に未練が湧いてきました。あまりに未練がましく言うのはいけないが、もう一度だけ食い下がってみよう、と。電話をかけたら、電話が繋がらなくなっていました。 そして、そのあと、彼が自死したことがわかりました。 なぜなぜなぜ、と。片付けしていたのは死ぬためだったのか、と。やむを得ない事情って何?!と。絶対別れないと言えば良かったのか、と。わたしに幸せになれ、と言ってもこんな最後では無理だ、とか。 過去の彼の発言一つ一つを思い出し、脳内が暴走します。 ぐちゃぐちゃと脳内が混乱して、受け止めれないし、彼の旅だったところへ、同じ場所、同じ方法で追えば会えるのだろうか、後を追いたい、とか。 しっかりしろ、と自分に言い聞かすのだけど、疑問、喪失感、自責の念、やり場のない怒り、色んなものが渦巻いて。苦しくて苦しくて、苦しくて苦しくて。 辛いです。辛くてたまりません… 助けてください。。。どうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 6
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私の誕生日前に義弟が自殺してしまった

はじめまして。よろしくお願いいたします。 先日、私の誕生日の4日前に、主人の弟が自殺で亡くなりました。 私はいわゆる機能不全の家庭で育っていて、自分の家族とは絶縁しております。私の誕生日は10歳でなくなりました。母親と同じ誕生日で、母親がそれを嫌がった為です。 そんな境遇を知っている主人は、出会ってからずっと私の誕生日を大事にしてきてくれました。今回のことがあって、この先私の誕生日が主人にとって辛いものになるのではないか、という不安があります。 義弟の葬儀は家族葬で、お義母様のご意向で他の兄弟の配偶者達も参列せずに行われました。ですが、これからの法事には長男の嫁である私は参加しないわけにもいかないと思います。するとどうしても誕生日前後に法事がはいることになるかと思います。 私は祝われないことは慣れていますので問題ありません。ですが主人は昔から私が自分の誕生日を何とも思っていないことを悲しんで、特別な日だよ、君が生まれた大切な日だよ、と毎年少しでも私を喜ばせようとしてくれていました。 なのでこれから毎年、主人が弟を思い出し悲しむ気持ちと、私への申し訳なさの板挟みになるのではないか、と不安に思っています。 そして、そう不安に思うのに、自分の誕生日になど何の意味もないと思ってきたはずなのに、ここにきて少し寂しいと思ってしまっている自分がいます。 2人で笑い合って楽しい1日を毎年過ごさせてもらっているうちに、いつのまにか楽しみになっていたのだな、と気付かされました。 祝ってほしいとかではなく、あの楽しい日がなくなってしまう、ということに心がついていかない、というような感覚です。 言葉を選ばずに言いますと、期待しなければ傷付かずに済む、と凍らせた心を、何年もかけて温めてもらい、やっと楽しみに思えるようになったのに、また心を殺さなくてはならないのか、というような…。 義弟が亡くなったことは心から悲しく思いますし、恨むであるとかそんな気持ちは微塵もありません。 主人に大切にしてもらっているうちに私は相当な甘ったれになったようです。もう一度心を殺せる自信が今の私にはありません…。 でもこんな私を愛して大切にしてくれる主人の気持ちに寄り添い、私になど気を遣わせず、この先ずっと共に義弟を偲んでいきたいのです。 私の性根を叩き直すようなお言葉をいただけませんでしょうか。お願いいたします。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

いつか死んだ子に会いたい

我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。 以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。 私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。 我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。 辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。) あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。 あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。 最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。 私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。 あの世があるのか?そこで会えるのか? 誰もがわからないその問いでしょうが、 これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。 愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。 倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。 会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。 体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。 自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。 けれどもだんだん疲れてきました。 自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 61
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ