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妊婦さんはお葬式に行ってもいいのですか?

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姑が他界し、葬儀を行います。
身内で妊娠している者がいて、葬儀に参加するそうです。

妊婦はお葬式に参列は慎むべきと昔、自分の親族から聞いた憶えがあり、ネットで調べたら、
「参列しないほうがいい」、「鏡をお腹に忍ばれたら葬儀にでてもいい」、「迷信なので、妊婦でも普通に葬儀に参加しても大丈夫」など、色々な情報が飛び交っていて、なにか本当なのか。

夫に話したら「そんなの迷信だよ」ととくに気にしていませんでした。
私は妊婦ではありません。親戚の女性が妊婦なのです。

夫側の親族はあまり迷信とか気にしない人たちなのです。

その妊婦さんは、火葬場にも来ると言ってました。

私は、昔から言われている禁忌は理由があると、けっこう昔からの迷信を気にするほうです。

禁忌とされていることや、縁起が悪いことは自分は極力しません。
ご飯に箸を刺すとか、仏滅の日に結婚式とかそういったことは絶対しませんでした。

お葬式は妊婦さんも参列したいと言っているので、仕方ないかと思いますが、火葬場は来てほしくないのです。

ネットで読むと、胎児に障りが出るとか、沢山嫌なことが書いてありました。

これって本当なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

根拠の無い迷信ですが・・・・話題にしないことです

 根拠の無い迷信です。

 或る葬儀で故人の長男のお嫁さんが参列しなかったので、不思議に思っていたらお嫁さんが妊娠しているので、参列しなかったそうです。但し、深くは追及しなかったので、それがご本人の意思のによるものか、周囲からの圧力によるものか、わかりません。
  正直、寺の住職の立場としては、そういう迷信を解消したいなあと思ってます。しかし、現実はそう単純ではありません。私はそういう禁忌が迷信に由来するものだとわかっていても、それを問題視して多くの人のいる場で語ったりことは敢えて避けました。何故かというと、「迷信だ」「間違っている」と声を大にして言うことが却って「迷信の再生産」を引き起こしかねないのです。

 妊婦さんについて禁忌がいろいろパターンがあるようですが、敢えて具体的には触れません。この手の禁忌が根強く残っている地域もあれば、薄れて来ている地域もあると思います。一番良いのは「禁忌を話題にしない」ことです。話題にすることが「迷信の再生産」になるからです。仮に話題として出た場合は「その禁忌は根拠の無い迷信である」ことをその場にいる人たちに言いましょう。そして「妊婦には、迷信の存在を伝えない」ことが妊婦に対する思いやりであると伝えましょう。

 他の葬儀で、妊婦さんが火葬場に行ったり、葬儀に参列したりしたことも結構ありました。その妊婦さんの周囲には余計な迷信を撒き散らす人は居なかったのだと思います。世のすべての方々がこの迷信に染まっている訳では無いのです。

  妊婦さんのことを心配してあげるのは良いことだと思います。それだけに、「迷信を伝えない」「話題にしない」ことが最善の方法であることをご理解下さい。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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迷信というのは全くのデタラメであったり、何か理由があって生まれたり、いろいろなものがあると思います。
あなたが心配していることは、もしかしたら、妊婦さんに体調的に負担をかけてはいけないという理由から生まれたのかもしれません。

親戚の方の体調によって判断してもらいましょう。気温も低いですし、風邪も流行っていますからね。特に火葬場やお墓は寒いですし、控え室は暖房があっても多くの人が集まりますから風邪をうつされることもあるかもしれません。

なお、私は仏滅に結婚式を挙げましたが特に問題は起きていません。迷信に執着し過ぎないようにしましょうね。
仏教とは理性で考えて行動することですよ。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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体調を配慮しあいましょう

拝読させて頂きました。聖章 師のおっしゃる通り妊婦さんの体調を配慮して参列を控えることかと思います。
お葬式は大変気を使いますし、精神的にも不安定になりやすいですからね。
周りの人たちも妊婦の体調を心配するでしょうから周りへの配慮も鑑みて差し控えることを検討することは大切です。

大切なことはお亡くなりになられた方をそれぞれの方々が真心込めて供養なさりしっかりとお送りすることです。ですから可能な範囲で良いと思います。

無理して体調を崩してしまったら元も子もないですからね。
そしたら亡くなられたお姑様もかえって心配になってしまうかもしれませんからね。

場所は違っても心を込めて供養することはできますからね。

よくよくお互いが配慮しあいましょう。

お亡くなりになられたお姑様の極楽浄土への往生を心を込めてお念仏おとなえし仏様にお願いさせて頂きます。

南無阿弥陀仏

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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それはなぜかを自分で考えましょう。

 最近問題になったWELQ問題をご存知でしょうか?これはニュースになったので一度検索してみてください。あなたが観たのは迷信でもなんでもありません。ネットだけの情報です。本来は第1文献まで遡らないといけないことをあなたは人がこう言ったから、ネットでこう書いてあるから、週刊誌がこう書いてあるからとあまりにも短絡的に信じすぎです。物事は「盲目の象」です。そこを先ずは注意しましょう。「嫌いな人の真実より、好きな人の嘘。」という言葉もありますので、自分は如何に都合のいいものだけを信じているかを注意してください。
 妊婦さんがどうして葬式に参加してはいけないか?少し考えましたが、まずは葬儀で気を使うべきは遺族や故人に対してです。しかし、妊婦さんがいるとそちらに気が向いてしまう。今でこそ、出産日が特定できますが、計算が確立されなかった時代は急に産気づく場合や悪阻、その他の気分の変化で葬儀が中断してしまうのを避けたかったのではないでしょうか?ある意味、妊婦さんに対する気遣いかもしれませんね。
 今の時代は文明が進んで出産日時も特定できますから無理しない程度に参加するのは自己責任も合わせて問題ないと思います。葬儀場も換気がよく、それほど線香の煙も煙たくないと思います。あなた自身がすべきことは排除ではなく、葬儀に対して只管参加することです。
 私は以前、「子供がうるさいから退出させろ。」と言った人が言いました。私はただ一言「私はうるさいとは思いませんし、邪魔とは思いませんよ。」と言いました。葬儀や仏事にR指定はありません。参加、参拝は個人の自由です。もしうるさい人が居たら、子供や大人関わらず同じように退出させない方法を考えます。退出させることは私の布教不足です。自分の反省点です。そこに迷信はありません。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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質問者からのお礼

妊婦の人は、葬儀に参加しました。
身内で、このことについては噂を立てる者はいませんでした。

自分ですが、元々西日本の人間で、関東の人とは風習が違います。
西日本ならではの古い迷信や風習があって、自分はそれに振り回されていました。

たまに勘が鋭いときがたまにあって、自分でも嫌だと思うときがあります。一回、死にかけたことがあって、それから勘が鋭くなりました。

姑が亡くなった日も、知らせの前に「これから、慌ただしくなるから」と変な予感がしました。予感というか虫の知らせです。あるんです。身内が亡くなるときは。自分の血縁の身内ときは、もっとはっきりした虫の知らせでした。

無事に葬儀も終わりました。

身内の妊婦ですが、7月に出産予定です。

なにか子供や妊婦に起こっても、迷信とは関係のないことだと思う方向でいきます。

無事に出産し、元気な子供が生まれてくるといいですね。

変な噂や、迷信や占いに惑わされないように、しっかりと生きていきます。

お坊様の皆様、アドバイスありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ