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自分が拝む仏様

回答数回答 4
有り難し有り難し 56

十方諸国土に三世諸仏様、
数多の菩薩様や天部の神様がいらっしゃいますが、

特定のお寺に檀家に入っている意識も薄く、
仏像様も身近にない
在家の者は
自分が集中して拝む仏様というのは、
どうやって選ぶのですか。
別に選ばなくても良いのですか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様は常に現前しておりますが

  曹洞宗の吉田俊英と申します。

 我々住職がお仏壇などの仏像の開眼供養を行う際に、下記のような回向文(開眼供養することの意義を説明し、仏様のと功徳を説明する)を唱えます。
「仏身は法界に充満し、普く一切群生の前に現ず。縁に従い感に赴いて遍からずということなし。」

意訳しますと
  仏様というのは、この世界に満ち満ちており、すべての人たちの目の前に現れています。(我々が先祖のことを思い出したり悩み事で心がくじけそうになったりして)何かに神仏に頼ろうとして手を合わせようとする時があります。また(見えざる大きな力によって守られ支えられていることに思わず「お陰様」と言うように)感謝や供養の心を抱く時があります。このように仏様はいつも我々の側に居て下さり、あらわれないということはない。

  阿弥陀様でも観音様でもお薬師様でも、自分なりに信仰している佛菩薩がある方でしたら、必ずしも自宅に本尊様を置かなくても構いません。その仏様のことを思って手を合わせる時、仏様は現前(目の前に現れる)致します。

  確固たる信仰とまでいかなくても、自宅に仏壇があったり日頃から菩提寺を身近に感じたりして居られる方でしたら、上記の回向文もしくはそれに近い気持ちを持っておられると思います。

  前置きが長くなりましたが、Tk_K46さんが仏様をお祀りする場合は、下記のような方法で御検討されたら、いかがでしょうか?

1、ご実家の菩提寺の御本尊様、もしくは御宗旨(宗派)の御本尊様
2、先の質問で「達磨大師様が伝えられた武術をルーツにしている」と書いておられますが、達磨大師は禅宗の祖と呼ばれる方です。禅宗の伝統では、お釈迦様を初代の祖師としており、達磨大師は28代目の祖師にあたるとされております。お釈迦様すなわち釈迦如来を本尊様としてお参りされたら、宜しいかと思います。

 費用面のことも気になるかもしれませんね。仏壇用の本尊様は仏像となりますと、数万円から数十万円ぐらい致します。仏壇用の掛け軸でしたら、数千円で購入できると思います。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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拝むということ

拝むという行為は、対象を作り偶像に向かい何かを願ったり、祈ったりするものではないのでしょう。
一般的には、自分と、自分以外のものというように分けて物事を考えるので、仏像を拝むように感じると思います。
しかし、本来は、対象を拝むのではなく、目の前に広がる様子はまさに自分自身のようすであることを知り自分自身を拝むかのように手を合わせることができる。それがお釈迦様から今に伝わる様々な偉いお坊さんたちの姿なんでしょう。対象を作っているうちは本来の手を合わせる行為になっていないということですから、私たちは修行する訳です。

対象になる仏像がなくても手を合わせる行為そのものに意味があるのです。もし対象が欲しければ紙に”〇〇菩薩”とか書いて貼るだけでも良いと思いますよ。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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自分が惚れる仏さまを探しましょう!

Tk_K46さん、こんにちは。

特定の寺院、宗教に入っていない場合は、いろんな仏さまを調べたり実際にお寺に行って仏さまを見て、自分の心と波長の合う仏さまを探してみてはいかがでしょうか?たくさんの仏さまがおられますので、必ずあなたに合う仏さまがいるはずです。

または自分の仏教の師を探すのもいいでしょう。もし師が見つかれば師の尊崇する本尊を自分も祀るのは普通です。

そして一番スタンダードなのは、やはりお釈迦様です。お釈迦様から信仰をはじめて、そこから広げていくというのもいいでしょう。

がんばって、my仏さま を見つけてくださいね!合掌

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師僧を探されてみられる

Tk_K46様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏様に礼拝(敬礼)するというのは、三宝への帰依と共に、菩提心(悟りを目指すための強い意志)を起こし、しっかりと仏道を歩んでいくために大切なこととなります。

また、どうか尊い教えをお授け下さいという勧請の意味合い、しっかりと賜りたいという受け手の側の真摯な心の表れでもあるかと存じます。

ご本尊様をお祀りになられましたら、しっかりと礼拝(敬礼)致して、仏法を学び修して参りたいものとなります。

ご本尊様につきましては、菩提寺も無いようでしたら、一度、仏の教えを説いて頂ける師としての僧侶をまず探されるということからでも。

やはり直接に仏様から教えを賜ることができないこの現世においては、その法を確かに扱い実践している師となる先生がやはり必要となります。

師を探されることから、その師より、ご本尊様のことも具体的にご指導を受けられていかれると良いのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

邦元様
御回答ありがとうございます。
自分の拝む仏様はむしろ名がないほうが善いと感じました。
たとえば、山に登ったりしたら、みえる景色に「ありがたや」と拝み、
空手の稽古をしては、達成感やスゴワザを見た時に「ありがたや」と拝み、
道を歩いては何か発見しては「ありがたや」と拝めばいいんだと、
無宗派なりに考えました。
すこし、いいことに気が付きました。ありがとうございました。

吉田俊英様
御回答ありがとうございます。
考えようによっては、武道を通して、達磨大師様⇒お釈迦様へとつながるということもできるかもしれないわけですね。
仏壇やお軸の件もなかなか捨てがたいですが、
ひとまず「トレーニングしては拝み...」という段階を愚直に繰り返してみたいとも思っています。
ありがとうございました。

染川智勇様
御回答ありがとうございます。
そうですね。myほとけを捜すことのプロセスを楽しむという考え方もありましたね。

今日見つからなくても、明日見つからなくても焦らず、
新興宗教に騙されず、邪魔されず、myほとけを探してみます。
ありがとうございました。

川口英俊様
御回答ありがとうございます。
そうですね。
自分勝手に仏様を探して、拝んでいては、
独りよがりのインチキ宗教と変わらないということに気づきました。

空手も師範に学ばなければ、
ただのケンカの練習に過ぎないというのと同じで、
仏の道も正しい師に導いてもらわないと、
良い結果に結びつかないわけですね。

私は浅はかでした。それに気づきました。
ありがとうございました。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ