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死ぬために生きるということ

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有り難し有り難し 52

長文失礼致します。
「早く死にたい。なんのために生きているんだろう」という、答えの出ない疑問に悩んでいます。
前々から思っていた事ではありますが、最近は特に強く、そして気付けばずっとそのことばかりに頭を悩ませています。

数年前、母がうつ病を煩ってからというもの、発達傷害を持った姉の事もあり、両親の喧嘩は毎晩絶えず、その度私は一人で声も出さず泣く日々を繰り返しました。
当時小学生だった私に頼れる存在はなく、他の兄弟もすでに自立しており、我が家ながら自分の居場所がどこにもない感覚に押し潰されていました。

幼少期の経験からか、今は対人恐怖症なのかなと思う程人と関わるのが苦手で、集団の中にいると酷く虫酸が走るような感覚に襲われ「どうしてこんな所にいるんだろう」と、自分の存在意義を見失います。
昔から勘の鋭い自覚はあり、相手の顔を見るだけで相手の考えている事が分かってしまう為、カウンセラー相手でも本音を言う事は滅多にありません。

己を含む人という生物が嫌いで、その為他人から向けられる好意が気持ち悪く感じてしまいます。
そのくせ人を傷付けることが怖くて出来ず、自分が傷付けたという事実に自分が傷付き、自己嫌悪に陥ります。
「他人を傷付けるくらいなら自分だけが苦しい思いをしていればいい」と、笑顔を作り、他人を優先する…我ながら馬鹿馬鹿しい程の矛盾と無意味な自己犠牲のせいで、結果他人から好かれ、異性からは好意を向けられたりと、終わらない悪循環で苦しみます。

そして例えば、化粧っ気のなかった同級生が久々に会ったら化粧をして綺麗に着飾っていたりなど、自分の知らない所で周りが変わっていってしまうことに恐怖を感じます。
つい最近、年の離れた姉の妊娠事実を知りました。喜ばしいことのはずなのに、最初に抱いた感情は戸惑いや恐怖でした。姉と彼氏との仲がそこまでよくなかったこともありますが、それよりも自分の姉が姉でなくなる事に漠然とした喪失感を覚えました。
姉を独り占めしたいだとか、そういう事ではなく、ただ変わることへの恐怖が非常に強いです。自分は変わりたくない。

このように、人とろくに関わる事もできず、どうしようもない性格なのでこの先不安しかありません。死ぬことを考えてる時は他のことを忘れられるので、今はどうやって死のうか、又、大人になったら死のうと心の逃げ場を作っておく事で生きています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人と人との繋がりの中で、心の居場所は、見えてくるものだから。

そっか。。。恐怖や不安。。。だったら、死んだほうがいいかな〜 そう考えるほうが気分がラクなんだねぇ。。。

この世は、時間が流れ、いっときも留まることがありません。環境も、人の気持ちも、自分のことだって、本当はよく分からないまま、その流れに生きている。安心できる居場所は、そのときどきで、変わっていくのかも知れない。いや、私が変わっていっているのかも知れない。
実際には、みんな、そんな深く考えずに、今を生きている。

あなたの取り巻く環境でね、親や 姉さん、お兄さん、友達、みんなそれぞれに、移りゆく時間を精一杯生きているとね、自然と環境は変わっていくものよね。それも、あなたにとったら恐怖や不安なのよね。

そこを解消するのは、あなたの その気持ちを、ちゃんとぶつけることだと思うよ。上手く言葉に出来なくても、こんなふうに感じるんだって、ここに私 居ていいんだよねって。

人と人との繋がりの中で、心の居場所は、見えてくるものだから。

私は、悩みを解決するカウンセラーではないけれど、あなたの気持ちを、その気持ちのまま、尊重したいなって思うよ。
どうこう出来るものじゃないけれど、私は変わらず、あなたの気持ちを受け止めたい。ちゃんと認めてあげたい。

死ぬ道まで考えるのならば、これが縁だと思って、また連絡ちょうだいね。

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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仏様に導かれて

拝読させて頂きました。あなたの思いをじっくりと読ませて頂きました。
己の存在や回りの存在を考えると嫌悪感をもつことは確かにあるでしょう。生きることがすべて罪でもあるように感じることもあるっでしょうし、それぞれの生きざまを見ると恐ろしく感じることはあると思います。
あなたがそうお感じになることは否定されることでもありませんし、その時その時の感覚は人生の中で常に揺れ動いていきます。
自分にも他人にも不安や恐怖を感じるでしょう、そしてこれからあなたが成長なさっていく過程でも様々な感情が入り混じって参ります。

普遍的な真理として今いえることは全てのものが移り変わりゆくという事実です。
私達自体もおよそ3カ月でその細胞は移り変わっていき、決して同じ状態を留めることはありません。ですから自分であると自覚している自分も常に変わっていっているのです。
当たり前と言われればそうですが、その現実を自分が受け止めて受け入れていくことは本当に恐怖と隣り合わせのことです。
それぞれの細胞には寿命があり、新陳代謝をしてもその生命には寿命が与えられています。
まだまだ先の事かもしれませんが、あなたにも私にもあなたのご家族様にも同様にその事実は与えられているのです。
そのことをどう受け入れていくのかが実は人生で一番大切なことではないかと思います。
誰しもが普段は意識しない或は目を背けている厳然とした死に向かっているという事実に向き合うことはとても恐ろしいことでもあります。
そこでは自分を取り繕うことはできません。ありのままただただ受け入れていくほかはありません。
これからの人生において様々な出来事もあるでしょうし、様々な方々との出会いや別れもあるでしょう。あなたはありのまま素直にお向き合いなさって頂いて喜びや苦しみの波を乗り越えていって頂きたいと切に願います。
あなたも私もその生命が全うされる時には必ず必ず仏様がお迎えなさってくださいます。そして心安らかに仏となっていくのです。まだ人生は始まったばかりです。

あなたがこれから素敵な出会いや経験の中で素直に成長なさっていかれてその生命を力強く発揮していかれ、仏様に正しく導かれて参ります様にと切にご祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「生きる意味」問答一覧

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 19
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今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 8
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生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

行き着くところは皆同じ

ある時、生きる意味を教えてくれた人がいました。 生きることは愛である。と教えてもらいました。 その時から私も生きることは愛だと考えるようになりました。 話を聞いている中で疑問ができたので、恩師に質問をしました。 この世に生まれてきて、愛に触れて愛を学び、それが一番大切なものだと気づいたとして、そのあと行き着くのは何処ですか?と質問しました。 行き着くところは皆同じ、源だ。と教わりました。 たくさん宗教があるが最後行き着く場所は皆、源である。と教えて頂きまさした。 まだうまく理解はできていないのですが、 生命あるもの皆等しくいずれ天に還る。ということかと仮定しました。 そう考えた時に、死後この世界ではない別の世界があり、そこに源があるなら、本当の世界とは死後の世界ではないかと考えました。 天に還るという事は、元は私たちは天からやってきたのか?とふと思いました。 でもやっぱり死んでみないとわからないなぁ、に行きつきました。 恩師の言葉で印象に残っているのは、 この時代、この家族、この友達、この恋人、全部この人生だけの組み合わせである。楽しみ尽くさないと勿体無いよ。ということでした。 人によって考え方は違いますし、 今の生活を修行と言う人もいるし、地獄と言う人もいました。 皆に源って何?と聞いてみましたが、わからないと言っていました。 源とは何でしょうか。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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何のために生きるのか?

度々の質問失礼致します。 過去の質問でも記載した通り、小さなことではありますが自分の中で苦しいことが重なってしまい、生きる意味がよくわからなくなってしまいました。 これまで26年間、成功ばかりではありませんでしたが、与えられたものは淡々とこなし、人道に外れたことはせず、自分自身に恥じない生き方や選択をしてきたつもりです。 苦しい時期もありましたが、それも「いつかは終わる」と信じ、その時その時の楽しみ方を見出して生きてきました。 ですが、最近猛烈な虚無感に襲われます。 新年早々、大きな災害がありました。一生懸命生きていても、どれだけ頑張っても、無情にも失われる命があります。 努力して生きていても報われる保障はない。自分が誰かを愛しても傷つくことばかりだし、大事にしている人間関係もいつなくなるかわからない。お金だって貯めた方がいいという人もいれば若いうちは経験の為に使いなさいという人もいる。 何を信じればいいんでしょうか? 私にとってはここ何年かが全て決断の連続で、怖いけれど、と思いながらも、勇気を出して飛び込んできました。ですがその結果、何もない無力な自分や、不甲斐ない自分を思い知らされるだけです。 本当は他人のアドバイスはほどほどに、何もかも自分で決めて、自分で持った軸をぶらさずに生きていければ良いのでしょうが、私はもう私を信じられません。 悩んでばかりで何も具体的に考えられない、周りの友人たちのように当たり前の毎日を大切に生きることもできません。 26歳のくせにこんなにスカスカで、やりたいことも行きたい場所も、一緒にいたい人も、生きる目的もどこにも見当たらないんです。 仕事でこうしたい、結婚したい、子供がいるなど、自分を何か縛るものがあればきっと目の前のことに集中できるのでしょうが、私にはもう何もありません。 家族も好きなことをしなさいと言ってくれます。ありがたいです。でも誰かにこう生きろと決められた方が幸せなんじゃないかとすら思います。 漠然とした不安に襲われながら毎日淡々と生きてます。 生きるのってこんなに怖いことだったのかと、この年になって気付きました。 死ぬのは怖いです。でも同じくらい先の見えない、正解のない人生が怖いです。 楽になりたいです。先人たちは皆、こんな虚しさを経験したうえで生きてるんでしょうか。

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ