皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

生きるとはつらい事ばかり

生きることはつらい事ばかりおきます
なぜでしょうか?
仏教では、なぜと教えていますか?
またそのつらさに負けて自決を選んでしまった場合
その先には、何が待ってますか?
何年か前に、大好きで信頼している人が自決しました
気持ちは、とてもわかります
なるべく、多くの教派の方のご意見がききたいと思います
教派により、教えに違いはありますか?

仏教
有り難し 24
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

つらい苦しみとは

拝読させて頂きました。おそらく他のお坊さんからもしっかりとご回答が返ってくるとは思いますが、
生きることはつまり苦しみです、つらいことです、と仏教は教えています。
よく言う人生は四苦八苦ということです。
生まれてきて老いていき病にかかり死ななければならないことは生きていくことの中のつらい苦しみです。
また愛するものと離れなければならない、嫌なものと会わなければならない、求めるものが得られない、思い通りにいかない、それは皆苦しみです。
私達はそのような苦しみの中で生きていかなくてはならないのです。
では何で苦しみになるのか?それは私達が真理を知らないからです。ものごとの道理を理解していないからです。
だから我欲や終着によって苦しまなくてはならないのです。

そもそも私達も含めて全てのものごとは常に移り変わるのです。いっ時として同じ状況ではありません。私達の肉体も自分のもののようですが、自分のものではありません。これから100年後にはきっと別のものになっていきますし、100年前には現実に別のものでした。ですからそこに終着することはつまり愚かなことですから矛盾を抱えることになり、苦しまなくてはならなくなってしまいます。

そのことを理解して受け入れていくことが仏教の大切な教えです。

自死なさることはたくさんつらいことを抱えてしまうことにより止むを得ずそう選択せざるえないからそうなったのかと思います。

ただ例え自死なさった方も仏様は正しくお導きなさってくださいます。そして仏様のもとにて心から安らかになられて、仏様から教えを受けて受け入れていかれて仏となっていかれるのです。

いついかなる時でもどんな方でも仏様は全ての方々を受け入れてお救いなさってくださいます。

あなたにもこれからぜひとも仏教の教えを聞いて頂き、学んで頂きたいと願います。

生きる中では苦しみはなかなか尽きないかもしれませんが、ぜひともこのようなご縁によって正しく導かれていかれ少しずつ苦しみから解放されていき、健やかな毎日を過ごしていかれます様にとお祈り申し上げます。

生きることは、私の思いでしているのではない

苦とは、「思い通りにならない」ことです。

ですが世の中のことは、自分の思いとは関係なしに流れていくます。私のご都合をうかがいながら世の中は進みません。それでも「思い通りにしたい!」…これが苦しみになります。

仏教では、私は無いと説きます。これは、「私」という固定された実物はない、ということです。
「私」は頭の中にあるだけです。いると思い込んでいるだけです。

苦しい、つらい。…これは私の思いの中だけで生きているからだと思います。私とは「私の思い」であると思っているから。私を「思いの枠」から出してあげることを、仏教では悟りとか解脱というのだと思います。

亡くなったら、命が命の元に帰って、また生まれなおす。解脱するまで。自死だからとか、大往生だからとか、私はあまり関係ないと思います。(私個人の意見です)
が、残された親族、親しい方々のお気持ちを考えたら自死ほど身勝手なことはないと思います。


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