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理想が高く我の強い父との会話に悩む

回答数回答 4
有り難し有り難し 41

しょうもない悩みにて失礼いたします。

父は私が自分の気に入るような言葉を言わないのが気に入らないようです。父は宗教が好きで色々な本を読み勉強してきたからか、理想が高いようです。
ここ数年、仕事場での悩みが大きく多かった時期にぼやく事があった私のイメージが強いらしく普通の表現すら文句と受け取られます。
あと、自分が勢いで言った私への悪い言葉も言ってないと嘘をついたりします。
あと、「(私が)モノになってないから、オレは120まで生きるぞ」というありがた迷惑な言葉を頂いてしまった時もあります。

やはり、私が折れて太鼓持ちみたいに気に入る言葉を言わなければ幸せになれないのでしょうか?それはあまりに気持ち悪く神仏を欺いてるかのようで嫌です。

どうしたら、よいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

変えたければ自分が変わる。

shirakoさん

自分も父が大嫌いでしたが、今ではある程度良好な関係です。
その時の私の気付きと実践は下記です。ご参考までに。

嫌いな人がいるとする。
一度嫌いだと思うと、「嫌い」であることが前提となり
「嫌い」であるということに固執していく。
そして、「嫌い」である分析を行い
その分析内容に同調してくれる誰かを探し
その誰かが見つかると安堵をして
自分の居場所を見つけた気になる。
しかし、残念ながら一向に事態は変わらない。
同調がある分、更に「嫌い」という前提は強固になり
事態は深刻になるばかりだ。それでは何も変わらない。

そうではない。
やるべきことは、自分を変えること。
1.心の持ち方
2.言動
この2つ。
分析するところまでは問題ない。その分析内容の使い方が問題である。
”嫌い”な理由は、実はシンプルだ。
”自分と違うから”
考え方、指針、行動、態度、癖、スタンス、評価、人望、拠り所…
自分と違うから嫌いになる。イライラする。
しかし、違うからイライラするということは
”我”の押し付けに他ならない。
”嫌い”が前提にあるのではなく、”違い”が前提にあるのだ。
”嫌い”の上位概念である”違い”に着目することで違うことによる感情も変化する。
つまり、心の持ち方をもっと寛くすること。
これによって、”嫌い”というバイアスは軽減される。

次に言動。
”嫌い”という前提に立った上の言動は、悲惨である。
”嫌い”であることを助長させる言動になりがちだからである。
1でバイアスを拭い、フラットな状態のまま言動に移してみる。
あたかも初対面のように。
”やっぱり嫌い”だと確信する場合があるかもしれないが
それは実は、”違い”を確信することにも変換できる。
そうすれば、”違い”を”嫌い”と同等にする必要がないことも分かる。
そうすると、あら不思議。
「あれ、なんで嫌いだったんだっけ?」 となる。
そして、いつの間にか違いを楽しむ事ができる。
人は変えられない。変えられるのは自分だけ。
その結果、人が変わったらラッキー。
世界全体は変えられない。変えられるのは自分の世界だけ。
その結果、世界全体がちょっとでも変わったらラッキー。

神仏を欺くことというのは、我に執着して戒を破り悪いことをすることなので
決して欺くことにはならないと思います。素敵な関係になれますように!

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おきもち

天台宗 高龍山明王院普賢寺 住職。 一般大学、アメリカ留学、一般企業を経...
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人生、一生自分しか生きられないもの

shirakoさま

お父様はご自分の思った通りにshirakoさまをしたいのでしょう。きっと家族だから、自分と同じように捉え、成長を願うあまり、そのような言葉をかけてしまうのでしょう。

人を変えることは難しいものです。お父様の言葉の勢いに負けてしまいそうになるのかもしれませんが、あなたが少し大人になって、お父様を冷静に見てあげてください。「成長をねがうあまり、私を自分と同じ存在に考えてしまっているのだな」とみてあげてください。
何もそこに思いを付け加える必要はありません。嫌な父親だな、とか父親なのに私のことを理解してくれないとか、変わってほしいとか、そんなことは付け加えずにただその存在ののみを見てあげればいいのです。

テクニックとして、お父様の前ではマイナス発言はしない。ネガティブな話をしたいときは他の人に聞いてもらう。ということもできるだけ衝突を減らすことにつながるでしょう。

家族の間では、相手に「こうなってほしい」という願いが強く、強制的になってしまうことがあります。
人生、一生自分しか生きられません。この体でしか生きられないのです。他の人を生きることができないということに、shirakoさまが気が付き、穏やかな日々を過ごせるようになってください。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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また言ってる、はいはい。

shirakoさん、はじめまして。

いきなりですが、お父さんとお話ししている自分を想像してみて下さい。

最近、あなたがお父さんとお話しする時、ひょっとして語尾が上がっていたりしませんか?

「うるさい」とか「面倒くさい」とかの感情は、自分では気がつきませんが、知らず知らずのうちに語尾に現れることがあります。

自分ではわからないものでも、他人から見ればよくわかるということもあります。
友達と話していても「なんか嬉しいことあった?」とか「今日はご機嫌斜めだね」とか、気が付くことがあるのと同じです。

お父さんに何か言ったら「また文句を言われる」「また言い返される」といった感情があなたの中にあるなら、もしかしたらそうなっているかもしれません。
「そんな言い方してないのに」と思う前に、一度、自分から離れて外野から自分を見てみて下さい。
ひょっとしたら、自分でも気が付かない間に語尾がキツくなっているかもしれませんよ。

120歳まで生きられては、確かにありがた迷惑(^^;かもしれませんが、そこまで生きてでもあなたの面倒が見たい優しいお父様です。

押し付けたいのではなく、自分の自慢の娘を他人にもっと自慢したいがために、お節介がしたいだけかもしれません。

仕事で行き詰まった時にぼやいたことが尾を引いているということは、お父さんの前でぼやけるということですよね。
父親にぼやける娘なんてなかなかいないですよ。
素晴らしい父娘関係じゃないですか。

お父さんに何か言われたら、「また言ってる。はいはい。」くらいのおおらかな気持ちで取られてみては如何ですか?

大事な話でないなら、腹が立つより、気に障るより、お茶を濁した方が、あなたも、もしかしたらお父さんも気が楽かも知れません。

自分で言った汚い言葉を言ってないと言い張ってみたり、120まで生きると言ってってみたり。

もしかしたら、お父さんは、冗談の通じない頑固者ではなくて、冗談を言うのが苦手な、優しい言葉の使い方が下手なだけの、可愛いお茶目な人かもしれませんよ。

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有り難し
おきもち

お父さんからのプチ出家 & 互いの尊厳の埋めあい

(´-ω-`)出家といってもアタマ丸めて坊さんの衣を着ましょうということではありません。
お父さんからの心理的距離を上手に取りつつ、つかず離れずな形で安全地帯を確保するのです。
家族というのは、家族ではありますが、それぞれが生命体的にも独自の存在です。
最終的には、それぞれが、それぞれ自分を生きる他ありません。
ですが、親にとってはわが子はカワイイ、我が子、我が子、わたしの子。
自分の、自分の、わたしの、わたしの、大事な子♡
「親には責任がある」というしばられ故か、我が子可愛さゆえか、子供に対する執着は時と場所と場合によって、過剰になります。
適度な距離感。心配されない距離感。
過干渉で占有的な家族の私的ルール、統治下によって「わたくし」されないようにするのです。
私のざっくり単独おおざっぱ捜査のデータによりますと(適当)娘を持つ日本の24・3%(←信憑性なし)の父親は娘にたいして非常に独裁的で支配的で結婚は自分の気に入った男(←ほとんどいない)でないかぎり認めません。
これは息子さんの場合、反対に64・7%(←こりゃまた適当、信憑性なし)の母親が自分の息子に対して大変、支配的で、結婚後も子離れが出来ないといわれています。(埼玉田舎ッぺ伝説)
自分の自由を上手に主張し、お互い尊厳を認め合うのです。
対話だけは逃げてはいけません。
些細な言葉でいいのです。
会話、対話の中で、感謝、受用、肯定、尊重を表現できるようになると良いと思います。
(ありがとう、なるほど・たしかに、そうだよね、そう思う、さすが…これらの言葉がスッと出てくるためには、自分自身位ゆとりがないといけません。あなた自身も1800歳くらいまで生きて、その宗教の教祖様になる勢いで大きくなってください。)

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

たくさんの有難い回答を頂きましてありがとうございました。
これから、どうあるべきかの指標を指し示して頂けたような気がします。
日々、その事を心がけながら生きたいと思います。

「父親のこと」問答一覧

父との関係で将来実家に戻るか悩んでいる

大学卒業後、実家に戻って就職するか、一人暮らしを続けるか悩んでいます。 現在大学四年生で、人間関係の構築、勉強、バイトが辛くて去年不安障害と鬱状態が強くなり引きこもってしまい、半年〜一年留年予定です。 私が一人で生活できない状態なので、母は「早く帰って来て」と愉します。 しかし私の父がズレた人で、帰省が不安です。 教育費は十分に与えてくれ、留年も認めてくれたので、金銭的にはとても援助してもらいました。十分恵まれていることは承知しています。 ただ、父親は非常に不安定な性格で、収入が減るなど気に入らないことが起こると暴力的になることが怖いです。 小さい頃は泣けばうるさいと脅され、私が小学生〜中学生のときは「道で卵売りでもしたら」「腎臓を売ったら」「塩酸の海で泳いで」「AV女優〇〇(私の名前)の□□が見れる」と言われました。他にもセクハラめいた発言をされました。本人は奇声を上げ大音量でヘビメタを流しうるさいのに、私達には包丁で脅したこともありました。 母に至ってはよく叩かれたり首を締められたりしていました。 清潔感も皆無で、食べ物や飲み物をあちこちに飛ばします。父親が寝そべる床は油で滑ります。 こんな性格の父は高学歴で、私も同じ大学に入学しました。 進学で遠方へ引っ越したから母は「〇〇ちゃんは逃げられるけどお母さんは一生逃げられない」と言っていて、母が可哀想に思えました。 私がいるから離婚できず、父の死亡後の保険金を狙っているようです。 また実家に自分の部屋がないこと、貧しくないのに歯列矯正を受けさせてくれなかったことが引っかかっています。歯列矯正は将来私が貯金して受ける予定ですが、母は矯正なんて気にしすぎだ、という感じです。 以上の理由で帰省が怖いです。 一方で、私が去年から生活が困難で勉強できずゴミ屋敷に住んでいる状態なので、実家先で就職してもいいのでは、とも思います。 最近私が冬休みなどで一時帰省してるとき、父親はケーキや美味しいものをくれるようになりました。以前より暴力性が収まった気もします。けれどそのケーキが歪んだ愛情表現のように思えてなりません。 親に対してお金と食べ物にしか感謝できない娘は最低ですか? 私は実家で安心して過ごせるでしょうか? 就職後も一人暮らしをして自立した方がいいのは分かっていますが、体力的・精神的に厳しそうです。

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父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

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父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を

私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。 気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。 家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。 私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。 しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。 父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。 なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。 励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。

有り難し有り難し 20
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愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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父親を憎いが放っておけません

一昨年母が亡くなり、父と主人と私の3人で暮らしています。 母が亡くなりしばらくしてから父は引きこもりになり早1年半がたちます。 小さいですが会社の社長をしていますが仕事のこともほぼ放置し社員に丸投げしている状態です。私も事務をしています。  私が過去にうつ病になった時に「俺から言わせりゃ仮病、そんな辛いなら死ねばいい」と言われました。 そんな父の近くにいたら治らないと思い、家を出て一人暮らしをし、結婚して、15年ほどたちましたが母が亡くなり結局は父を放っておけず実家で暮らしています。 やはり父の性格は変わるはずがなく、私がやる事は父にとっては全て当たり前のようです。「ありがとう」「ご馳走さま」「お願いね」などの言葉は一切なく、それどころか文句を言われます。 機嫌が悪いと明らかに表情もムスっとしており、指摘したら「こういう性格だ」と言われました。それ以外にも気に入らない事があると物に当たったり大きな声で怒鳴ります。 私ももう耐えられなくなったので「住むところが見つかったら家を出ていく」と言うと物を投げつけ怒鳴られ、しまいに自分の手の甲にボールペンを何度も刺して「死んでやる」と暴れていました。完全に病気だと思いますが病院にも行ってくれません。 離れて暮らすのが1番だと思いますが何故か放っておけません。このままでは私が病んでしまいそうです。 現場へ行かなくてもせめて事務所には行ってほしいですし、暴れるのをやめてほしいです。自分だけが辛いという考えはやめてほしいです。1番辛かった時に「死ねばいい」と娘に言う事も信じられません。 私がしていることも全て当たり前ではないことを分かってほしいです。会社のことがあるから家を出ることも躊躇しているし、やはり放っておけない気持ちも消えません。 それでも家を出れば良いでしょうか?それとも私がもっと頑張って嫌な態度や言葉はスルーして賢く接するのが良いのでしょうか?後者ができればとてもラクだと思いますが許せない気持ちも消えません。でも放っておけない気持ちも消えません…。毎日その繰り返しで苦しいです。 何か良い方法はないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

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入院中の父が転院せず退院を希望しています

病院嫌いの父(79)が救急車で運ばれ、初めて入院しました。 付き添った母の話だと、病院の方からは疑いのある病名も聞かされていないのですが、ウイルス性の肺炎だけでなさそうなので、専門の科があるところに転院して検査・手術を検討したほうが良い。 ただ、またコロナが増えてきて転院先がなかなか見つからない。 見つからない時はこの病院でできる治療をして様子を見ます。とのことでした。 入院3日目、母に会って父の様子等の話を聞き『早く元気になって また遊ぼうね じぃじ がんばれ!』というメッセージと、子供達の写真を載せたカードを「明日渡しといて」と託して別れました。 その日の夜、父から着信がありました。 「俺、退院しようかと思って。 治るかもわからないのに、転院してまた検査で痛い思いをしたくない。 テレビもないし、お粥も頑張って食べても半分くらいしか喉を通らないし、動けないし、このままじゃどんどん弱っていってしまう」 私は泣きながら 「病院嫌いのお父さんが初めての入院だから、気が弱ってるのもあるんだよ。 子供達も『じぃじ、じぃじ』ってお父さんのことが大好きなんだし、頑張ってほしい。 七五三やランドセル背負った姿も見てもらいたいし、まだまだ長生きしてほしい」と伝えました。 すると父から「だからこそ元気なうちに退院して、孫達と遊んであげたい。 もうここまで生きたんだし、その時はその時だ。 まぁ、そんな相談をお母さんにしようと思ったんだけど、電話が繋がらないんだ」 その後、父と話したらしく母から着信がありました。 「『◯◯(私)は何て言ってた?』って聞いたら『お父さんの好きにしたら?って言ってた』って聞いたよ。だから『先生に退院したいって伝えてみたら?』って言ったんだ」 私の気持ちを伝えても、父は母に嘘をついたようです。 私が伝えた言葉を話すと 「検査がよっぽど辛かったんじゃない? お父さんの好きなようにさせてあげようよ。 今すぐ亡くなるって決まってる訳じゃないんだし、好きな物食べて飲んで、足は達者な人だから散歩して。 孫達と遊んでたら、入院中の今より元気になるかもよ」とのことでした。 父や母の思いもわからなくもない気持ちと、検査を頑張ってもらって、長生きしてほしいという自分の気持ちがせめぎ合っています。 退院してきたら今まで通り接することができるか自信がありません。

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余命わずかな父に優しく出来なくて後悔

現在私の父は60歳です。 5年前に直腸がんで手術や抗がん剤と闘病していました。 去年の秋ごろにリンパ転移しており、全身癌へと移行しました。 現在はもう抗がん剤等の投薬の見込みはないとのことで病院側は緩和ケアの方向で治療しています。 先生からはもって数ヶ月かなと話を聞いています。 私は父のことが好きでした。 しかし、病気が見つかる少し前に(5年前)父の借金が発覚し、反省の面もなく人のせいにしてしまっており母とは離婚しました。 私自身もその頃に離婚し出戻りで実家に帰ってきていました。 その時には母と父とは家庭内別居で数ヶ月一緒に住んでいる状態でした。 私も父と毎日顔を合わせるようになり、徐々に自分勝手な父に嫌悪感を抱く様になりました。 特に暴言を吐いたりとかはないのですが、性格的にあまり人のことを考えなかったり 良かれと思ってしたことが、あれもして欲しい、これもしてほしいとどんどん言われる様になりました。 親子でも性格的不一致はあるのだと感じました。 その後、母と父の離婚が成立し父は一人暮らしをすることになりました。 その間、父との交流は適宜行なっており 病院の付き添いが必要な際は行ってました。 そして、今年の5月に入り病状悪化に伴い、急変時対応等の兼ね合いで父と一緒に住むことを決めました。 父が1人でしんどくなってるのが辛く 孫もいてるため、少しでも気持ちが楽になれるなら、父との最期を後悔なく関わりたいという思いから母を説得して家に来てもらっています。 母も同じ屋根の下で暮らしていますが 顔や言葉を交わすことはありません。 しかし、一緒に住むと自分勝手な父には変わりなく、時折素っ気ない態度を取ってしまう自分自身に辛くなってしまいます。 現在も徐々に弱ってきている父を見ると辛くなったり、優しく出来なかったり 私の情緒も不安定なのか… 最期を良かったと思える様にと考えたのですが上手くいかず私が悪いのですが 余命宣告されているのに人に優しく出来ないのが辛いです。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ