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浄土の信徒とお不動さん。

回答数回答 2
有り難し有り難し 56

いつもお世話になっております。

あるお坊さまから、阿弥陀仏さんとお不動さんでは教えもお誓いも全く違う事も伺いました。(阿弥陀様は、「すべて受け入れる」、お不動さんは「阻む物を追い返す」)
私の関わって来たお坊さま方はそれぞれ、
「左手の縄でもって無理やりにでも仏道に引き入れる」、「仏道を妨げる物を追い払う」という対極的な教えを説いています。

私は浄土宗の人間なので、あの寺の職員はお不動さんの教えにのっとって
「畑違い、出て行けや!」
的な行動をとったのかとも思いました。

遠い昔に法然上人が感じた肩身の狭さを知り、「女は成仏できない」と説かれていた事も知りました。
ですが、どうも私はお不動さんがその様な悪い神さま?には見えません。
あの細めた左目が、悲しそうに泣いているように見えるんです。

人によってはご気分を害してしまう様な質問かもしれませんが、
お不動さんはどんな想いを抱いて私たちを見ているのでしょうか。
国内の浄土宗寺院にも、不動明王をお祀りしている所があると聞きました。
なので余計混乱しています。

くだらない事かもしれませんが、
ご教授のほど、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お不動さんは優しい怒りをもった慈悲のほとけ

>左手の縄でもって無理やりにでも仏道に引き入れる....
お不動さんは、決して無理やり仏道に引き込もうなんていしません。あくまで、私たちの悪い心を「捕まえる」んです。あれは「羂索」といって、それで煩悩をひっ捕まえて、右手の剣を持って私達と切り離してくれるんです。

>仏道を妨げる物を追い払う....
これは、そういう側面があります。仏道を妨げるもの=自分自身の悪い心 ですから、自分の弱い心を追い払ってくれます。
不動明王の「不動」は、サンスクリット語の「アチャラ」を翻訳したもの。アチャラは「動揺しない」といった意味があります。つまり、お不動さんは私たちがどんな誘惑にも同様しない強い心を手助けしてくれる仏さまなんです。

お不動さんは、みすぼらしい格好をして、肌は青黒く、弁髪という髪型をしています。
これは、もともとインドの奴隷の格好であり、聖なる如来やきらびやかな菩薩のように近寄りがたい高貴な存在ではなく、もっと身近な存在であることをあらわしています。
そして頭の上にはハスの花が乗っています。
仏さまはハスの上に座っていますよね。
ハスは泥の中で育ち、水上で咲きます。泥=私たちの世界、水上=ほとけの世界です。
つまり、お不動さんはあえて汚い泥の中(私たちの世界)にいて、身近に私たちを救ってくれるのです。

そして、お不動さんはなぜ怒っているか...これは、誰かを威圧するためではなく、「優しさからでる怒り」なんです。
人間社会でも、ただ優しいだけで怒らないひと、怒ったら怖いけれど、本当に自分を思って叱ってくれる人がいますよね。どちらが自分を思ってくれてるでしょうか。
お不動さんは、そういった「仏さまの優しい怒り」を表したほとけさまです。悪い神様?とんでもありません。むしろ逆です。
お不動様は大日如来の親心、「慈悲」そのものなのです。

本来のしっかりした真言密教を学んでいれば、お不動さんをそんな風に語るわけがありません。

追記:言い方が少しきつくなってしまって申し訳ありません。同じ宗派にそんなお坊さんがいると言うに対して怒りを感じてしまい...
私は高野山で働きつつ学んでおりますが、真言宗のお坊さんは真摯に学び修行を続けている人が多いと思いますので、もし良ければお気軽にお越しください。
そして、同じ宗門の僧侶が不快な思いをさせてしまったこと、相代わり、謝罪致します。

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有り難し
おきもち

あなたを追い返したお寺があることはとても残念なことだと思います。そのお寺は何か誤解しているのかもしれません。

ところで、不動明王の解釈は宗派によって違います。
例えば真言宗では(真言宗のお坊さん、違ってたらすいません)、不動明王は大日如来の使者あるいは化身であります。悪魔を追い払い、地獄に落ちそうな人を助けるのです。
また、阿弥陀仏も大日如来の慈悲の化身です。
不動明王も阿弥陀仏も自分の心の中にあるのです。

浄土宗では、大日如来が阿弥陀仏の化身であると解釈しています(お坊さんにもよりますが)。不動明王は大日如来の使者あるいは化身ですから、阿弥陀仏の使者あるいは化身ということにもなります。
ただ、阿弥陀仏は自分の心の中では無く、西方極楽浄土に実在すると解釈しています。

私個人としては、どちらが上とか下とか使者とか化身とかその優劣を決めること自体、愚かな人間の無知によるものであり間違いだろうと思います。

不動明王には悪魔を追い払い地獄に落ちそうな人を救うという救いがあり、阿弥陀仏には仏になりたい人を極楽浄土に連れていき仏に導くという救いがある。
大日如来には大日如来の大いなる救いがある。
それぞれ敬うことが大切だと思います。
あなたの思うように、不動明王は決して悪い神様ではありません。どうぞ安心してください。

また、女性が成仏できないという説は、昔のインドでヒンズー教などにみられる女性差別の風習の影響を受けた一部の仏教だけであり、お釈迦様も、法然上人も、多くの高僧も、女性を差別することはありませんでしたよ。出家したお坊さんの修行の妨げにならないように、特定の修行場所を女人禁制にしたり、反対に男子禁制にしたりすることはありましたが。
女性も男性も成仏できるのです。
安心してくださいね。

追記
不悪口院様、回答ありがとうございます。不動明王も慈悲の化身なのですね。慈悲の心があるからこそのお姿と救い。勉強になりました。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

聖章 先生
ご回答ありがとうございます!
お不動さんは、本当に泣いておられたんですね…実は私の仏教、とくに浄土信仰は不動尊信仰から始まったものです。
多感な時期に親に連れられていったのがあの寺でした。強そうなお不動様がかっこよくて大好きになって、そこからいろんなお寺、仏様と縁を結び、その果てに浄土への道を歩むきっかけになったんです。
私がお浄土に行ったら、心から笑ってお不動さんに会いたいと思います。
それで、「大変でしたね」と労いの言葉をかけてあげたいです!

不悪口院 恵成 先生
ご回答ありがとうございます!
同業さん方から見ても浅学なお説法、行いを
「歴史も広さも本山並みだし、ここの人が言うには間違いないわ!」と勝手にタカをくくっていた自分がいました。
なるほど、真逆だったんですね。
みんなに身近に、そして私たちの様な弱者を護る為、あえて最前線でドロまみれで戦ってくれている仏様だったんですね。

先生。私は件の寺での事件以来、真言密教に関わる人たちは全て、あの寺の人たちと同じ考えだと思っていました。弱み、つらさを抱えた者を「慈悲」の名を盾に突き散らかす人たちに見えていました。

本当に申し訳ありません、ごめんなさい。
やはり束の間でも冷静に疑問を持ち、勇気を出してこの場でお尋ねしてよかったと思います。

本当にすみませんでした。
今度はここの皆様のような真面目なお坊さんのいらっしゃる、前向きなお寺に行きます。
ありがとうございました!

【不悪口院 恵成 先生 へご追伸】
わざわざ申し訳ありません、そしてありがとうございます。なおさら安心しました!お不動さん色んな所で誤解されてかわいそうです…。タタリだとか、霊障だとか、なんとか…。

【不悪口院 恵成 先生へご追伸】
 お久しぶりです!!あれから考えに考え、この寺とはすっぱり縁を切りました。
今では新しい祈願寺を見つけ、そちらに定期的にお参りをしております。
 そうしたら、お不動様のご利益を素直に心でも身体でも感じることができるようになり、
難儀はしていましたが無事、仕事に就くこともできました!
 今度の祈願寺では職員さんたちが私を覚えてくれて、あちらからニコニコしながら挨拶
してくださったり、「元気〜?寒いから気をつけて!」「靴下履いてないの大丈夫ですかw」
などと話しかけくれるまでに馴染めています!
 不悪口院先生はじめ、皆様よりさまざまなご意見をいただくことができたこと、
本当に感謝しています!!

【不悪口院 恵成 先生へご追伸】
 お久しぶりです!!あれから考えに考え、この寺とはすっぱり縁を切りました。
今では新しい祈願寺を見つけ、そちらに定期的にお参りをしております。
 そうしたら、お不動様のご利益を素直に心でも身体でも感じることができるようになり、
難儀はしていましたが無事、仕事に就くこともできました!
 今度の祈願寺では職員さんたちが私を覚えてくれて、あちらからニコニコしながら挨拶
してくださったり、「元気〜?寒いから気をつけて!」「靴下履いてないの大丈夫ですかw」
などと話しかけくれるまでに馴染めています!
 不悪口院先生はじめ、皆様よりさまざまなご意見をいただくことができたこと、
本当に感謝しています!!

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

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