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兄の死。どうしようもなく辛いです。

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2年前、兄が突然亡くなりました。誰より苦労して努力して、誰もが羨ましがるくらいに成功し、誇りに思う尊敬する兄でした。父よりも兄を尊敬し、無意識に兄の背中を追って育ちました。
兄があんなに苦しんで悩んでいたことを理解しきれていませんでした。

亡くなった直後に比べたらだいぶ落ち着いて、日常生活を送れるまで回復しましたが、やはり毎日毎日兄のことばかり考えています。仕事中も、何かしていても、すぐに兄のことに結びつけて考えてしまう自分がいます。今もし兄がいたら…と何度も1日に何度も思ってしまいます。

回数は減ったものの、夜中ひとりになると獣のように泣いて泣きはらして疲れて寝ます。辛くてもう終わりにしたいと思うことも何度もありました。その度に、両親は私より辛いのでそんなことはできないと思いとどまります。
弟は全く頼りにならないので、兄の分も私が親孝行して、兄の死でショックを受けている両親を生きているうちに少しでも幸せにしなければと考えていますが、自分自身も辛くて、そんな中どうしたらいいのかわかりません。それもまたプレッシャーでもあります。

両親はもともとそんなに仲良くなかったのですが、兄の死以降、さらに仲が悪くなり、離婚はしないものの、同居人のようで、お互いの傷を理解して支えあったりはしていません。

この気持ちはいつまで続くのでしょうか?どう付き合っていけばいいでしょうか?
兄の死を受け入れて、どう生きていけばいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お兄様はあなたのそばにいます

なおさまお返事が遅くなりましたごめんなさいね。この2年間本当にお辛い日々をお過ごしになられてこられたのですね、お疲れ様です。お兄様の死を受け入れる事がご自身だけでもお辛いのにお兄様の分も自分が親孝行しなければと悩まれておられるお姿も想像でき、本当にお辛い日々であられるとお察し申し上げます。ところでなおさまは日々お兄様にご自身のその辛いというお気持ちも含め話されておられますか? あるお話しをお伝えします、これはたぶん4年ほど前だったと思いますが「大法輪」とういう雑誌の中で金沢市のあるお坊様が実話として書かれていた話しです。概略を申し上げますと「お檀家さんの中学2年生の男の子を亡くされたお母さんが毎日男の子の位牌の前で泣いておりました、最初は泣くだけで自分の思いもその子に伝えられず、思い出も振り返られませんでした。しかし日が経つにつれ少しづつ思い出も振り返られるようになりましたが、そうなるともっと楽しい思い出をたくさん経験させてあげればよかったと後悔にさいなまれる日々でした。その日々が続く中ある日いつものように位牌の前で後悔の思いで祈っている時に息子の言葉が聞こえたそうです「お母さんそんなに自分を責めないで、出来なかった多くの楽しい体験をこられから一緒に作りましょう」と声が聞こえたそうです。その声が本当に息子の声だったのかお母さんはご住職に相談しました。ご住職の答えは「ご安心ください、その声は息子さんの声であり成仏されておりますから」でした。この話しを読んで私は大事なことが2つあると思いました、1つはお母さんの言葉が確かに亡くなられた息子さんに届いていたこと。2つめは息子さんの言葉「出来なかった多くの楽しい体験をこられから一緒に作りましょう」それは一緒に居てくれるから共に体験をしていけるこれからもということです。お兄さんは仏さまのお国に行かれましたが、その国から仏さまと共にあなたの元に千の風として帰って来てくださり、あなたの幸せを願い見守り、ともに笑い、哀しみ一緒に日々を生きているのです。ですからあなたは常にお兄さんと一緒でです。姿は見えないけど返事は聞きにくいけど、確かにあなたの声は届いているし気がつかなくても確かに答えてくださっています。そばに寄り添っていてくれてますこれからもずっと。私もお兄様のご冥福を祈り、あなたのそばにいてくださることを祈らせていただきます。

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有り難し
おきもち

長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改め...
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質問者からのお礼

暖かいメッセージをありがとうございます。そして兄のために祈ってくださりありがとうございます。一人で思い悩んで、答えが見つからなくて、すがる気持ちで読ませて頂きました。
辛いという自分の気持ち中心になっていて、確かに兄に話しかけることは少なかったと思います。時々、兄にお兄ちゃんだったらどうしてた?なんで先にいっちゃったの?と問いかけることはあっても、一緒にいる前提ではなかったと思います。
わたしの声は届いていてそして一緒に日々を生きている、というお話を聞いて、もう終わってしまって何もできないと思っていたところに光が差し込んだように感じました。
これからもそばにいる兄の存在を大切に、時に話しかけて一緒に生きていきます。
ありがとうございました。
折を見て、お寺に伺いたいと思います。
ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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義父が亡くなりました

先日、義父が亡くなりました。 私がコロナに感染し家に持ち込んだ為家族もコロナになり、もともと持病が有り弱っていた義父にもうつしてしまいあっけなく亡くなりました。 入院して3日、急変したとの連絡あり病院へ行きましたが人工呼吸器を付けられていたのでまだ生きていると思っていました。 義家族と病室に居ると看護師や医師が来て死亡確認していいかと言われそこで初めてすでに亡くなっていることを知らされました。 急に意識がなくなり呼吸が止まったというような説明を医師からされました。 私は両親を看取っているのですが、完全に心臓が止まるのには時間がかかるはずなのに死亡確認の時にはすでに止まっていると言われました。 何故もっと早く知らせることができなかったのだろうかと少し不信感を感じました。 コロナが5類になったとは言えそう簡単に面会はさせられないのは分かるのですが、独りで逝かせてしまったし看取ることも出来なかったのが心残りで、せめて意識のあるうちに会わせてあげたかったと医師には言いました。 どうにもならない事とはわかっていましたが言わずにはいられませんでした。 私が感染しなければ義父は生きていたであろうと思うと義家族に申し訳なくて仕方がありません。 私が殺したのも同然だと。 主人にも義妹にも私が原因です、ごめんなさいと謝罪しましたが誰も責めません。 優しい人たちなので有難いのですが余計に辛いです。 義母は憔悴しきっていて、責められるかもしれないと思うと怖くて言い出せなかった。 ずるいですよね。 親類やかかわった人にも慕われいていたようで、遠くからも大勢弔問に来ていただきました。 それを見ているとなんてことをしてしまったのだろうと苦しかったです。 もともと持病が有り8年闘病して痴呆が出てきていましたが、薬との相性も良かったようで病状も落ち付いていて体力は落ちてきてましたが元気でした。 まだしばらくは生きれたでしょうに、私が殺したようなものです。 自分を責めるな、誰も悪くない、仕方がない事だとまわりは言いますがどうしようもなく心苦しくなります。 人前では気持ちを誤魔化し平静を装っていますが、義母や主人の落ち込み様を見ると申し訳なくて… もともと過去の嫌なことを思い出して後悔し落ち込む質なのです。 これから自分や周りとどう向き合っていっていいのか分かりません。

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母の死に冷静すぎる自分が嫌になる

昨日母が亡くなりました。いわゆる孤独死みたいな状況でした。きっと最後は辛かったと思います。かわいそうです とはいえ、私は仕事の日程とか諸費用とか手続きとかそんなことばかり考えています。あと趣味の大会の日程調整とか。 それなりには悲しいけどそれなりです。母の身になって考えればかわいそう、というだけで、私自身の悲しみとは違う気がします。もともとあまり関係が良好ではなく成人してからは不仲でした。しかし子供の頃には良い思い出もあるというのに。 自分自身にがっかりしてます。何でこんなに冷たいんでしょう。我ながらなんかおかしいんじゃないかと思ってます。 母の生前は苦しかったろうし寂しかったろうと思いますが、死んだらそれまでだなあと思うのが本音です。 浄土真宗の人だったので、仏様がいるとすれば阿弥陀仏が死後のことはなんとかしてくれるでしょ、みたいななげやりな気持ちもあります。母は駄目な人でしたが、そういう人でも、家族にろくに供養されなくても、阿弥陀仏はなんとかしてくれるって聞いてます。生前一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば仏様との縁が結ばれて、すべての衆生を救いたい阿弥陀仏の本願によって西方浄土につれてってもらえるんですよね? もう私は供養とか関わり合いになるの嫌だ。 私もきっと一人で苦しい思いをしてのたれ死ぬんだろうなあと思います。

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生きるということがわからなくなりました

5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。 それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。 明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。 将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。 自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。 やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。 上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。 父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。 人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。

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20年 二人暮らしだった母

初めてこのサイトを見つけました。 こらえていた気持ちを、書き連ねてしまいそうです。 母は、楽しいことが大好きな人でした。 難病がありましたが、アルツハイマーの併発・進行の為、 家での私の付き添いが厳しくなり、認知症病棟へ入院。 2か月でベットから車いすに行けなくなり、 さらに2か月でどんどん食事がとれなくなり、なくなりました。 入院させたときはあんなに大声出せたのに、、腕もブンブン振り回せたのに。 病のあった父と 育ち盛りで気難しい子を、働きながら支えてくれました。 父がなくなったあと、母65才の時から2人で暮らし始めました。 気分屋の母で、本当は水と油な親子だけど、2人でケンカしつつも暮らしてきました。 20年間。 母が歩けるときも、車いすになっても一緒に外出しました。 どこに行けば喜ぶか、一生懸命考えました。 一人で立ち上がりできなくなり、でも介護度を上げることは嫌がりました。 色んなことがあったのに、思い浮かべると 世の中ではきっとよくある事ばかり。 自分の視野の狭さ、忍耐のなさ、逃げ回ってしまった愚かさ。一人の部屋。 母を追い込んだ病院に夜中に行って、首吊ってやろうという気持ちが 顔をだしたりします。 でも、病院に入れたのは私です。 母は生きたかった。短いかもしれないけど、少なくともその時が死ぬとき、じゃなかった。 リハビリ受けてやる気満々!な母をだまして入院させてしまった。 在宅最後の2か月だけ家に来ていただいたヘルパーさんに 「まだ生きてていい?」って言っていたそうです。 お母さんを殺した私はどうすればいいんだろう。 精神科は母がなくなる1か月前から通っています。 「とにかく眠ること。休むこと。」そのための薬を出してくれます。 でも、悪夢で寝るの怖いんですよね。 知らない男女が、「大丈夫、いま楽にしてあげるからね」と言ってわたしの首にネクタイを巻こうとする。 知らないおじいさんが、私を押しつぶそうとする お母さん、ごめんなさい ごめんなさい 私は今54才。 お母さんの年まで30年。長すぎる。寂しすぎる、 お母さんに会いたい。謝りたい。仲良くしたい。 何を見ても、外を歩いても、何も感じない。 早く迎えに来て。お釈迦様おねがいします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ