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利用者様のお通夜に行かせて頂きました。

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昨日の朝、私が働く訪問介護の利用者様がお亡くなりになり、本日の夜、お通夜をされるとのことで上司と二人で仕事終わりに行かせて頂きました。
上司も仕事終わりでしたが、その日は黒のポロに紺のジャージで
同じ会社のデイサービスの職員数名も来られていたのですが、その方達も仕事終わりでピンクのポロの上に紺のジャージを来て落ち着いた色合いの装いの中、私だけラベンダーのような色の仕事の制服(ポロ)でして…
お焼香もさせて頂きましたが、御線香でやるのは初めてだったので上手く出来ず…
私一人、グダグダになってしまいました。

せめてポロの上に紺のジャージを着れば良かった…
仕事の合間にお焼香のやり方を、もっと調べれば良かった…
しょうもないことかもしれないですが、大事な場面での失敗をしてしまい恥ずかしさと後悔で落ち込んでます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

利用者様を大切に思うお気持ちがあるので十分です

ちひろさんのご質問を読ませていただきました。一人だけ目立ったような感じで居心地が悪かったのでしょうが、通夜というのは、取り敢えず普段着のまま駆けつけるものです。そして、まだお亡くなりになられたことが確定していない時に行なうものですかから、喪服を着ることは慎むのがマナーです。今はそのあたりが曖昧になっています。
ですから、ちひろさんの服装を見られれば、仕事帰りに駆けつけて下さったんだとわかります。落ち込むことはありません。
焼香の作法については、いろいろありますが自分の作法で行なわれれば良いことです。あなたが思うほど、他の人は注目していないものです。もし失敗しても、それであなたの評価が下がるものではありません。これからも利用者様を大切に思うお気持ちで仕事を頑張って下さい。

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有り難し
おきもち

鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て20...
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気にしなくていいことでしょう

お通夜は、急にあるもの準備が不十分で当たり前です。格好や作法より大切なことは、気持ち。きちんと礼服を着て焼香にもなれているそんな人でも、お通夜に来て式の間大きな声でお喋りして大笑いしている姿がよくあります。一番大切なことは、気持ちだと思います。
義理、お付き合いで来る人も多いでしょう。しかし、遺されたご家族のことを思うと、気持ちのこもったお焼香をしてくれることの方が嬉しいと思いますよ。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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大丈夫です

拝読させて頂きました。
りゅうよう師や邦元 師のおっしゃる通りですからあなたは全くお気になさることはありません。
あなたとご縁のあった方をしっかりとお向き合いなさり真心込めてお焼香なさりご供養なさること、それが何より大切なことです。
特にお通夜はかっこうが大切ではありません。
普段の姿でご供養なさることが一番ですからね。
これからもどうか心を込めてご供養なさってくださいね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

皆様、ありがとうございます。
温かいお言葉のおかげで心の突っかかりが取れました。
あの日の翌日、別の利用者様のお通夜に行かせていただきました。
御親族の方々や上司も居たので、やはり緊張しましたが、私なりに心を込めてお焼香をすることが出来ました。
本当にありがとうございます。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ