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輪廻転生があるならば・・

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有り難し有り難し 27

生の先に肉体の死があり、その先に輪廻転生があるならば、また生の前に戻り、その先に生がある。
ならば、肉体の死を自然に任せなくとも良いのではないでしょうか。

辛い生を送り続けるより、早く新しい先へ進んだ方が良い。
それが逃げであっても。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

忍の徳を積む

お釈迦様は言いました。
「忍の徳は持戒苦行の徳より優れています」
生きることは辛いことです。だからこそ耐え忍ぶという徳をたくさん積めるのです。
そしてこの徳はあらゆる仏道修行の中でも優れた徳があるのです。

この世は因果応報です。良い行いをすれば良い結果を得られます。ですから、良い徳を積めば積むほど、この世と、さらには来世も、より良い結果を生むのです。

どうか、そのように思って耐え忍んでくれることを願っています。

追記
あなたはたくさんの人に支えられています。
そのことを迷惑をかけていると思わなくていいのです。ただ感謝すればいいのです。
あなたが居るお陰で、周りの人はあなたを支えることで良い徳を積むことができるのです。
あなた達はお互いに支えられているのです。

また、耐え忍ぶというのは何もしない事ではありません。今できる事をする、今すべきことをする、という意味もあるのですよ。

もしまた死を思い浮べたら、しっかり南無阿弥陀仏と念仏を唱えてくださいね。

追記その二
先日子供と映画を見ました。「ファインディング ドリー」、という題名の魚のアニメです。ドリーというのはの魚の女の子の名前です。彼女には生まれつき記憶障害があるのですが、彼女はその障害を少しも欠点と見ていない、むしろ自分の個性と見ているのです。是非一度、見てみて元気を貰って欲しいと思いました。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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仏法を学び修せる稀有貴重なる機会として

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

いずれにしても、輪廻の赴きを決めていくのは、心の連続体(微細なる心の相続)における業・カルマのありよう次第となります。

これから先において、人や動物に生まれて肉体を何度も持とうが、心相続における業・カルマがそのまま悪い状態、あるいは、無明・煩悩によって更に悪い業・カルマも積んでしまっていては、結局は、迷い苦しみの世界(輪廻)を彷徨い続けることになってしまいかねません。

心をより善くに陶冶せずに過ごしてしまえば、どの輪廻であっても、つらく、しんどく、苦しくなるのもやはり結局は同じことに・・

しかし、今生においては、この迷い苦しみの輪廻を超えるための有り難い仏法を学び修せれる人としての稀有貴重なる境涯として生まれられました。それは、前世、過去世における善き因縁(原因と条件)があってのことであるからだと存じます。「因縁無くして結果無しです。」

この機会に、できましたら更により善き赴き(更に仏法を修行できる天界や浄土など)へと向けて、是非、今生においてもできる限りに仏法を学び修して頂けましたら有り難いことであると存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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気持ちを抑え込んでいませんか。

ひかり様
こんにちは。拝見させていただきました。

さて輪廻転生のお話とお伺いしました。これはあくまで「仏教徒」が考えるものですので、極端な話をすれば仏教を信じない人には関係なく、仏様の教えを信仰する人にとっての輪廻転生というお話です。

まず仏教は輪廻転生を「止める」教えです。輪廻とは苦しみの連鎖です。そしてそれを止められない。ですから輪廻を止める(解脱と言います)のが仏様の道です。ひかりさんが人生を苦しいと考えておられるのはごく自然な事でこの世の全ての人間は多かれ少なかれ悩み苦しみの中に生きていると言えます。その苦しみをとめる道が仏様がお説きになられた教えとなります。人間として生まれた事が稀な事、尊い事として説かれるのは、仏様のみ教えを聞くことが出来るからです。仏教徒から見れば、ひかりさんは仏様との御縁を持たれたわけですから、過去世において尊い善行を行われたからだと思います。

難しい話は置いておきまして極端な言い方をすれば苦しみの原因は「思い込み」と「勘違い」です。私たちは「こうあるべき」という価値観を知らず知らずに信じてしまって自分を縛ってしまいます。特に優しい人は自分で自分を裁判にかけて断罪してしまう。もちろんうつなどの病気の場合は、脳の病気でありますから感覚器官が鈍くなったり思考が固くなったりという症状がみられる場合があるので投薬が必要な場合もあります。

「みにくいアヒルの子」の童話をご存知でしょうか?読んでいる私たちにはみにくいアヒルの子は白鳥の子だとわかりますが、当の本人は「アヒル」としての価値観の中で育てられたために疑いを持つことすらないのです。

「ひょっとしてつらいと思っていたのも、何かを思い込んでしまっていたのかもしれないなぁ」とつぶやいてみる。それだけでも変わると思います。また遠慮無くハスノハへ投稿してくださいね。お待ちしております。合掌

追記 お返事有り難うございます。嬉しいです。言葉足らずな私ですみません。字数制限のため少しだけ補足します。苦しみを感じているのは事実です。感じている事は本物です。ただ、それ生み出している原因の「解釈」には差がありますという事です。私の友人は車の事故で入院しそこで会った看護師と結婚しました。不幸でしょうか幸福でしょうか。ポストイットは接着剤の失敗作から出来ました。これは失敗でしょうか。不思議ですよね

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御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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質問者からのお礼

聖章 様
ご回答ありがとうございます。
いつまで耐え続ければ良いのでしょう。
この世が因果応報と言うならば、前世での私はどんな悪行をしてきたのでしょう。
もうこれ以上、私の時代に背負わなくとも良いのではないかと考えます。
そろそろ次の者に渡しても良いのかと‥考える日々です。



********
聖章 様
追記ありがとうございます。
生きているだけで迷惑です。
でもそれで周りが徳を積むと考えたことありませんでした。
ごめんなさいの毎日は辛いです。
輪廻転生より無と思える方が良かった。



********
川口 英俊 様
ありがとうございます。
輪廻転生があるならば、悪いカルマを残しました。
無が良いです。
そうなれないなら、次はペットの犬や猫が良いです。
人間はしんどいです。
極楽浄土は暖かくて眩いです。



********
聖章 様
再度の追記、私に良いと思われた映画、ありがとうございます。見てみます。
ディズニー、グラフィック映画苦手ですが、頑張ります。

私は解離性障害(健忘、離人、同一性)です。
生まれたときからなら良かったです。
子供の頃から他者が原因で障害者になっていたと、悪夢とPTSDで知りました。
悔しさ辛さ惨めさです。

何度も個性と考える様にしたけど、勝てません。
ごめんなさい。



********
けんじゅ 様
わかりやすいご回答、ありがとうございます。

最初に書いておきます。
私は診断名「PTSDに伴う解離性障害とうつ病」です。
原因は、幼少期の性的いじめ、小3~実兄から繰り返された性的虐待、母親の躾と言う名の虐待、貧困、両親の不仲、などです。
7歳頃から、他者といるときは別人格が生きてきました。
現在もそうです。

記憶の共有が出来ないため、私には殆どの記憶がありません。
家族との思い出、学生時代の出来事など、全てです。

しかしながら、これが生き辛さと言うより、“根底に刻まれた”『人間厭悪』、『人間は裏切る動物』の方が、影響が大きいと思います。

なるほど、この普通とは思えない出来事、別格だと感じる辛さが苦しさが思い込みだとすると、人生殆ど全てが楽に感じますね。

こんな目に合いながらも、仏様との御縁をいただいたから、前世は良い行いをしてきたと言うことですね。


私は自身が醜い(辛い)と思っているけれど、周りから見たら白鳥(楽)なのですね。


・・と、とりあえずこの様に呟いてみると、何か変わってくるかも知れないということですね?


・・・・何でも良いです 変われるならば。


(何でも良いです とはとても失礼な言い方でした。ごめんなさい)



********
けんじゅ 様
追記をありがとうございます。

けんじゅ様は私の様な者の痛みを理解できますか。

私が病気から得たものは、そういうものです。
精神的に辛い思いをされている方を理解すること…確かに得ることは出来ました。
しかし、無くしたものの方が大き過ぎました。

人と触れ合う自分は別の人格だと。
家族との絆は脆くも崩れ。
仲間と思っていた友人たちは皆離れて行く。
健康から病気へ。
楽しいことがなくなり。
気力も体力も奪われ。
人生後半の希望も捨てて。
全てを無くしました。

そういう者が輪廻転生を考えるとき、早めの肉体の死を望むことが悪いことだと言えますか。

まさしく解釈の差ですね。
ありがとうございました。

「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ