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生き方

回答数回答 3
有り難し有り難し 10

質問致します。
私は、息子が3歳のときに夫の心変わりで離婚し、
息子が10歳のときに再婚致しました。
しかし、高校生になり急激に大人になり、また年ごろの生意気さが出てきた息子に、
前夫をイメージしてしまうようで、
夫は息子がいると、不機嫌さを出すようになりました。
息子も空気を感じ、自室にいることが多くなり、
私は、夫の機嫌をとりつつ、息子と私の時間を作るようにしていたのですが、なかなか改善できず、
高3になってから別居を夫にお願いし、現在別居中です。
息子と二人暮らしにはなりましたが、
たまにでる反抗的な態度や、高校卒業したらこんな家でる、の言葉におちこみます。
目の前のことを考えると後悔ばかりになり、
こんな母親と一緒にいるのも息子も居心地よくないと思います。
高校卒業までのあと半年、そして家を出たあと、
少しでも、息子にとって良き母でいたいのです。
そのために、心にどんな信念を持って、生きていけば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

気を楽に持って臨みましょう。

ぽっとさん、ご質問ありがとうございます。

ご質問を拝見いたしますと離婚・再婚・別居 そしてお子様とのこと いろいろと
大変なことと拝察いたします。

つらい思いもさぞ、多かったことと思います。

ぽっとさんは今の状態から抜け出る有用な方法を求めておられるのではないかと
思いますが、もしかすると、私の答えは頼りないことになってしまうかもしれません。
お許しください。

「苦」という言葉がありますが、お釈迦様は「苦」という言葉を
今日の私たちのイメージとはすこし違った意味でお使いであったそうです。

思い通りにならないこと。 インドでは、こういう感じで使われる言葉だとか。

夫も子も、自分ではありません。
自分の思い通りにすることはできないところが、どうしてもありますね。

それを、自分が望むようになって欲しいとあなたは思っていらっしゃるのでは
ないでしょうか。

一生懸命に、あなたはお子さんや旦那さんのことを考えておいでだと思いますが、
そこには、あなたのこだわり・執着があるのではないでしょうか。

そういうこだわりや執着を離れることを仏教では教えています。

強い思いをちょっと横に置いて、お子さんや旦那さんのことを見てみませんか。

「良き母」でありたいという思いは尊いものですが、そこからちょっと
離れてみてはいかがでしょうか。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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息子さんは、成長しようとしています。

ぽっと様

悩みの真っただ中にいる時は、誰しも気持ちが落ち込むものです。
「良き母でありたい」という理想が保てずに、
後悔してしまうことも、誰だってあることです。
今まで通り、息子さんや再婚した旦那さんに対して、
思いやりをもって接すればよいのです。

「家を出る」という言葉も、ショックでしょうが、
男の子は、遅かれ早かれ、いずれ家を出てゆくものです。
言葉づかいも、高校生くらいの子なら、
勢いでそのくらい言ってしまいます。

息子さんは、家がイヤで出ていくのではなく、
独立心が芽生えつつあるのだと思います。
良き母としては、息子さんの成長を
喜んであげて欲しいのです。

息子さんは出ていったあと、
就職し、結婚し、いずれ子供ができるでしょう。
そうやって、両親が歩んできた道を、知っていきます。

そこで、気付くのです。
今までに、母親から受けた恩のことに。
多感な時期に見守ってくれた、母の優しさに。

さらに、今はギクシャクしているかもしれないですが、
同じく、自分を育ててくれた、再婚した旦那さんへの感謝が、
きっと生まれてくるはずです。

今は別居中とのことですが、その時のために、
旦那さんと仲良く、コミュニケーションをとっていてください。
夫婦の仲は、こじれると修復が面倒ですから。
逆に、親子の縁は、切ろうとしてもなかなか切れないものです。
安心してください。

それと、旦那さんと息子さんの関係ですが、
男同士のことなので、そんなに心配いらないと思います。
息子さんが酒をおぼえる頃に、
きっと、知らないうちに仲良くなっているような気がします。
男同士なんて、そんなものです。

なので、今までの決断に後悔せず、
今までの子育てに自信を持って、
息子さんの成長を見守ってください。

きっとそれが、ご自身の幸せにつながります。

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有り難し
おきもち

佐山拓郎
浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリー...
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「こんな家でる」と言わせてしまったことに謝罪する。

ぽっとさん

色々あって大変でしたね。

事情があったにせよ
息子さんは親に翻弄されてきたのだと思います。

離婚、再婚、義父の不機嫌、別居

その積み重ねが
「高校卒業したらこんな家でる」の言葉に
繋がっているのではないでしょうか。

人にはそれぞれの人生がありますから
離婚、再婚すること自体は問題とは思いませんが、
それと同時に
息子さんは複雑な感情を抱いてきたのかもしれません。

そして

息子さんは
こんな「母親」とは言わずに
こんな「家」と表現していますから

息子さんがそこにいると
義父が不機嫌なるという状況は

安心できる居場所が
その家からなくなってしまったのではないかと思います。

「こんな家でる」と息子さんに
言わせてしまったことを

率直に申し訳なかったと
伝える必要があるかと思います。

そして
これから後の関わり方ですが

「良き母でいたい」という気持ちに従って

有形無形に表現していくことでしょう。

その具体的な方法と頻度は
母親であるぽっとさんが
悩みながらも、模索していくことではないでしょうか。
それが「良き母」になっていくことだと思います。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

佐山様、藤堂様、中根様、
ご回答をありがとうございます。

◯間違って、途中で送信してしまいました。
続きです◯

佐山様、優しいお言葉に泣けて泣けて。
息子の成長を見守ります。
藤堂様、自分の子育ては、まさに執着心で、
自分の希望する息子像に近づけようとしていました。今、進路について話す機会が多いですが、私のこだわりを出さぬように話します。
中根様、夫との別居を決めた時、息子に謝りました。母さんのせいで◯◯(息子の名)を振り回し、辛い思いもさせた。ごめんなさい。
息子は、うん と言ってました。
これからは少しでも良き母に近づけるよう、考え行動していきます。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

『今』を生きる事に集中したい

幼い頃から負の情報にとても影響を受けやすいです。 家族間や学校、職場での出来事はもちろん、特にメディアでの情報やニュースにはとても敏感です。 東日本大地震で被災してからは更に過敏になったように思います。 戦争や災害、陰謀論、気候変動、ワクチン、政治問題など。 こればかりは自分の影響力の範囲外の事ですし、先のことは誰にも分からないので悩んでもしかたない事だと理解はしているのですが怖くて苦しくて潰れそうになります。 そういった情報が目に入らないように使用機器の設定をしたり、テレビをつけずに過ごしたりと対策はしているのですが、たまたま目に入ってしまった時に呼吸が苦しくなってしまうのです。 恥ずかしい話ですが、北朝鮮のミサイル発射の速報を見て小学校や中学校だけでなく仕事を休んでしまったり、公共交通機関に乗れなくなったこともありました。 共感疲労というのでしょうか。 いつか家族が、愛する息子が、自分が、と次々に想像してしまい止められません。 そして実際に家族を失ったような喪失感に襲われます。 夢に出てくることもあり、正直それが一番辛いです。 残虐な殺され方を目の当たりにして現実で起きたような衝撃と感情で目が覚め、気持ちがリセット出来なくなります。 毎日何かに怯え、家事育児中もずっと頭の中が不安しかないのです。 常々『死』を連想してしまいます。 立て続けに身内を3人、急性の癌で亡くしているのでそれも関係しているのかもしれませんが。 こんな世の中に息子を産んでしまった事を後悔してしまいます。 この世は生きるに値しない気がします。 でも生きていくしかありません。 どうしたら今を生きられるようになるでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 ご返答いただけると幸いです。

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専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

有り難し有り難し 22
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敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

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今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

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社会不適合者の生き方

今自身の存在意義について悩んでいます。 背景を記載致します。私はASDという発達障害を患っていることを社会人になって初めてしました。これは先天的なものであり、不治です。 学生時代から社会不適合や問題児として扱われてました。しかし、それも一つの味だといじられキャラとして何とか楽しく過ごせて来ました。また、人なりになれない部分ばかりですが、一部は無茶して何とかして来ました。 しかし、社会人になるとそうはいきません。普通の人が出来ることにやはり数倍苦労します。ミスばかりで他人に迷惑をかけます。無茶をすると逆に会社として困る存在になります。 学生時代からぼんやり思っており、発達障害とわかってはっきりしましたが、このような発達障害で何の取り柄もなく、人の数倍労力をかけないと人並みにすらなれない人間に何の意味があるのだろうと自己嫌悪に堕ちる日々です。 この先は生きていても誰の役にも立てず迷惑ばかりかける存在になると思っています。だからこそ、命を粗末にすることは悪いことと思いつつ、早死にしたいという気持ちがあります。苦しむために生まれて来たとさえ思います。 その反面、健常者と同じように生きたいという欲深い気持ちもあります。 難しい質問ではありますが、どんな心持ちで生きれば、この苦しい罰のような人生を乗り越えられるでしょうか?どうやって自身の存在を受け入れればいいでしょうか? 長年の悩みです。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

自分の生き方

私は昔からわがままで性格が悪く自己中で欲の強い人間でした。 幼稚園の時女の子の友達に対していじめをしていたり、親の気を引くためにわざと親に対して嫌な事をしたり、歩くのに疲れたらお腹が痛いなど言い訳をして親におんぶをしてもらっていました。 小学生の時は、親の気を引くためにいじめられていると嘘をついたり、兄や母の部屋に入って物を取ったりしていました。 小1の時、友達と遊んでいたのですがその時に友達が子犬も連れていて私がその子犬を抱っこしてフェンスに登って遊んでいたのですが、あまり覚えていませんがその子犬を下に落としてしまってその子犬が亡くなってしまいました。もしかしたら自分が登っていて危なくなったので犬を下に落としたのかもしれません。 中学生になり人間関係がうまくいかずいじめを受けたりして、強迫神経症になりクラスに行けなくなり高校生の時学校を転校しました。また、幻聴も酷くなり、薬も効きません。 転校したのも正直自分が楽をしたかったからです。 転校した先の学校は通信制でお金がかかり親に迷惑をかけました。 親は片親で父親が亡くなり1人で育ててくれましたが、親の気持ちなど微塵も考えず自分が楽したいからと逃げていました。 社会人になって仕事が続かず、また職場で悪口のターゲットになりやすく、転々としていました。20代前半で6回も転職しています。どの職場でも悪口のターゲットになります。また、幻聴が聞こえてくるので何が何だか分からなくなり、被害妄想が強くなり周りが悪口を言っているからと言ってもしかしたら言っていないかもしれないのに周りのせいにしていました。 このままでは良くないと国家資格も勉強して取りましたが、せっかく就職しても悪口を言われるから、働いている時間が長く感じるからという理由で辞めてしまいました。働くのが嫌だという理由で結婚相手を探し始め、60万も借金があるのにそれを結局彼氏に支払ってもらい結婚もしましたが、旦那に対して別の人が良かったかも、もっと自分の人生を生きれば良かったなど最低な考えを持ってしまいます。どこまでクズなんだろうと思いますが、自覚がなかったようで最近自分が最低な人間だという事に気づきました。現在、妊娠しています。わがままな子供が妊娠しているような感じです。自分の行動を戒め今まで迷惑をかけてきた人達に対して償うにはどう生きればいいでしょうか?

有り難し有り難し 19
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ