皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

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私の病が周りの方々に悪影響を及ぼしていないか不安

現在、療養中です。

調子の良いときは出掛けたり、知人とお喋りしたり、私は(こんな私にお付き合い頂き、申し訳ない)と罪悪感を抱きつつ、みんなと会うことで元気をもらっています。

Aさんとは具合が悪くなってからも、気にかけて
頂き、たまにお食事したりお話したりしています。

しかし、ある日。
そのAさんが、彼女のご親戚の霊感ある方Bさんとお話の途中、突然Bさんが「私の写真を見せてほしい」とAさんに言われたそうです。

Aさんは(なんだろう?)と思いつつ私の写真を見せました。

私はBさんと面識ありません。
Bさんは、私の写真をみて、、

B:「彼女は気が弱っている、大丈夫だろうか。。いつでも話を聴くよ」と突然言われたそうです。。Aさんを通して、私が見えたみたいです。

病の私は周りの方々に悪影響(悪い邪気)を与えているのではないでしょうか!!!

心配で、今、人と接触する事が怖くてたまりません。

毎月、御先祖供養に行っています。

有り難し 14
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

仏道は内観道

前回のご質問にも霊鑑定のお話が出ていましたがそういうものを頼るのはやめませんか?仏教はそういう教えではありません。今回のBさんにも合わない方が無難と思います。今のままのちぃーちゃん様のお考えではお会いするとさらなる不安を生むことになると推察します。

仏教は自分の内なる尊厳に目覚める教え。あるいは自己の身の罪悪性を知らされる教え。いずれにしても自分の内側を観ていく教えである内観道(ないかんどう)です。

一方、霊や、他には例えば日取り、方角、占い、(本来の仏ではなく、運命の支配者のような絶対者として規定する)神仏、地位や名誉、他人の評価などあらゆる自分の外側のものを頼りとする教え、あるいはそれらに苦しみの原因を押し付ける教えを外道(げどう)と言います。

自分の外側のものを幸せの頼りとし、あるいは苦しみの原因とするならば、人はいつまでもそれがないと落ち着かず、絶えず不安で、あっちにいったりこっちにいったりとフラフラする迷う存在となります。

そうではなく、自分を見つめ、あらゆる苦しみの原因をしっかりと見定めそこからぶれないならば人はしっかりと苦しみを受け入れながら生きていけます。
前回のご質問で因縁にも触れておられますが、因縁とはなにか不吉なメッセージなどではなく、「あらゆる物事には原因がある」ということです。そしてそれ「を霊などよくわからないもののせいにはしない」ということです。

もし、ちぃーちゃん様が病の影響で辛く落ち込んでいて、関わる周りの方も一緒に落ち込むならば、それは邪気による悪影響ではなく、周りの方がちぃーちゃん様に寄り添いたいと願うよい影響からくるものではないでしょうか。

因縁とはあらゆるものが影響し合っているということでもあります。人はみな迷惑をかけあい、許し合い、支え合いして生きています。それは目に見えるものや見えないもの(もちろん霊などではなく「ご縁」のこと)含めてです。「お互い様」「おかげ様」なのです。

毎月先祖供養にいかれるのは尊いことだと存じます。しかし供養により先祖が邪気を払ってくれたり、供養にいかないから邪気で呪ったりするのが因縁ではありません。

供養により仏の教えや先祖の願いに触れることによって心が安らいだり、病気と向き合う勇気や関わる友達への感謝を知らされるところに因縁があります。

原因と条件と結果を見定めるのが因縁です。


質問者からの有り難し - お礼

ぶれない自分がないから、
何処かに確信を求めて、ちょっとしたことで動揺しフラフラする
周りの方々に迷惑をかけない、強い自己を持てるよう頑張ります
有難うございました

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