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自殺をしたら地獄へ行くの?

私はよく自殺についてネットで検索をしてるのですが、
自殺をすると地獄に落ちますよ!
という投稿をしばしば見かけます。

自殺=自分を殺すことと同じ、つまり人を殺したも同然なので地獄へ行くというのです。
特に知恵袋などで多い気がします。
それで自殺防止になるならいいのかもしれないけれど...
でも病気などで自殺する人もいるじゃないですか。
私は統合失調症ですが、幻聴に耐えられずその声に従って自殺したというケースもあるみたいです。
それで地獄に落ちるなんて可哀想だと思います。

自殺したら地獄に落ちるのですか?

死について
有り難し 113
回答 7
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

根拠の無い言葉です

アサさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

よく「自殺」について検索なさっているとのこと。
統合失調症とのことで、その言葉を調べずにはいられないような悩みや苦しみを抱えていらっしゃるのでしょうか。もしそうだとしたら、とても辛い日々をお過ごしのことと拝察いたします。

「自殺→地獄」ということは、ネットの検索だけではなく、あちこちで言われていることです。しかしその根拠はと言うと、確かなものは一つもありません。偏見や中途半端な知識で、自分勝手に言っているだけです(「知恵袋」などは根拠無しの回答だらけですね)。

中には僧侶や宗教者でもそう口走る者がいますが、「どのお経にそう書いてあるのですか?」と尋ねれば、誰もハッキリとは答えられません。なぜなら仏教の経典には、そのようなことが書かれていないからです。

もちろん、地獄に落ちないからといって、どうぞどうぞと勧められることではありません。
生きている限り、状況は変化し続けます。それが良い方向に進むことを信じて生きること、周りがそれをサポートすることが大切です。

ちなみに、最近は「自死」という言葉を使う場合も多いです。アサさんが仰る通り、病気によって自殺にいたる場合も多いのですが、病気で亡くなる場合は「病死」と言いますので、「自死」という言葉も用いられています。
言葉が変わっても本質は変わらないのですが、一応お伝えさせて頂きます。

また、私や他のhasunoha僧の何名かが所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」というグループもあり、自死問題に関わらせて頂いていますので、こちらもお知らせさせて頂きます。
http://www.bouzsanga.org

★お礼を拝見して追記
アサさん、少しでもホッとして頂けて良かったです。
またどうぞ、ご相談下さい。

回答僧

一乗寺

真慧

地獄はたぶん、ココ、コレ、ワタシ。

仏教の教えは、ともすれば「来世の救済」、
つまり「いのちを終えた後のこと」と限定して捉えられがちです。
もちろん、いのちは何処から来て何処へ往くのか、も仏教の大切なテーマのひとつです。

しかし、私は同時に仏教を「今、ここでの救い」であると聞いています。

理由のひとつには、今いるこの世界が極楽浄土、救いの世界とは程遠いという現実です。
この世界は、ひとときの快楽や愛欲に満足を得ても必ず終わりある世界です。周りには常に争い、貪り、怒りが満ち満ち、私自身も常に煩悩の炎を燃やし、我が身を焦がしています。

ですから地獄(あるいは浄土も)とは、いのちを終えて往く場所というイメージに限定されるのではなく、
お尋ねのように、自らいのちを絶たねばならなかった世界にこそ、私は地獄をみています。

ところで、「自殺(自死)によって地獄へいく」という表現や考え方は、極めて問題があると考えています。

「自殺防止」という言い訳は論外です。

まさにご質問で懸念されるとおり、自死された方も遺された家族も、二重三重の苦しみと侮辱に晒す言葉だと思います。

そうした「地獄に落ちる」といった言葉に対し、語られた時代背景や社会の無理解も多分にあったことを留意しつつも、その陰で苦しんだ家族や人々がいたであろうことに深く思いを致し、そのことに気づかせて下さったご指摘に浄土の救いを思います。

現代社会において、自死(自殺)の原因に挙げられる第一に、社会構造があります。すなわち過酷な労働環境やいじめなど学業現場の問題、社会環境や人間関係が身近ないのちを死に追いやっているという事実です。
冒頭に書いた仏教に聞く「今、ここでの救い」とは、そうした社会のありかたを、私たちひとりひとりの不断の努力によって変えていける可能性をこそが「救い」のひとつであると受け止めています。

世間で争いが起きようが、大地震があろうが、不正が行われようが、何事にも心を動じることなく微笑んでいる姿が目指される「救い」ではありません。ちょっと気持ち悪いです。

小さな悲しみの声に耳を傾け、消えゆく存在に目を見開き、この社会の浄土とは程遠い地獄のありように心震わせる「はたらき」に、私は「救い」を感じています。

あなたからのご質問、ご指摘のなかにも仏さまの教えの「気づき」を聞いていく。
そのように私は受け止めさせていただきました。

灯明となりて

アサ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

輪廻につきましては、方便的に誤って語られてしまうことによる偏見もございますが、究極的に言えば、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣にあろうが、天・人・修羅の三善趣にあろうが、この世界(三千大千世界・一仏国土)に如来と仏法(今のこの世界のように如来が不在の場合でも如来の加持力が残っている仏法)と、その仏法を正しく理解し扱える聖者(菩薩行実践者、菩薩の段階としての十地の内の八地以上の聖者、また八地以上に至れる素養ある僧侶)の存在する限りは、仏法の救いが及ぶ(回向)ことになります。

ですので、ある意味ではご安心を頂いても構わないかと存じます。

しかし、だからといって、全く何もしないということであってはいけません。

もしも、仏法が無くなり、聖者がいなくなってしまえば、この世界は無明の闇に深く閉ざされてしまうことになってしまうからであります。

例えるならば、掃除をしなければならないのに、皆が、誰かがしてくれるだろうと思って何もしないと、何も綺麗にならないのと同じことです。

自死なされた方であっても、誰であっても、全ての者が悟りへと至れるまで、少しでも無明の闇路を照らす灯明を灯すために、私たち僧侶もできうる限り努力して頑張って参りたいと思っておりますが、それでもいつ中途半端に、道半ばとなるかは分かりません・・

ですから、できる限り、一人でも多く、僧俗を問わず、着実に仏道を歩んで、仏法を紡いで頂ける方が増えて頂けますことを願っております。

川口英俊 合掌

大丈夫ですよ

拝読させて頂きました。なるほど、ネット上には様々な情報が出てきますね。その中には全く根拠のないことやデマも頻繁に出てきます。
様々な知恵袋にも顔の見えない方の心ない回答によりありもしないことや全く逆のことが表記されていることさえあります。
よくよく注意して見なければ本当に正しい回答を受けとることはできません。
あなたが疑問に思っている「自殺したら地獄に行かねばならない」は全く根拠のない嘘です。戒めの方便としておっしゃる方もおられるでしょうが全く根拠はありません。
どうかその様なデマは信用なさらないようにお願い申し上げます。
自殺なさるととはよいこととはいえませんが、様々な理由や巡り合わせによって生きる力を奪われてしまい、選択の余地がなくなり止むを得ず自らの生命を絶たざるを得ない状況になる場合が殆どです。
または精神的に病いにさいなまれて大変苦しい思いをなさっておられる方は平常の心を失っています。ですから自殺することへの抵抗感も薄れている状況に追い込まれてしまっています。
生きることは大変苦しい思いを致します。仏教では四苦八苦であるとといております。
その様な状況を一身に受けてこの世を厭い離れたいと思うことも間違いとはいえないでしょう。
様々な状況の中で心も身体も疲れ果てて性もコンも尽き果ててしまうことは生きている中ではいくつも起こりえることですからね。
私も以前その様な状況に追い込まれたことも幾度もありました。
その様な状況でも自らの生命を断つことを思いとどまったのはやはりたくさんのご縁が私を支えお見守り頂いたからです。同様に仏様の教えに救われたからです。私にも与えられた役割があります。それは可能な範囲にて仏様の教えをたくさんの方々に知って頂き迷いの中から救われて頂きたいと切に願うからです。
私はあなたにもたくさんのご縁に恵まれて、仏教の教えに出会いこれからの人生を大切に生きて頂きたいと切に願います。
どうかこれからもあなたからのご質問やご意見を伺いたいと思います。

あなたがたくさんの支援を受けながら病いが回復なさり素直なお気持ちで毎日をお過ごしなさって頂きます様にと心より仏様にお祈りさせて頂きます。

回答僧

圓常寺

聖章

因果応報

地獄をあの世と思う場合と、心の中と思う場合があります。

地獄をあの世と思う時、輪廻に基づいて、この世で悪いことをしたらその報いとして餓鬼界、畜生界、地獄界のどこかに行きます。反対に良いことをしたらその報いとして天界、人間界に行きます。
ただし、人間界へは相当可能性が低いと言われています。
また、極楽浄土を願って、南無阿弥陀仏と唱えていれば、極楽浄土に行きます。極楽浄土で修行して仏に成ります。
また、お釈迦様の様にこの世で修行して仏に成ればどこにも生まれません。ずっと仏のままです。
この他にもお題目を唱えるなど、仏になる為の行がいくつかあります。

次に、地獄を心の中と思う時、自殺を考えている時点がまさに地獄の状態なのだと思います。

さて、自殺した場合はそれまでにどれだけ良いことをしたか、自殺も含めてどれだけ悪いことをしたかによってその結果が変わります。
蚊を一匹殺すことも、自分を殺すことも同じ一つの命ですから、自殺よりもその他の行いの方が影響がずっと大きいと思います。
ですから、自殺したことは考えなくていいと思います。それよりも、他に何をしてきたかが問題です。

また、病により自殺する場合もありますね。これは、自殺ではなく病死です。ですから、罪はありません。安心してください。

というわけで、ぜひ一言でも南無阿弥陀仏と唱えてくれたらと思います。
もちろん悪いことをなるべくせずに、良いことをすることも大切ですよ。

地獄を死後の世界のこととするから矛盾が生じるのでは?

そもそも地獄や死後の世界ということが何であるかを、皆が誤解しているのです。
自殺した人が死後「地獄」とかいう謎の死のディズニーランド💀みたいな所にいって苦しむのですか?いいえ。
もし、そうならば私がそこへいって皆さんを助けてあげますから、ご安心を。
ところで地獄行き🚄は、誰が選定するのですかいな?
誰のどこにあるのでしょうかね。
私の知っている死後の世界・地獄とは、人が亡くなった後も続いている「この世界」のことですが、何か。
他のどこにも無いんじゃないでしょうかね。仏教では絵空事は方便としては許されても、ありもしないことを説きはしません。ちゃんと現実のこととして説いております。
地獄はあるのか?あります。
地獄とは、この世の生き地獄=迷い・苦しみのことです。
死後の事じゃありません。
あなたがもし「人は自殺したら死後、どこか地獄らしいところで苦しむ」というイメージを握っておられれば、それは大きな間違い地獄。
それを妄想しているのは今、生きている人。当の本人様ではないでしょう。
だから死んだら地獄に落ちると念じ道はずれな事をしなければ地獄をもって活路を見出す。
死んだら地獄に落ちるとの言葉で故人が地獄に落ちているのではないかと案じ迷えば無明という地獄に陥る。
地獄という言葉に対する謝った解釈によって迷う心自体こそ迷いという名の生き地獄です。
人を導く地獄思想だって悪ものにせんであげて下さい。
そういうものは仏教の副産物。人間に悪いことをさせないための戒めです。
本来、地獄とはこの世の「地獄というよりほかに名づけようもないほど苦しい心・迷いの事です。
だからこそ自殺をなさることで、周りの方々がその後生き地獄、苦境に陥ることは間違いない事です。親友が自殺した、家族が自殺したら地獄の苦しみというべきものでしょう。
この世は存在しているだけで互いに様々の事を共有しています。
他人様の自殺だって共有です。見知らぬ人の自殺だって暗くなる。悲しくなる。みんなが生きながらにここが地獄でしょう。
残されたご家族も皆、暗い日々を送らなければいけません。(ご遺族の救い話はいずれ)
生きているこの世・心の中以外のどこかに地獄があるのではないのです。
「死んだら地獄に落ちる」という言葉をも誤って解釈すれば苦しみになる。
真意を曲解すれば、心は人を導く言葉にすら迷いを生ずるということでは?

回答僧

大鐵

ネットはそれほど信用しない方が良いです。

 これはそもそもネット検索したことで起きた疑問です。私はネットをそれほど信用しておりません。あくまで第3文献ですので、根拠はどこにあるのか?さらに自分なりに出所を探さなくてはなりません。このhasunohaの質問の8割が「ネットで観ました。」が多すぎます。これは仏教に関する研究と一般に対する浸透が浅い証拠で我々僧侶の反省するところです。
 私はあくまでネット検索は自分が覚えてきたことを思い出す際の確認の手段程度しか使っておりません。自分の学んだことと合ってないときは切り捨てます。
 あなたに今、必要なことは上記のような講習会や講演会に行き、生の声を聴くことです。ちょっと精進して頂き、「ネットを捨てて街に出てみませんか?」


質問者からの有り難し - お礼

回答ありがとうございます。
結構色んなところで投稿されていたので、気になってつい質問してしまいましたが、根拠のない言葉ということで、少しホッとしました。
自分でも調べてみたのですが、昔奴隷などが勝手に死なないようにそう言うようになったとか、結構歴史があるみたいで驚きました。
最後のリンク先も見てみましたが、手紙相談というのがいいなと思ったので検討してみます。
ご丁寧にありがとうございました。

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