皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

いつか来る親の死

親が死ぬ事が非常に怖いです。

私は実家を離れ一人暮らしで
経済的にも自立はしています。

今までは自分の自由にやってきました。
ただ私自身30歳が近くなり、親もあと6年で
70歳と考えると元気にいられるのは何年だろう
と考えます。

今、祖母は2人共元気ですが、
両親もいずれは祖母と同じく、物忘れや、体が言うこと効かなくなると思うととても悲しく、苦しくなります。

たまに実家から荷物が届き、段ボールを開けてみるとお節介なほど色々入っています。
親はいつかはいなくなり、このようなこともなくなってしまうのだなと考え、悲しくなります。

親の死について考えると怖くなりませんか?
私だけでしょうか?

心構え・生きる智慧
有り難し 45
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

当たり前をこわす

すばらしいですね。そう考えられるわしおさんはすばらしいと思います。世間の20代30代の方がどれだけそう感じられているかはわからないですが…。

自分の中の「当たり前」に気付いて、疑って、壊す、というのは大事なことだと思います。
当たり前なので、自分では「そう思っている」という自覚すらないですね。それを意識上にもってきてまず気付く。そして、それほんとなの?と疑う。そしてそれが壊れることによって、当たり前ではなくなる。

親がいるのは当たり前じゃない。自分に世話を焼いてくれるのも当たり前じゃない。だから有難い。と思えているのはすばらしいです。

ですが、実際は、当たり前のものなんて何1つないです。全てが当たり前ではない。すべてが有難いです。

「親の死が怖い」と思っているわしおさん自体の存在も、実は有難い。まず、思う張本人の自分が当たり前じゃない存在です。

当たり前というのは、「変わらない」「固定化してある」ということです。そう思い込んでいる、ということ。

自分の周りや、自分自身もそうですが、「変わらない」と思っているもの、「固定化して、ある」と思っているもの、1つ1つ疑ってみるのは面白いと思います。自分が無意識に結んできた考えが少しずつほどけていくかもしれません。

思念上のインサイドご両親と実際のアウトサイドご両親

自分の中で願う理想は、あくまで思念の世界(これをAとします)であって、目前の実際の現実(これをBとします)とはまるで違うインナーWORLDなのです。
よくよく考察してみると、私は両親が死んだらいやだなぁ(A)両親が死んだらどうしよう(A)悲しいだろうなぁ(A)親が死んだらどう対処すればいいだろうか(A)という不安な思いの方(A)=インナーファザー&マザーそれに対する思い(A)に不安にさせられている事をよく見抜くことです。
リアルマザー&リアルファザーはBです。
文字通り思いのほか、あなたの思い(A)の外にいます。
人の迷いの発生の仕組みは、今の限りある現実(B)を相手にせず、自己の想念の副産物である(A)ばかりを相手にしてゆくことにこそあります。
亡くなったら嫌だなぁ、怖いなぁ、悲しいなぁ、はAであり、まだ起こってもいない事です。
実際に、その時にそうなったらどうしよう(A)と想定しつつ、実際にそうなってみると「そう」でもなく、只そうなっている(B)という現実を迎えます。
それは、あなたが今の時点で「そうなったらイヤだ(A)」という思いではなく、実際の現実にならってみると「そう(A)」でもないものと分かります。
そこを見極めるためにも、まずあなたがあなたの頭の中の世界に旅立たない様にいたしましょう。
あなたの本当のお父さんとお母さんはあなたの頭の中のいつか死んじゃったらどうしようというストーリーの中に出てくるお父さんお母さんの方ではないのです。
それを確かめるためにも今からリアルお父さん&お母さんに会いましょう。
いつか会いに行こうは、いまだAです。会うまではAです。そこが分かれば、お父さんお母さんは「死なない」ということが分かるでしょう。
死んだ、悲しいという事はAを相手にしている姿だからです。
ここは難しい所ですが参禅すると、ああ、なるほどと悟ります。
おわかりになるかどうか。ご参考まで。
例:先日お母さまを亡くされた井上哲秀老師
朝方、亡くなったことを目の当たりにされていた。
その後、日課でいつものように炭に火をつけておられた。
その時「母が死んでしまった、悲しい」はなく、ただコタツの墨に火をつけておられたそうです。不思議と悲しみも「母が死んでしまった、悲しい」も無く、ただ、今向っていることのみがあるばかりだったそうです。
これが生死が無くなるということです。

いついかなるときでも

拝読させて頂きました。あなただけではありません。大切な親が亡くなることを受け入れることは本当につらいですよね。親から私達は生命を頂いて、育てて頂きました。その恩は感謝してもし尽くせないものです。
ですから自分も人に与えることができるでしょうし、子供を育てることもできるでしょうね。
ずーっと続いてきたその親子の縁はこれからも続いていくのですよね。
親がいのちを全うした後も続いていきます。あなたや私がいのちを全うした後もずっと続いていくのです。
亡くなった後でも仏様のもとで再会できますから。

このご縁を親も子も大切になさりながらこれからもどうぞお健やかに成長なさってくださいね。

いついかなるときでも場所でもきっとご両親様やご先祖様はあなたをお見守りなさってくださっていますからね。

回答僧

願誉浄史

人生で決まっているプロセスは「めでたい」

人生で、だいたいは必ず来ると決まっているようなプロセスがあります。
出生、入園、卒園、入学、卒業、成人、就職、退職、還暦など。
どれも、「おめでとう」と言って祝います。
年に一回必ず来る誕生日やお正月でさえ「おめでとう」と言います。
つまり、来てあたりまえのプロセスが予想通り来たときには、「おめでとう」で良いのです。
だから本当は、死ぬのも「おめでとう」で良いのです。
人生の卒業なのだから。


質問者からの有り難し - お礼

皆様、ご丁寧な回答ありがとうございます。
親の死は必ず来るとわかっています、時々悲しくなってしまいます。
これからもそのように感じると思いますが、
近いうちに実際に親に会いに行きたいと思います。

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