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苦しみの根本は自我で全てが無意味


色即是空 空即是色

我思う故に我あり

全ての苦しみの原因は自我にあるとおもいます。喜びがあるから悲しみがある。 死があるから生がある。何かを持つから苦しみ、何も持たないから苦しむ。どちらも本質は同じであり、どちらか一方に執着するから苦しみが生まれる。何かに執着するな中道を行け、中道をいこうとするとにすら執着するな。

これってあきらめろってことじゃないんでしょうか?あらゆることをあきらめ考えないようにする。嬉しいことも悲しいこともほどほどであきらめる、むしろそれすらあきらめる。それは苦しみからの救済ではなく苦しみやよろこびそのものの根本原因である自我の喪失、無我であれということではないのでしょうか?
そうであれば、
あらゆる自我から発生することが本質的には同一で人に優しくすることもどんな悪い事も実世界では影響は有るかもしれませんが無我の極致からするとは無意味でないでしょうか?

生きる意味
有り難し 13
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

涅槃という無意味もある。それは無意味ではない。

その考えも自我の取り扱いにすぎないものであるとあなたが眼を向ける勇気があるかどうか。
真理を本当に会得したければ、真理ではないものはいつでも捨てる勇気を持つことです。
考えの上でそういう図式が思い浮かんだだけという事があるものです。
その論が確かにそれらしくも思えてもあなたの心は晴れやかではないでしょう。
仏教は虚無思想ではありません。
元々が無我で涅槃寂静なる実相に対して二次的に人知による取り扱いをするのは皆、自我の取り扱い。
この世の実相はあなたが良し悪しや善悪を評ずる以前の静寂な姿としてあるのです。
「あきらめる」ことも無理矢理で力を入れて諦めるのはガマン。
自然に手離れている姿を知ることが本当の諦めです。
「色即是空 空即是色」とは【身心の上に知覚されるものの❝現われ・起こり❞が、全てその時限りで常に流れ去って人間の思考とは無縁・無関係にある様子です。また、その時限りで人間の考えとは無縁に手離れていっている様が、この身に現れる「法」としての作用であるという事を説いているものです。
これを見ている時、さっき見ていた回答の一文字目はもう流れ去っているでしょう。
「我思う故に我あり」これは仏教ではありません。
仏教的にアレンジすれば「我思う前に、これあり。」
たった今だれもが、目前のことを「ある・なし」すら気づかないままに過ごしている。
分析知に移行される前のものの実感だけがある。
「我思うといえども、我なき想念あり、我の想念あり。」
我無き思いだからこの身に咎がない。
思いは発生時点では無我なるものです。
自分が作ろうと思って作ったものではないでしょう。
たった今、出てくる思いだって誰がどこでやっているのですか。
その思いが自分が作ろうと思って展開させているものと、自然発生的なものがある。
まずはそこを見極めましょう。
「全ての苦しみの原因が自我にある」と思われるのであれば、いつどこでその自我が生ずるのかを見るべきではないでしょうか。
そこを見抜けないまま自我・無我を頭で取り扱っていても知の遊びに過ぎません。
喜怒哀楽にも本来自我はありません。
悲しい時は悲しいだけ。苦しみが生じない悲しみだってあるのです。
中道とは中道っぽく「なろう」としたら中道ではなく、はからい。有道。我道。
もともとの一切の様子がはじめから人間の見解を離れているから最初から中道なのです。

「色即是空 空即是色」について

じ・あーす様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「色即是空 空即是色」は、「空」と「縁起」の意味が同じである、として捉えるべきものとなります。

それは、確かに存在は、他に依らない、つまり、実体としての成立は無いけれども、因縁(原因や条件)など他に依って、つまり、縁起によって成立しているものということになります。

また、仏教的な「執着」の意味は、我々がモノ・コトを実体視してしまっていることを申しまして、そのようにモノ・コトは実体的には成立していないありようについての見方を仏教の修習によって調えていくことを目指すことになります。

更に、「無我」というものも、あくまでも、独立自存なる実体が無いという意味合いであり、「縁起」として成立している以上は、縁起的な意味合いは有しているため、虚無・絶無とは違うものとなりますので、その点も混同しないように気を付ける必要がございます。

また、下記拙論もご参照頂けましたら。

『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

六、「色即是空 空即是色」について・・

 「般若心経」と言えば、最も有名なフレーズが「色即是空 空即是色」でございますが、この場合の「色」とは、「物質的な現象のこと」であり、「物質的な現象の本質は、空なるものであり、また、空なる本質であるがゆえに、物質的な現象は、縁起なるものとして立ち現われているのだ」として、つまり、「物質的な現象は、実体、独立自存として成り立っているものではないが、空にして縁起なるものとしては成り立っている」ということ、また、「縁起なるものとして成り立っているがゆえに、空なる本質であると言えるもの」として、更に、私たちの色(物質)以外の「受・想・行・識」の各作用なども、そのようなものであると続けられています。
 いずれにしても、この世の全てのモノ・コトは、必ず他に依存することによって成り立っており、他に依存せずに成り立っているものなどどこにもなく、それがゆえに、全てのモノ・コトは、「縁起」なるものとしてあり得ており、そして、それら「縁起」としてあり得ているものは、実体が無く、「空」なるものと言い得るのであります。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

詳しく有り難うございます。
参考に指せて頂きたく思います。

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