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因果応報

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因果応報という事に納得出来ない時が多々あります。「情けは人の為ならず」、と言うように人に優しくしてあげると、その情けを自分も同じように得る事になる。

もう一つは、人を苦しめる事は、自分自身を苦しめる結果になるという意味だと思います。

でも、この法則の元で世の中が運行されてるのなら、戦争で亡くなる人、なんの罪もないのに殺される人、病気にかかって早死にする人、
この世の中理不尽な事が多過ぎます。神様って、本当に不公平だなって思ってしまいます。

どういう境遇に生まれつくかも、前世での行いの結果というのでしょうか?

それでも、神様を信じて、私たちは、決められた運命を全うするしかないのでしょうか?

お坊様方は、これについて、どのように思われますか?

ご回答よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世の中理不尽で不公平だ。うん、知ってる(笑)

人生、自分の思い通りになることなんてそれほど多くはありません。
自分のこの身体だって、もっとイケメンに産まれてたら、イケメンでなくとも、もっと秀でた才能があったら、今より違う人生だったかもしれないし。
けれどどんなイケメンでも天才でも、時間の経過とともに老いてゆくことは止められません。
どんな人でも、刻一刻と死の瞬間が近づいているのは一緒。
人間皆いつかは死ぬんだ、これほどの理不尽はありませんよね。
この世界は様々な「因」が色々な「縁」によって繋がり、様々な結果が生じます。
どのような結果だとしても、私たちはそれを受け入れるしかない、こんなのやだ!と、拒否することはできません。
だけどそんなのいちいち理不尽だ!不公平だ!と、嘆いていてもしかたがないのです。

思い通りにならないことを、思い通りにしたいと執着するところから「苦」は生まれます。
「苦」の原因は何かと考えるところから仏教は始まりました。
結果「苦」を滅するためには「正しく生きる」ことを実践せよとお釈迦様は説かれました。
これを四諦・八正道といいます、お時間のある時に調べてみて下さい。
「因果応報」という考え方も「正しく生きる」ための心がけのひとつではないかと私は考えます。

この長い長い時の流れの中では、人ひとりの人生なんて、夜空に一瞬だけ光る稲妻のようなもの。
蓮実さんは40代ということで、平均寿命で考えればようやく半分くらいですか。
長いようで短い残りの人生、どのように生きますか?

私は明日死んでも悔いはありません、しかし、100歳まで生きたってかまわない。
思い通りにならないこともまた、楽しんで生きればいい。

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おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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過去の自分が悪かったと思えたら幸せ

私は、因果応報の思想が好きです。
なぜなら、どんな不幸にみまわれても、「これもはるか昔からの輪廻転生の中で、自分がした行いが悪かったからだろう」と受け止められたら、心が落ち着き、他人に八つ当たりしなくてすむからです。
因果応報を信じていない人の多くは、何か嫌なことがあると、誰か悪者をみつけてそいつのせいだと決めないと納得したがらないのです。
つまり、因果応報を信じていない人には、他人を悪者にしないと不幸を受け止められない人が多いのです。
そうなると、悪者認定された他人がこの世にいるかぎり憎しみのストレスから解放されません。
仏教徒の場合は、他人を憎むことなく、ただ過去の自分が悪かったからだな、これから気をつけよう、で完結して引きずらないのです。
引きずらないならストレスもないのです。
例えば自然災害被害も、自然災害が起きる地球の人間に生まれたこと自体が自分の業(カルマ)です。天界や極楽浄土などに生まれていたら災害もなかったでしょうし。
なお、不幸は神様のせいでもありません。
仏教徒は神様に支配されてはいませんから。
ただ単に自分のせい、今後は気をつけて善い行いをしよう、で完結(妄想雑念を引きずらない)です。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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因縁論

蓮実様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

六道のいずれに輪廻しても迷い苦しみの世界であることには、皆あまり変わりありません。

拙生もこれまでの輪廻の中で、幾度となく四苦八苦を繰り返してきたことでしょう・・

もちろん、輪廻にあるということは、輪廻する因縁(原因と条件)があるということです。

その輪廻する因縁を変えて、解脱して悟りへと至るための方法をお説きになられましたのが、釈尊でございます。

その方法が、林浩道様もおっしゃられています四諦・八正道などを代表とする教えでございます。

仏教は、運命や宿命とか、最初から決まっているモノ・コトの実体は無いとして、常見を退けることになり、それよりも、因縁論を重視致します。

善い結果へ向けて、仏教を拠りどころとして今生でも善き因縁にできる限り努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

林 浩道 様

たくさんの質問が殺到する中で、私の質問に丁寧にご回答して下さいまして、本当にありがとうございました。

林 浩道 様のおっしゃる通り、持って生まれた境遇というのは、受け入れるしかないのですね。それを恨んでいじけても仕方ないですし、まだ生きてるだけでも幸せだと思わないといけないような気がします。亡き祖父から聞いた話ですが、人間に生まれるというのは、すごい確率なのだと。生まれてきた時点で奇跡なので、どんな苦難に見舞われても、この尊い命を大切にしないといけないと思います。

仏教で四苦八苦という言葉はよく聞きますが、四諦・八正道という言葉は、初めて聞きました。また検索して、勉強しておきます。

いつまで生きさせてもらえるのかわかりませんが、いつ死んでも悔いが残らないように、毎日を精一杯生きたいと思います。

川口 英俊 様

こんにちは。たくさんの質問が殺到する中で、いつも丁寧な回答をして下さって、本当に感謝しております。

六道のいずれに輪廻しても、迷い苦しみの世界からは、解放されないという事ですね。

輪廻する因縁があるという事なのですね。この世のすべての物事が縁によって存在して、縁によって移り変わったり、滅びたりするのですね。

釈尊とは、お釈迦様の事ですよね。仏教は、運命論を否定するという事がわかりました。私たちの行為によって決まるというのがお釈迦様の教えなのですね。

お釈迦様が解かれた悟りへと至るための方法、四諦・八正道の教えについては、また読んで勉強しておきます。

願誉浄史 様

どんな不幸にみまわれても、「これもはるか昔からの輪廻転生の中で、自分がした行いが悪かったからだろう」と受け止められたら、安心できるのですけどね。

因果応報を全く信じてない訳ではないのですが、そう思えない事がほとんどです。殺人やいじめ、差別、こういった苦しみの原因は、前世で同じ事を他人にしてる事に由来している事になるんですよね。でも、この因果応報が今生に返ってくることで、魂は、殺人や差別、いじめられる人の苦しみを体験して学ぶという事になるのでしょうか。仏教徒は神様に支配されていないという事がここのサイトに来てよくわかりました。

願誉浄史 様

お礼を書くのを忘れてしまいましたので、追記します。たくさんの質問が殺到する中で、丁寧に回答して下さって、ありがとうございました。またご縁がありましたら、よろしくお願い致します。

「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

苛まれ続けるのならば死を選びたい

この世に因果応報はないのでしょうか? 私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。 やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。 極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。 現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。 私は信頼できる友達も、相手もいないのに。 ふとした瞬間に、涙が溢れます。 予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。 常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。 正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、 街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。 多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。 この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 30
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ