皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

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御縁とは

いつもこちらではお世話になっています。
ふと御縁というものがどういうものなのか、大切にしたい御縁はどうしていくのがいいのか、教えていただけると嬉しいです。

最近では、好きな人のことで悩んでいますが、たまたま入った職場に彼がいたこと。人がいないからと部署を異動した先に彼がいたこと。これは偶然なのでしょうか?それとも御縁なのでしょうか?

先月は友人を怒らせてしまいました。(過去にこちらで相談しています)わたしはずっと仲良くしたい友達だと思っていましたが、距離を置くことにしました。これは縁を切ったということなのでしょうか?

わたしは人間関係を築くのがうまい方ではありませんが、仲良くしたいと思った人、お付き合いしたいと思った人との巡り会った御縁をどう大事にしていけばいいのでしょうか?

宜しくお願いします。

他人・友人関係
有り難し 9
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

ご縁、ご縁、みなご縁

「ご縁とは何か」ですが、言ってしまえば「ご縁でないものはない」ということになります。

私がいて、私がいくつかのご縁を選んだり与えられたりして生きているわけではなく、私自体もご縁です。

…わけがわかりませんよね??

物事には原因と条件と結果があります。「ご縁」とは主にこの「条件」を指しますが、広く言えば原因についても「縁」と言います。そしてどこからどこまでが原因で、どこからが条件なのだと明確に区切れるわけでもありませんし、因と縁から生じた果もまた次の事象の因となったり縁となったりして網の目のように広がっていきます。

それがこの世界であり私でもあります。私という実体が独立自存しているわけではなく、

宇宙がある
太陽系がある
生命体がある
人類がある
先祖がある
父母が出会う
食べ物がある
死因がない
…等々

数えきれないほどの因縁がととのってたまたま「私」という形になりたっています。先ほど因縁を網の目にたとえましたが、私はその網の線ではなく、まさにいくつかの線によっておりなされたところの「網の目」なのです。

ドーナツの穴のようなものです。ドーナツの穴は穴として存在しているわけではなく、ドーナツという因縁があるおかげ様ではじめてドーナツの穴として存在できます。この私もそのようなもので、実は実体があるわけでなく穴のような空っぽの存在。これを仏教では空(くう)といいます。しかし空は何もない虚無ではなく。「ないことがある」ということ。無限の可能性があるということです。

さて、ですから当然みどりさんもご縁、彼もご縁、その二人の出会いもご縁です。とても有ることが難しいありがたいご縁がととのったのです。
実はどんなご縁もありがたいのですが、やはりその中で「大事にしたいご縁」というものがあるのが人情でしょう。
ご縁は思い通りになるものではないと思いますが、大事にしたいと思い、ととのえる努力をするのとしないのとでは違ってくると私は思います。

ご友人とのご縁も切ったと思いながら、「ご縁を切ったというご縁」があるわけですから、心にひっかかるものがある限りみどりさんにも友人にも影響を与え続けるでしょう。そしてはからずも再び結ばれることも有り得るのです。

「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるることのある」歎異抄第6条

まことにご縁とは不可思議なものです。


質問者からの有り難し - お礼

回答ありがとうございます。
とても不思議なことなんですね。
いい意味で不気味さを孕んでいますが、縁というものの意味を理解出来た気がします。
わたしの相談に回答いただいたのも縁。
ありがとうございました。

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