皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

憎くて、憎くてたまらない気持ちがわいてきます

憎くて憎くてたまらない気持ちが消えません。

対象の人間Aが憎くて憎くてたまりません。
私の人生、心身を壊したAが憎くてたまりません。
人生これからというとき、わたしから喜怒哀楽を奪い、身体を壊し、人生を潰した人間Aが憎くて憎くてたまりません。

私だけではなく、私の周囲の人間も苦しめたので私のAに対する憎しみはかなりのものです。

そのAがした数々は罪にとえることでしたので、被害届を出そうとしました。ただ、心が回復し、被害届を出そうと心に決め実行に移したときには時効が成立していてだめでした。弁護士に相談したところ、内容としては裁判は出来るが、時間が経っていて立証するのが難しい案件だそうで裁判は難しく、あきらめました。

20代で起きたことなので、いつまでも憎んでいては人生がもったいない、憎まないよう別のものに目を向けようと頑張りますが、憎さはいつまでも消えず、憎しみはわいてきます。

頑張る方向がますがったのか、衰弱して死にたい死にたいと思ってしまったときは知り合いが助けてくれました。

このようなこともあり、
憎しみは忘れ、
憎しみは横に置いてそれ以上に現実の楽しみをみつけようとしてきましたが、憎しみはいまだ消えません。

私にあったことよりももっと大変な人はいる、だから 頑張りなさい忘れなさい、現実を生きなさいともいわれます、、しかし憎しみは消えません。

憎み続ければ自分のこころが蝕まれ暗い方へ引きずりこまれると頭では理解できますが、わきます。

憎しみを消す方法はありますでしょうか。

以前 別のことで質問させていただきました。
その質問にご回答もいただき、それほどたっていないのに申し訳ありません。
次から次へといろいろ気持ちが湧き、憎しみも消えず
なかなか気持ちを整理できずにおります。

怒りを抑える
有り難し 19
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

憎む心、百害あって一利なし

あいつさえ居なければ、自分の人生は壊れなかったと思っておられるのですね。いくら気持ちを切り替えようとしても無理なのですね。絶対許せないのですね。今のままでは、どういう方法をとっても憎む心は変わらないと思います。
3年ほど前になりますが、松本サリン事件で犯人と間違われ、奥さんも重体(のちに死亡)であった河野義行さんをお呼びしたことがありました。その後河野さんは、真犯人であったオウム真理教の若者を許し、自宅に招き入れました。彼は毒薬サリンをまく噴霧装置を作った人物です。自分の人生をメチャクチャにされ、奥さんを死に至らしめた若者を許すという気持ちが理解出来なくて、いろいろ問い正したことがありました。河野さんには申し訳なかったと思います。河野さんの言葉は次のようなものでした。「人が犯罪行為を行うときは、必ずその理由がある。それは家庭環境であったり、貧困であったり、欲望であったするが、善良な人間とは紙一重の差である。たまたまの巡り合わせが、彼をそうしただけなので、罪は憎むが人は憎まない。」なかなかこういう気持ちにはなれませんが、河野さんは憎んでも何一つ好転しないと明確でした。
人間Aにもそういうことをした理由があります。人として許されることではありませんが、Aも分かっていたと思います。でも自分の中の何かに負けたのです。苦しみはAの中にもあります。自分はひどいことをしたのだという気持ちはずっと残ります。恐らく気が晴れることはないでしょう。厳罰に処されるよりつらいでしょう。
あなたが裁判をして勝っていたとしても、それは法律上のことであり、憎さが解消されるわけではありません。憎さというものは欲と一緒で、これで満足するということはありません。自分が受けた苦しみの何十倍の苦しみを相手に与えても納得しません。死んでなお憎しです。
自分にとっても百害あって一利なしです。そういうものに振り回される自分とそろそろ決別しませんか。


質問者からの有り難し - お礼

りゅうよう様

ご回答ありがとうございます。
今のままでは変わらないですよね。何かをしたら気持ちがスッキリするのではないかとおもっていたり、相手を罰したい気持ちが強くありました。私は河野さんとは真逆で、罪よりそういうことをした人物そのものが憎く、悪いことをしない選択もあったはずだ。それをした人物が悪い、こんな風な人生になったのはその人物のせいだ。自分がしたことの事の重さと、どれだけ悪いことをしたか知るべきだという気持ちがはなれませんでした。だから、相手を懲らしめるつもりで好転なんかしてやるか、というバカな気持ちがあったかもしれません。
ただ、憎いという気持ちが欲と一緒だということを教えていただき、そうなのか、、と思いました。わたしの心では 何かをしてもこの欲は増すばかりだったかもしれません。それもまずい方へ。
その欲と決別しなくてはと思います。
まずは決別すると決めるところから。
ありがとうございました。

関連する問答
このページの先頭へ